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茅野市 観る 遊ぶ

車山山頂|標高1925m霧ヶ峰の主峰、360度パノラマビュー|茅野市北山

八ヶ岳、北・中央・南の各アルプス、浅間山、美ヶ原など360度山々が見渡せる絶景ポイント。
晴れていれば富士山も見えます。
頂には気象レーダー、車山神社があります。
夏場でも肌寒いくらいの時もあるので、はおるものがあるといいかもしれません。天候も変わりやすいので麓のビジターセンターでチェックしていくと良いでしょう。日焼け対策は必須です。

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お問い合わせ
車山高原観光協会
【住所】 長野県茅野市北山3413 
【TEL】 0266-68-2626
【HP】http://www.kurumayama.com/

リフトを乗り継いで、あっという間に山頂!!  (→車山展望リフトの記事)

スカイパノラマ側の眺め。360°ぐるっと一周。

緊急避難所

急激な天候の悪化の時はここに避難しましょう。

車山駐車場、八島湿原方面へ行く遊歩道

遊歩道を歩く時は電気柵に注意!!

こちら側にも展望広場があります。八ヶ岳や蓼科山が見渡せます。

白樺湖がきれいに見えます。

周辺のハイキングコースマップ

案内看板もわかりやすく置いてあるので、迷子になることはなさそうです。

山頂のセルフエコツアー設問

ハイキングをより楽しめるような工夫がいろいろしてありますね。

山頂へは階段をすこし登っていきます。
緩やかな石段で登りやすいです。

まず見えてくるのが車山神社。 こちらは神社の裏側です。

正面側へ回ってみたところ

思いのほか小さな神社でした。

天空の御柱

神社の周りは4本の御柱で囲まれています。
車山神社でも諏訪大社の御柱祭が開催される年の9月に小宮御柱祭が開催されます。

車山神社の脇にある山頂柱

眺望案内を頼りに景色を楽しみましょう。

富士山方面の眺め

よく目をこらしてみると見えました、富士山です!!

美ヶ原方面

わずかですが電波塔が確認できます。

山頂にはベンチが複数設置されており、のんびり景色を堪能できます。

岩の間に座る方も。

お弁当を広げる家族連れもみられます。

気象レーダー周辺は板張りの歩道でさらに歩きやすくなっています。

車山気象レーダー観測所

1年に1度だけ施設公開が行われます。普段は入れません。

説明

この観測所は、気象庁が1999年(平成11年)に設置したレーダーによる気象観測を行うための施設です。
建物上部の丸いドームのなかには直径4mのパラボラアンテナがあり、このアンテナを回転させながら電波を発射し、雨や雪による反射波を測定することで、広い範囲の雨や雪の強さ・移動などを時々刻々と観測しています。
レーダーで観測されるデータは、日々の天気予報をはじめ、集中豪雨などによる災害を未然に防ぐための防災気象情報の発表に利用しています。
なお、この建物に危険はありませんが、内部には高周波・高電圧を使用している機器が入っています。建物内には絶対に立ち入らないでください。

山頂看板

眺望案内の銅盤

山でよく見かける石を積み上げたやつ。

三角点

ここにも山頂柱。山頂アピールがハンパないです。

貴重な天然記念物をあなたの愛で未来へ伝えよう

霧ケ峰高原は、主峰車山から鷲ヶ峰まで標高およそ一五〇〇~一九〇〇メートル、東西一〇kmに広がる壮大な高原です。草原の稜線の美しさは、植物の豊かさ、展望のすばらしさと共に霧ヶ峰の魅力です。
国の天然記念物に指定されている霧ヶ峰植物群落は、八島ヶ原・踊場・車山の三つの高層湿原と車山樹叢及び草原植物群落です。どれも学術的価値の高い数少ない貴重な自然です。

霧ヶ峰湿原植物群落

霧ヶ峰の湿原は高層湿原と呼ばれ、日本の南限です。この湿原は、低温・酸性の水質などの特殊環境のため、ミズゴケ類を主に矯小植物が大部分です。これらの植物は枯れても腐植しないで堆積して泥炭化し、その上に新芽が生長し盛り上がり、水面より高くなったものです。泥炭層の暑さと生成年数は、八島ヶ原湿原は8.5メートルおよそ一万年、踊場湿原は2.5メートル二千五百年、車山湿原では1.5メートルで千五百年とそれぞれ測定されています。

柱の裏側は、地権者・貴贈者名

気象レーダーの北側は車山肩・霧ヶ峰方面へと行く遊歩道が続いています。

車山山頂及びその周辺で見つけた植物

マツムシソウ

ヤマハハコ

ハンゴンソウ

ヤマトリカブト

シラヤマギク

素人判断です、間違えていたら教えて下さい。

さっきまで良く晴れていたのに、急に雲行きがあやしくなってきました。
午後は天候が不安定になりやすいので、午前中がおすすですよ。

車山高原関連の記事はこちら。
車山ビジターセンター
車山展望リフト
スカイプラザ(車山高原駐車場)
TOP’S360°(中腹にあるカフェ) 

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おひさま ロケ地 安曇野市 観る 遊ぶ

長峰山頂|絶好のロケーションに飛ぶパラグライダー|安曇野市明科

安曇野の東山、標高934メートルの長峰山山頂からは、北アルプスをバックに梓川・穂高川・高瀬川が合流して犀川となるのが見渡せる絶景ポイントです。

NHK朝の連続テレビ小説「おひさま」で度々登場する安曇野平の映像は、長峰山から撮影されたものだそうです。
いろいろな場所から山を眺めてみましたが、安曇野平、常念岳を見るならここが一番おすすめです。


この眺めは、川端康成(小説家)、東山魁夷(画家)、井上靖(小説家)の3氏が揃って登った際、川端が「残したい静けさ、美しさ」と眺めを絶賛したというほど。
山頂は広々とした草原になっており、パラグライダーの離陸点としても人気です。

ご覧ください、この景色!!

ちなみに、今の長峰山頂からのライブ映像はこちら。

光城山の隣にある山です。
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歩いてももちろんOKですが、車でも簡単に登れちゃう気軽な山です。
明科側から登る方法もありますが、今回は光城山の方から登ってみました。
途中までは、光城址(古峯神社)の行き方と同じです。

光城山の山頂を過ぎ、長峰山山頂方面に向かいます。

林道長峰線を行きます。

所々に案内看板があるので、わかりやすい道です。

ちょうど光城山の頂上の桜が見頃の季節。
光城山山頂から、長峰山を目指す人たちの集団にあいました。

長峰山山頂の駐車場

2,30台分ぐらいとまっているでしょうか。
観光バスまできていて、かなり混雑しています。

駐車場にあった地図

この辺、長峰山パノラマパークっていうんですね~。
わかりにくい地図です。。。

トイレはログハウス風

光城山の桜は咲き始めでしたが、長峰山はまだこれからのようです。
長峰山はちょっと遅めです。

長峰遊歩道

ここを歩いて行くと、「天平の森」にでます。

駐車場より山頂は少し上にあります。

まず見えてくるのが、全てが木製の展望台

ちょっと腐りかけてる?ギシギシいう階段を上ります。

隙間から下が見えるので、高所恐怖症泣かせかも。。。

展望台の上

展望台から眺めた安曇野平

手前の木やオブジェが邪魔ですかね。。。
展望台より、実は下の草原からの眺めの方がいいんですよ。ここは。

展望台のすぐ下にある桜

まだつぼみでした。

この桜は、県町歩け歩け大会記念樹のようです。

安曇野平の反対側の眺め

松ぼっくりがゴッソリついた松の木があります。

真下を覗いてみました。

お店の準備をしている人達がちっちゃく見えます。

展望台を下りて、山頂に戻ります。

三角点

ここが標高935m

歴史の塔

旧明科町が、1971(昭和46)年に明治元年(1868)から100年目を迎えたことや、長峰山林道が開通したこと、明科町商工会が創立10周年となったのを記念して建てられた塔。
塔は高さ約10メートル、幅約5メートルの鉄製で、「過去」「現代」「未来」を意味する3つの輪を縦に連結させた姿。
土台となる過去の輪は戦争を体験した人たちのつらい思いなどを表す茶褐色、中央の現代の輪は平和を表す緑色、未来の輪はまちの発展に期待を込めた銀色。
足元にはタイムカプセルが埋められていて、50年後(2021年)に開けられる予定。

歴史の塔の石碑

過去がある 英知がある そこに輝く未来がある 
旧明科町長 波場博志 書

東山魁夷の石碑

安曇野を想う    東山魁夷 

五月の若緑に蔽われた安曇野はなんと美しかったことか 上高地から流れ出る梓川が高瀬川と合流し犀川となって北に流れる平野の上に高く連なる北アルプスの山々 常念、東天井、燕と長峰山の上で案内人の指し示す残雪の嶺々を仰ぎながら飽かず眺めたひとときが忘れられない

石碑の裏

撰文
二本芸術院会員
文化勲章受章者
東山魁夷画伯 かつて昭和四十五年五月に川端康成、井上靖両先生とともにここ長峰山に遊ぶ
そして雄大な安曇野の風景を目の当たりにして圧倒的なパノラマに驚愕感動した。以後豊かな自然の贈り物に囲まれた日々を過ごせることへの感謝と最近の急速な開発によってそこなわれつつある景観を憂慮し多くの人たちに郷土を愛する心を持ち続けてほしいとの切なる願いから、ここにその熱き想いを拝毫していただく
 平成七年は明科町制施行四十周年にあたり、自然保護の立場からこれを刻し、保全への決意とともに記念とするものである
平成七年九月  長野県明科

頂上には東屋がひとつ

山頂にあるベンチは石でできたしっかりしたタイプ

シーズンに向けてお店の準備中

エスプレッソコーヒー¥300
アイスコーヒー¥300
ソフトクリーム¥300
各種ペットボトル¥150
・・・というメニュー表がはってありました。

山頂を超えて、龍雲寺へと続く遊歩道

歩きたい人は行っちゃってください。3キロだそうです。

鳥獣供養碑

トンビに注意!!

トンビが食べ物をねらって急降下し危害を加えることがあります。トンビにえさを与えないでください。

山頂で食べている人が多かったせいか、さっそくトンビが上空をウロウロ。。。

隠しながら食べたほうがよさそうです。

よくある展望案内板

どこがどの山か照らし合わせてみれます。

山頂にある草原

広い傾斜の草原。
傾斜になっているので、見晴らしサイコーです☆

山頂の草原からの眺め

邪魔になるものがなく、展望台より良い景色が拝めます。

この日は、パラグライダーをやっている人と、それを見学する人で賑わっていました。

とても良い天気で、下の様子がバッチリ見えます。

ここからの眺めだけでもすごいのに、パラグライダーからの眺めはもっと感動するんでしょうね~。

パラグライダーを広げて準備

助走

突っ走ります!!

離陸の瞬間

離陸台が横にありますが、それは使わずに離陸していました。

うまく風をとらえ、上昇していきます。

パラグライダーが離陸する瞬間を動画で。

失敗してしまうことも・・・

次は、成功!! 上昇気流になかなかのれず、低空飛行ですが、このあと上昇していきました。

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安曇野市 観る

光城址(古峯神社)|光城山の頂上にある山城|安曇野市豊科

光城山の頂上にある、海野氏の一族、光氏によって築かれた山城。
ノロシを使い、連絡しあう役割もしていたようです。
本郭の中心部には火の守り神を祀る古峯神社があり、登山客などがお参りしていきます。

麓から歩いて登ることもできますが、車で山頂まで行くこともできます。
今回は光城山を車で登ってみるコースで行ってみます。

光城山を歩いて登るコースはこちらを・・・。

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頂上へと行ける道の入口

この看板だけが頼りです。細い道でわかりにくいかもしれません。

林道の道端には桜が満開

狭い道幅ですので、すれ違いに注意です。

頂上付近まで行くと、大きな地図があります。

現在地はこちら

この地図があるところを左折します。

ちなみにここから歩くと徒歩5分で山頂です。

一応駐車場はありますが、5台でいっぱいいっぱい。

桜の季節に駐車できればラッキーでしょう。
満車の場合は下から登るしかありません。

駐車場のある辺りはアカマツの林が広がっています。

林間広場(多目的生活ゾーン)という場所らしいです。

広場っぽくないし、多目的生活ゾーンって・・・ホームレス歓迎みたいな??
不思議な広場です。

光城址(古峯神社)

だいぶ年季が入った案内板です。

去年新しく設置された新しい案内板

おじさん熟読中・・・

光城跡

安曇野市内では規模の大きな山城で、鎌倉時代にこの地に来住した海野氏の一族、光氏によって戦乱の激しくなった戦国時代(十六世紀)に築かれたと考えられる。
犀川右岸丘陵上の尾根道南端を固めており、武田氏の松本平進攻に対しても、兵を配備し籠城したとみられる。しかし、天文二二年(一五五三)、刈谷城攻めに際し戦わずして落城した。その後、天正十年(一五八二)に松本城主となった小笠原貞慶によって修復されたと考えられる。

平成二十年十月二十九日  安曇野市教育委員会

これが光城址(古峯神社)です。

ボロい建物ですが、人気は上々↑↑

手水鉢は扇形をしてます。

神様からのお願い

火を祀る神社だけあって、火事には特別に注意している感じです。

梁には文字がいろいろと書かれています。

時代を感じる絵が掲げられていますが、こんな適当な管理で大丈夫でしょうか・・・?
劣化が心配です。

こんな山の上にある神社にも番地があるんですね~。

神社内にも説明がありました。

光城址と古峯神社のゆかり

この山頂にお城が築かれたのは遠く五百年余りの昔、戦国時代もまだ初めの頃、海野六郎幸元という武将がここに城を築いて自ら光之六郎幸元と名乗ったといわれている。
この海野氏の一族は、そのころ会田、刈谷原、田沢(上の山)、塔ノ原にそれぞれ城を築き、互いにノロシ等を使って連絡し合って栄えていたので、城内の最も高い所でノロシ台のあたりに火の守り神とされる此の古峯神社が祀られてきたものであろう。
やがて戦国時代の末頃、川中島の合戦が近づくや、武田信玄(晴信)の先鋒によって、天文二二年(一五五三年)三月、刈谷原城などとともに光の城も攻め落とされて武田方に従ったということである。

昭和六十三年四月 光南村古峯神社奉賛会

火の神様

手前にお賽銭箱があります。
登山客が多いので、結構入るらしいです。

登山日誌にひとことメッセージを。。。

でっこぼっこ♪ふれーんず♪ の たまご王子が見張り役。

光城山 登山日誌 思い出の箱

登山日誌だけでも数十冊はあるでしょうか。
すごい!!

山頂付近は平らな公園みたいになっています。
お花見におすすめです。

桜が咲く前にもかかわらず、たくさん人がいました。

桜が咲いていない時期は、“お山見” で・・・。