松本市里山辺地区の千鹿頭山の上にある神社です。
この地区の産土神ですが、諏訪信仰のその社名が示す通り、御頭祭に供される鹿を用意する、狩猟の神を祀る神社であったと言われています。
現在も、 諏訪大社と同じく、神木を建てる御柱大祭が行なわれています。
とても静かで見晴らしもよく、地元の方々の散策コース、またはデートスポットにもなっているようです。
住所:松本市神田1丁目
千鹿頭神社のある神田地区は、近世のはじめまで松本藩領でしたが、元和4年(1618)からはこの神社のある千鹿頭山の尾根から南側が高島藩領、北が松本藩領となり、尾根が両藩領の境となったそうです。
そこで、それまでは一社であった社殿が現在のように、藩境に各藩ごとの二つの本殿を並立することになったといわれています。

こんもりした山に近づいてくると、火の用心の旗が目印の防火水槽があります。
山を挟んで、右にも左にも鳥居があり、どちらからでも頂上の本殿へ行けます。
今回は高い棒が2本立っている方へ廻ってみましょう。

朱色の鳥居と駐車場が見えます。

目が覚めるような鮮やかさです。
新緑の頃は映えるでしょうね。

立派な彫細工の中に名前がはいっています。

右手には 灌漑用の千鹿頭池があります。
カモがのどかに泳いでます。
池の周りの散策コースもあります。

彼岸桜でしょうか。ひっそり咲いていました。

神社の祭事は木に書いてありました。

ここから少しずつ上り坂になっていきます。

案内版を見ると、鉢伏山の尾根に続いているようです。

御柱祭の様子です。
卯年と酉年におこなわれるようです。

山全体が松に囲まれている感じです。
ツツジも名所だそうです。

坂が始まる手前にトイレと社務所がありました。

ここから、頂上まで、少し急ですが5~6分くらいです。

千鹿頭池を見降ろしながら上がっていきます。

斜面には松ぼっくりがたくさんおちています。
松ぼっくりのそばには、芽を出した幼木が。

こんな大樹になるまでどのくらいの年月が経ったのでしょうか。

斜面も上のほうは、幹がねじれています。
意外に風が強い場所なのでしょうか。

下を見下ろせば、池の蕎麦の休憩所のようです。

標識があります。
展望台を目指しましょう。

左は社務所、右は拝殿の一つのようです。

神社創建の歴史が解説してあります。

水飲み場?手洗い場?凍ってました。

拝殿です。
奥にもあります。

手前の拝殿と奥の拝殿は、屋根一つとって見ても全く違います。
造られた時期だけでなく、高島藩領と松本藩領の匠の技も違ったのでしょう。
拝殿も各藩、前後に、二つある、極めて特異な形態だそうです。
いろんな人間ドラマがあったことでしょうね。

奥の拝殿の屋根は、苔生して風情があります。

拝殿前に、トイレもあります。

隣は社務所です。

こちらがそれぞれの藩の本殿。
真ん中に立っているのは、御柱でなく、電柱です。

狛犬、笑ってませんか?

こちらも、かなりキュートなんですが・・。

本殿の形式は、一間社流造(いっけんしゃながれづくり)というそうです。

本殿の横にひっそり「女社」がありました。

本殿も似ているようで、まったく違い、左の本殿には屋根にこんな彫り物もありました。

本殿と本殿の間が、領地の境界線だったのでしょうか。

何だろう?
御柱を建てる穴でした。

下にはリンゴ園や田畑など、のどかな風景がひろがっています。

頂上に白樺が2本だけありました。
植えられたのでしょうか。

二つの本殿を裏から見るとこんな感じです。

標識のあったところまで戻り、反対側へ登ってみます。

こちらの頂上にも神殿らしきものが見えてきました。

神様なので後ろから1枚。

東屋もあります。

松も向こうに松本の市街地と北アルプスが望めます。

雲の切れ間には稜線が顔を出していました。

三角点もありました。

頂上から、先ほどの拝殿。
こうしてみるとかなりの勾配です。

標識まで戻り、今度は、アスファルトの坂を下りて、来た道とは反対の鳥居に出たいと思います。

一気に下れます。朱色の鳥居とは対照的な鳥居が見えてきました。

入口には御柱の、のろしがありました。

古い御柱でしょうか。

遠くから見た千鹿頭神社です。
松林の中にあるのがはっきりわかります。
小高い丘のような山の中には、散歩されている方、お参りの方、孫を連れたお年寄りもいました。
まわりの畔道からも山々や空が望めて、静かでのんびりした空気の中で、リフレッシュできました。
御柱の時期は空気が一変するのでしょうね。