進徳館|万延元年開校の現存する藩校|伊那市高遠

進徳館は高遠城址公園の横にある史跡です。 高遠藩主 内藤頼直が1860年3月創設した藩学校です。

頼直が、岡野小平治を現在でいう学長にし、中村元起・海野幸成を先生にすることで現在の理数から戦争を生徒へ教えていた学校です。
その建物が当時の姿で残っているということが珍しいため、国指定史跡となっています。

桜を見に来たら、立ち寄ってもいいかもしれません。入場は無料です。
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道路から見た進徳館
道路から見た進徳館、階段と門が見える
進徳館と書かれた石があります。

階段から門
階段を下から眺める、門が見えます
この階段を登り、門をくぐれば進徳館です。さすがに年期の入った石階段という感じがします。
ちなみにこの真後ろが高遠城址公園になります。

玄関風景
進徳館の玄関全景
歴史が止まっています、石畳の先に玄関があります。
もちろん中へ入ることはできません。竹の柵で止められています。

説明書き
進徳館の説明書き
かなり難しい文章というか言い回しです。

国指定史跡
進徳館(指定 昭和48年5月26日)

 進徳館は高遠藩主内藤頼直が前藩主頼寧の意思を受け継ぎ、藩士中村元起の熱望により大学頭林復斎の助言を得て万延元年(1860年)3月郭内三之丸に内藤蔵人の屋敷を文武場にあてて創設した藩学校である。
 頼直が「興国の基礎は藩士を養成するにあり、藩士を養成するには文武を奨励するより先なるはなし。」と藩学校設立の趣意を説き、老職岡野小平治を文武総裁に任じ、中村元起、海野幸成を文学師範に命じて 和学、漢学その他筆学、兵学、弓術、馬術、槍術、剣術、砲術、柔術、後に洋学を講ぜしめた。優秀なる教授を網羅して、進歩的な教育が行われ、多くの偉材を育成し、特に教育界に中堅人物を輩出した。
 旧進徳館の主要建物は八棟造り、平家茅葺きで現存するものは前通りの東西二棟と玄関及び表門で、その他は明治4年総裁、学監教授方師範詰所、教場、生徒控所等を含んだ講堂で東棟は生徒控所であった。
 進徳館は松代文武学校と共に信濃藩学中その遺構を最もよく在するもので貴重な史跡である。

100周年記念の碑

音声案内
音声による案内があります
進徳館のどこに居ても聞こえる音声放送が流れ始めます。
これは間違えなく押した方が良いと思います。

縁側
縁側から障子越しに室内をみる
縁側から室内を観ることができます。裏庭も見えてます。

五聖像の説明書き
五聖像の説明書き

孔子廟と五聖像
 五聖像とは、儒学の祖である孔子と、孔子の高弟で四賢人と言われる孟子、曽子、顔子、子思(子思子)を彫刻して祀った像のことです。
 江戸時代、儒学を教えた幕府直営の昌平坂学問所(現:東京都文京区湯島聖堂)や各地の藩校では、敷地内に廟を設け孔子を祀っていました。進徳館でも、開校から2年後の文久2年(1862)、辰野村(現:辰野町)の小沢伝十が孔子像を献上し、館内に聖廟が設けられました。さらに3年後の元治2年(1865)、北福地村(現:伊那市富県)の那須隆達ら4名の申し出により、四賢人の像が献上されました。これらの像は昌平坂学問所の大聖殿に祀られていた像にならったもので、江戸の絵師・野口幽谷が模写した絵を原図として、松川村(現:松川町)などの彫刻師が桂の材を用いて彫り上げたものでした。
 元治2年2月中旬、五聖像がそろって初めての釈奠の日(孔子を祀る典礼)には、藩主(代拝)、藩重巨、職員、生徒らが参加して盛大な式典が行われました。五聖像の座位は、孔子の生誕地・中国山東省曲阜にある孔子廟内大成殿の座位に従っています。
 明治時代になり進徳館が廃校となった後も、五聖像は大切に守られてきましたが、経年による傷みから保護するため、平成9年(1997)に高遠町歴史博物館へ収蔵され、平成14年(2002)には伊那市有形文化財(彫刻)に指定されてました。

祀られている五聖像
祀られている五聖像
説明書きにもありますが、レプリカです。本物は近くの高遠歴史博物館にあります。

庭からの眺め
庭から進徳館を眺めて
日本庭園というよりは、和風の庭って感じです。微妙に落ち着く感じがします。

茅葺き屋根の断面
茅葺き屋根の断面が見える
かなり厚みのある茅葺きになっています。これで、雨風が防げるとはすごいものですね。
伊那地域でもこれだけキレイな茅葺きを見ることが出来るのは少ないのではないでしょうか。

茅葺きから湯気
茅葺き屋根から上る湯気
この日は、朝方冷えました。陽が当たる場所からは湯気が上り、幻想的です。

裏庭から
裏側の庭からの眺め
進徳館は周囲をすべて回ることができます。裏側は、各部屋と建物の構造や建材について説明を見ることができます。

裏側から玄関
裏側から玄関を眺める
裏庭からも障子が開いていれば、玄関、門を見通すことができます。
何かの配慮でしょうか。

火を使っていた部屋
火を使った部屋の天井はむき出し
煙臭いというか、燻製の匂いがする部屋がありました。ここは火を使ったということで、天井もありません。

使われていた建材等の説明「釘」
使われていた建材
和釘:江戸時代以前に用いられていた角釘で、物入れの小舞を止められるために再利用されていました。
輸入釘:明治初期に頻用され、付属棟の建築年代決定の根拠となりました。釘頭の下が四角い形をしています。
現在の釘

土壁に使われていた材料を紹介
使われていた土壁の材料
紙苆・藁苆・苆・消石灰・黄土・本漆喰

進徳館付属棟の杮葺屋根の説明
屋根の構造・材料説明
現在は、鉄板が被せられていますが当時の杮葺(こけらぶき)について現物と写真で説明をしています。

土壁の説明
土壁の構造説明
土壁の構造を大変分かりやすく紹介していました。
層別にも現物があるので、土壁研究中の人は一度訪れて見てください。

進徳館の構造について
構造体の説明
建物全体の構造に付いて説明もありました。

現在パワー
火災危機とセコムの機器
さすがに当時は無かった、消防設備とセコムです。
進徳館内部に入ろうとすると、「これ以上は入らないでください」と音声で注意されてます。気付きにくいのですがセンサーだらけです。

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