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西丸震哉記念館【1】|原始感覚がよみがえる木崎湖畔のギャラリー|大町市平

関東大震災の直後に生まれたので「震哉(ふるえるかな)」と命名されたという、西山震哉氏の大叔父は島崎藤村。
看板
初代農林水産省食料研究所官能検査研究室長をつとめ、国内・国外に探検旅行をして、食糧危機や文明破局論を唱え続けた異色官僚として有名でした。日本の探検登山の草分け的存在でもあります。
自主退官後は「食生態学」を確立し、大学講師を務めるほか、環境問題や現代人の生き方をテーマにした執筆活動を行ってますが、作曲、SF小説、油彩も手がけておられます。
当館では、多彩な才能を持つ西丸氏の活躍の軌跡を伝えるコレクションや、関連資料が展示されています。
(1)では館内の外に発掘されている展示を(2)ではかんないの展示品等をご案内いたしましょう。

[googlemap lat=”36.550753″ lng=”137.842052″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”13″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県大町市平10901[/googlemap]
住所:長野県大町市平10901(JR大糸線・稲尾駅より徒歩5分)
電話:0261-22-1436
入館料:無料
開館時間 :10時~16時30分
休館日:火曜日~木曜日(12月~3月は冬期休館) ※休館中も事前予約で見学可


車の場合は、国道148号線木崎湖トンネルへ抜けずに、木崎湖畔へ下ります。
遠くに残雪の鹿島槍北峰がちらりと見えます。


木崎湖は大町市北部の仁科三湖のうちのひとつで、最も南側に位置する湖です。
釣り人も多く訪れ、この日もボートがたくさん出ていました。


正面の高架はJR大糸線。
その手前の左側の建物です。


手作りの木の壁、看板。
こちらが正面外観です。(駐車場はこの建物の右側になります)


レイクサイトギャラリーとカフェ、と英語で書かれてます。


もう一つの表札は「白馬自然科学研究所」
1962年に自然科学、哲学の普及を目指して現・館長のお父様が設立しました。
西丸氏が所長として参与したことが縁で、研究所の事業として2008年に記念館が開館しました。


右手駐車場のところに現・館長さんがおられました。
記念館に出土した縄文遺跡を発掘・展示中です。
奥の竪穴式縄文射遺構は息子さんの作品です。


館長さんは気象学の専門家ですが、博学であるだけでなく、とても親切な方です。


発掘調査は、大町市教育委員会の指導の下に、近所の方など子供連れで手伝いに来て、行われたそうです。
4000年前の縄文土器片や打製石器を掘り出していくのはさぞやワクワクしたでしょうね・・・。


出土品はこのように常設展示されています。


発掘された全体はこんな感じ。
ここで縄文の人々が生活していました。
左手の大きなガラスケースの場所は、厨房だったそうです。


縄文の人たちの厨房・・ここでなにをつくっていたのでしょう。


ケースの中の石。どんな実を砕いたりしたのでしょうか。


発掘された4000年前の厨房の向こうは、現代人の畑です。


そして館内入口までの小径は小さな植物園のようです。
まだ春の始まりでふきのとうが目立つくらいでしたが、大切にされた、たくさんの草花が所狭しと植えられています。


息子さんの作品、竪穴式住居型空間「墓家」。
この制作中に縄文の遺構が発見されました。


中はこんな感じ。
常設展示作品と、なんと宿泊アート体験もできます。


中にある石の一つは、確かに先の方に、人の持ち型が残っています。
道具としての使い道を館長さんがイメージさせてくれました。


新芽たちを踏まないよう気を付けながら、記念館入口へ。
木の階段で2階へ上がります。


入口横のベランダから先程の竪穴「墓家」そして木崎湖も見えます。


入口です。

さて館内に入る前に、今回は特別に館長さんがアトリエを見せてくださいましたのでご案内します。

淺井祐介さんの作品です。
土、白ペンキ、膠、土器片、木の実などで描かれています。
各先住民族共通の原始感覚が呼びさまされる感じです。


障子を開けると、和の感覚と下り合わさった不思議な空間になっていました。


ここで目が覚めたら異空間の森の中に迷い込んだ気がするでしょうね。
淺井さんの作品「泥絵・山と人」は修復が終わり次第、常設展示として会館入口下に展示予定です。(外からも見えます)
定期的に、西丸氏の収集品とコラボする形で美術品の展示などが行われています。

館内に入る前にも、木崎湖をバックに縄文感覚を体験できます。
(2)では館内をご案内します。

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