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安曇野市 観る

鶴王山松尾寺|桜、水芭蕉、牡丹、藤棚がきれい|安曇野市穂高

高野山真言宗のお寺で、山号は医王山。本尊は薬師如来で、近江の湖水より出たと伝えられています。
本堂は昭和34年に国の重要文化財に指定され、室町時代末期の特徴を残した全国的にも珍しい造りの建物です。

お寺周辺には、桜、水芭蕉、カタクリ、藤棚、ボタン・・・など、季節によっていろいろな花が楽しめます。

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【問い合わせ先】
鶴王山松尾寺 電話 0263-83-4171

山麓線沿い、鐘の鳴る丘の隣にあります。
この石標があるところを入っていきます。

参道

向かって左側はみごとな杉林

正面が松尾寺、駐車場は左折したところにあります。

こちらが駐車場。ただの空き地じゃないですよ。

鶴王山 松尾寺

鎌倉時代~室町時代にかけて北安曇から南安曇野一部を治めていた仁科氏によって、一五二八年に建立されたと伝えられる。
一八七〇年廃仏毀釈によって廃寺となるが再興し、現存する薬師堂(本堂)は、仁科氏文化の特徴を反映した豪壮優雅な建物として一九五九年に国の重要文化財に指定される。

中部北陸自然歩道 環境庁
「信濃路自然歩道」 長野県

お寺の方へ・・・

湧水でしょうか。水量がすごいです。

仁王門

廃仏毀釈の時も残っただけあって、年季が入ってます。

仁王像ではなく・・・仁王様の絵
阿形

吽形

水車小屋があり、その周りは水芭蕉が咲く湿地帯になっています。

むかーし、むかし・・・あるところに・・・
というフレーズが良く似合う小屋。

もちろん茅葺屋根

水子地蔵

水子地蔵のところにある手水鉢

お寺の説明が書いてありますが・・・後半が消えかかっていたので解読できませんでしたが
おそらく先ほどの説明書きと同じような内容のものだと思われます。

南無大師遍照金剛

僧侶らしき像が2体と、お祈りする人の像が1体入っていました。

まじまじと見ると・・・ちょっと怖いです。

カタクリが咲いていました。

ショウジョウバカマ

スイセン


石仏が何体も並んでいます。

松尾寺はこの階段を登った所にあります。
光の加減だと思いますが、お寺の部分に薄いピンクのモヤモヤが・・・

松尾寺のオーラ? 心霊写真じゃないですよね?

石段を登ります。 何段あったかは??です。

上からの眺め。

千度石

お千度参りができます。

お寺の周りにある杉は、太いものが多いです。

お寺に寄付をしてくれた人のリストが石に刻まれています。

室町時代に建てられたという本堂

正面

本尊は薬師如来ですが、特に公開はしてないようです。

数息観修養道場とあります。


松尾寺本堂の優れた特色について

松尾寺本堂は桁行三間、梁間三間、寄棟造りの堂として建てられているが軒の出を非常に深くし、軒支柱を建立当初から建てて五間堂の形式とも思われる構法をもって構成されている。
このような建物は全国的に少ない。また化粧隅木の正面側の左右二本は下から見上げた時、身舎(しんしゃ)丸桁を境に内部と外方とにおいて「く」の字型をなしている。これは平面の外陣部隅柱間を仕末するためになしたもので、この建物以外に全国に例のないものである。
舟肘(むなひじ)木の形式も実に美しく、縁廻りに立つ支柱が縁柱を兼用し、面を大きく取り、室町時代の特徴をいかんなく発揮している。
地垂木(じたるき)の曲線においては反りが強く実に美しい。
巻斗が正方形であり不思議に思われるが、この例は当地方大町の盛蓮寺にも見られて、室町末期頃この地方における巻斗(まきと)の地方色によったものと思われ、内陣虹梁の「サバシリ」木鼻、実肘木の絵模様、「カエル又」鬼板の彫刻等もよく室町時代末期の優れた特徴を有し、全体的に形をよく形成し、豪壮優雅にして、信州における同時代を知るもっとも貴重な建築物の一つである。

重要文化財松尾寺本堂復元工事監督 広瀬 沸
昭和四十四年三月建之
重要文化財松尾寺本堂保存委員会

寄棟造で、内陣の虹梁さしばり・木鼻・肘木の絵模様・鬼板の彫刻などが特徴的な建物。

どこが虹梁さしばり?木鼻?肘木?かは・・・
こちらのサイトを見るとなんとなくわかるかも。

鳥避け?のネットでしっかりガードされています。

火災報知機&消火器もバッチリ装備。

この屋根の反り返り具合も貴重なんでしょうね。

屋根には鬼板と呼ばれるものがついています。

鬼のお面みたいなのがにらみをきかせてます。

松尾寺周辺は公園として整備されており、中でも20mほどある藤棚は有名です。

まだ咲き始めで、あまりきれいじゃありませんが、満開になると見応えがあります。

藤の花が咲く前は、桜が楽しめます。

藤棚の下に所々、設置されているイス。

藤棚を抜けたところは、広場になっています。

ちょっと老朽化したベンチやテーブルがあります。

こじんまりとしたお寺ですが、季節ごとにいろいろな花が楽しめる静かなお寺です。

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観る 軽井沢町

旧三笠ホテル|上流階級の愛した軽井沢の鹿鳴館|軽井沢町軽井沢

日本人が建造した純木造西洋式ホテルとしての価値が評価がされ、1980年に国の重要文化財に指定されると同時に一般公開された。
また、明治、大正、昭和にかけて多くの政財界・文化人らの日本の上流階級に愛され「軽井沢の鹿鳴館」と呼ばれた。

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正面入口の解説版には旧三笠ホテルの歴史と建物の特徴についての解説がされている。一読してからの入館をお勧めする。


1906年(明治39年)に日本郵船や明治製菓の重役を努めた実業家山本直良が日本の建設技術により建設し、この三笠ホテルを開業した。


設計はアメリカで建築設計を学んだ岡田時太郎、又監督・棟梁・施工の全てが日本人の手によって建築されたことに大きな意義がある。


純木造西洋式ホテルとしては我が国唯一のものでありデザイン・構造設計にも、優れ歴史的価値がある。


八角の塔屋をはじめ、随所に西洋建築のデザイン、技法が施されている。


正面玄関を入り、館内の宿帳をみると時の大物政財界人・文化人等の名前が記帳されている。その他にも歴史的な価値のある資料が多く公開されている。


中央二階の吹き抜部には、洋風建築の特徴である三角屋根、そしてアーチ型の窓枠で設計されている。


暖炉の煙突は建物全体に調和し、3本の煙突が絶妙にバランスしている。


軒下を支える湾曲したブラケット(腕木)は優雅に軒を支え、建物全体に重厚感を与えている。


太い縁取りの窓枠のデザインが建物全体に安定感を与えている。


幾何学模様にデザインされたガラス窓は建築当初からのガラスがそのまま今も残されている。

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松本市 観る

大宮熱田神社|重要文化財で室町時代建築の本殿|松本市梓川

松本市梓川にある大宮熱田神社をご紹介いたします。
旧梓川村は松本平の中心地を西から見下ろす位置にあります。南には梓川という清流が上高地・乗鞍岳方面から流れこんでいて、広大な田畑の間に昔から風情のある大きな家が並んでいる落ち着きのある地域です。

松本インターを出て上高地・高山方面に走り新村の信号を右折、梓川を渡り倭(ヤマト)という信号を左折して西山に向かい走ります。りんご畑が延々と続いている中の道沿いの角に看板が立っています。神社近くになると大きな森が見えてきます。その先にりっぱな神社の鳥居が現れます。びっくりしました、大きな鳥居とその中は特別な空間という地帯です。

大宮熱田神社の始まりは、大昔この地域(安曇野)を開拓する際に梓川の恩恵を授かるために守護神として祀られたのが起源と言われています。場所も現在とは異なり、松本平を一望することのできる本神山の山頂(1283m)でした。その後、現在場所へ移動し、梓水大神・熱田大神・天照大神・八幡大神が合祀され現在の大宮熱田神社となっています。

長野県松本市梓川梓北北条4396 ‎0263-78-2040‎
[googlemap lat=”36.230961″ lng=”137.845269″ width=”575px” height=”300px” zoom=”11″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県松本市梓川梓北北条4396[/googlemap]

りんご畑の角に立てられています。
看板
りんご畑がまだまだ延々と続いている中に看板を見つけました。西山が迫って見えます。

鳥居と石灯篭その奥には樅の木の大樹がみえます。
神社北側より
杉林の一帯の中に入り口が右手に見えました。大きな石の灯篭とりっぱな鳥居です。

神社名の石柱と樅の大樹の案内
白い柵の奥に大樹の枝が見えます。とっても太そうですね。

奥深い神社の正面です。
鳥居には大宮大明神と書かれています。周りは杉木立、その奥には神楽殿が見えています。

神社入口看板
竹林と杉林が塀からはみ出すほどです。木の看板があります。

南側道路沿い石塀が続いていて道路が平行して走っています。
ずっと石塀が続いています。ここも樹木が道路に溢れそうですね。

入口の案内板には立派な屋根がつけられています。

大宮熱田神宮の祭神・例祭・本殿案内板
祭神:梓水大神、熱田大神、天照大神、八幡大神の霊験あらたかな神が祭られています。
例祭:宵祭 4月28日 獅子舞5組 本祭: 4月29日
獅子舞1組 本殿:流造(室町時代)末社:見世棚造(室町時代)国宝指定(昭和24年2月19日)重要文化財指定(昭和
25年8月29日)と記されています。歴史ある神社のようです。
お祭りの獅子舞の当番も書かれています。地元の大事な守り神様なのですね。

鳥居の横に樅の大樹が寄り添うように立っています。
長野県天然記念物で県下一のモミの巨木です。天高くまっすぐに伸びています。直径はどの位あるのでしょうか。
直径2m位でしょうか。

樅の木の説明が書かれています。
こちらの案内板も屋根がついていますね。長野県天然記念物「梓川のモミ」とありこの巨木は、樹姿端正、樹勢旺盛な点はこれをしのぐものは見られないと書かれています。
目通り周囲6.3m・高さ43m・御神木であり樹齢700年です。今でも樹勢旺盛とは?きっとこの風土や水の力をかりての元気度でしょうか、あやかりたいものですね。一度必見ですよ。

手水舎
ここにも立派な屋根がついています。雨が降っていてもこの屋根があれば大丈夫、必ずお清めしてお参りしましょうね。水桶も立派な大きな石で造られています。

大きな水桶の中に竜が3匹。
竜が3匹・竜の口からお清めの水が。これも梓川からのお水なのでしょうか。

良く出来た竜です。
竜アップ
あまりにもリアルで今にも水の中から飛びかかってきそうな気配がしました。芸術的でもあります。

杉木立の中に参道が続いています。
拝殿横まで続いています。ここにも屋根付きの灯篭が並んでいます。

少し坂になりますが、神楽殿が中央その周りには杉木立が。
入り口正面に建てられています。例祭の時はここで獅子舞が奉納されるのでしょうか。その奥には拝殿の屋根が見えますね。

神楽殿の屋根周り
屋根の4隅にはお洒落な灯篭が。

杉木立の中に神楽殿が。
拝殿から見た神楽殿
こちらが正面になるのでしょうか?ここで獅子舞が奉納されるのですね、舞うところを見たいものです。4月28日・29日2日間ですね。

神社の由緒など書かれた案内板

由緒:梓水大神は約1100年前の歴史書である三代実録に、清和天皇の貞観9年に神徳の高きにより、従五位下が贈られたと記載されている霊験あらたかな神で広く崇敬されてきました。後世に到り、祭事や参詣者の便のために清浄な地を選び神殿を造営して鎮座し、更に熱田大神、天照大神、八幡大神が合祀されたのが現在の神社であります。今日神鎮りますご本殿は室町時代(約450年前)の建築であり国宝に指定され現在は国の重要文化財として保護されています。本神山麓一帯は「神
道原」「宮ノ上」「大門」「宮ノ前」「朱引門」などと神社につながる地名が現存して居り、昔の神域の広大さを偲ぶことができます。旧幕時代には二町四方の広き境内を有し、古来地方のまれに見る大社として「大宮」「大宮大明神」と尊称されてきました。江戸時代には代々の松本藩主の崇敬が厚く、度重なる御祈祷が行われ神領を始め、神額や各種の金品の奉納があり境内の整備や社殿の修復のためしばしば重職が派遣されたと伝えられています。昭和の終戦時までは、県社の社格を有し、毎年の例大祭には長野県より献幣使が派遣され幣料が奉納されました。
例祭:4月28日・29日 伝統の獅子舞
御神徳:身体健康・延命長寿・家内安全・農耕治水・交通安全・建築守護
本殿:室町時代の建築であり各所に珍しい手法を用いた地方色豊かな、総体的に見て実に優美な建築物である。
末社御本殿:この本殿には更に地方色というものが見られない見世棚造りとしては全国的に見て規模の大きな方で立派な建物である。
御神木:天然記念物 樅(もみ)の大樹 樹齢700年
「ねづこ」の古木 神社1番の古木 目通り4.5m・高さ40m 樹齢推定1000年以上等と案内されています。とにかく由緒のある古い神社ですね。

絵馬殿、少しいろあせていますが古い絵馬が沢山奉納されています。
屋根付きの建物の中に奉納神額の数々。ガラス張りのケースに収められています。
天孝天皇:君がため春の野にいでて若葉つむわがころもでにゆきはふりつつと詠まれています。

木で壁にかかっています。
絵馬殿内の奉納書、労力奉仕、桧丸柱、施工、宮司など奉納された方々の氏名などが書き記されています。昭和48年5月8日。

木板に書き記しが。
澄宮殿下
金六千?と書いてあります。いくらなのでしょうか?
入学記念、学業成就祈願の額もあります。

絵馬
鳥の絵馬(学業成就)学問の神様の絵馬などいろいろ並んでいますね。よく見ると母奉納とありますが、ご自分のこどもの為に願いを込めて奉納されたんですね。

狛犬
拝殿横にいる狛犬です。榊の木も並んであります。足元にはまりでしょうか?ふっくらとした狛犬です。

拝殿右側
ここにも屋根付きの灯篭です。お札返しの籠、おみくじ結び、狛犬が。

落ちついた造りです。
社務所、拝殿の右側にありますが、今日はひとけも無くひっそりとしています。

しめ縄がド~ンとはられています。
両脇には提灯、菊のご紋の賽銭箱、とても太くて大きな立派なしめ縄です。

拝殿屋根アップ
萬歳という額がかかっていて、千社札も屋根のはりに貼り付けてあります。
それにしても、みごとなしめ縄です。

賽銭箱
菊のご紋入りの賽銭箱です。
小銭には似合わないですね、やはりお札でしょうね。

古い小さな社です。
拝殿の右奥にひっそりと。

社横
社横には絵馬がかけられています。

本殿の案内板
重要文化財指定 一間社流れ造り 妻入、杮ぶき板茸。
本殿は拝殿より奥の壁に囲まれた中心にあり残念ながら近づけません。屋根の流れが優美で総体的に均斉のとれた建物であると記されています。

拝殿斜め右側から
堂々とした拝殿全景です。屋根先が珍しい形をしていて美しいバランスです。

拝殿屋根先アップ、珍しい形です。

石灯篭
苔むして、3本まとまって立っています。

拝殿斜め左側から
後ろには杉木立がひかえています。この時期でも深い緑に覆われていました。

拝殿屋根
丸い柱が3本のってます。

祈願名簿
御祈願希望の方は名簿へご記入くださいと机の上に手帳がありました。毎朝「日の出」の時刻に皆さんのお名前を神前に捧げ身体健康・延命長寿・交通安全のご祈祷が奉仕されているようです。

例大祭神供物奉納者板
多くの方たちの奉納がありますね。

交通安全祈願

石垣の上に社が乗っています。天八街社(アマノヤチマタシャ)交通安全守護。かわいらしい社です。

根っこがドッキングしてます。違う木の種類ですね。
縁結び仲良しの木
ご利益があるようにひとなでしました。

ねづこの木
樹齢推定1000年以上という御神木の古木ですね。
長生きの木とも記されています。しめ縄がはられています。

八王子社
五男三女神:病気平癒・ボケ封じの神です。裏が竹林で小さな社ですが、やはり石垣にのってます。

天神社
菅原道真公:学業向上・入試合格 

松杉相生の木
松の木と杉の木の根元が一緒になってます。
縁結び・仲良しの木です。

釜神社
奥津彦神(身体健康)火産霊神(火災除去)・奥津姫神(延命長寿)

境内杉林と石灯篭
苔むした杉の木と石灯篭が沢山並んでいます。

南側出口
境内が広いので南側にも出入り口がありました。

南側からの様子です。
入口には御柱が、石灯篭がどっしりとしています。

ひんやりとした広い境内を歩いていると、歴史のある神社の懐にすっぽりと入り込んでしまった感じがしました。水の守護神と言われていますがこの地に流れている水が杉の木・樅の木に脈々と流れ込み樹勢旺盛な木に育っているのでしょうね。また、霊験あらたかな神様がいらっしゃって守られている空間と思うと気持ちがとても落ち着きました。そろそろ2010年に入ろうとしています。神社はこれからが大忙しでしょうね。機会がありましたらこの空間を味わいにお参りに行かれたらいかがでしょうか。元気になりますよ。

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おひさま 松本市 観る

大正ロマン漂う校舎が文化会館に|旧制松本高等学校|松本市

旧制松本高等学校は、大正時代の木造洋風建築の校舎の一部が今も保存され、そのまま活用されているめずらしい例の建物。学校建築史上貴重な建築物として、平成19年に重要文化財に指定されました。

保存されている建物は、NHK朝ドラおひさまのロケ地として、撮影にも使われた建物です。

現在では、教育文化施設としてサークル活動、コンサート、展示会など幅広く活用されています。
記念館以外は無料で自由に見学することもできます。

場所や行き方などは、あがたの森公園と同じなので、そちらを参考にしてください。

本館の前にある、あがたの森文化会館の案内看板

平成10年度の利用者は177388人だそうです。

【開館時間】
文化会館 9時~22時(日曜日9時~17時)
図書館 10時~19時(土・日曜日10時~17時)
旧制高等学校記念館 9時~17時
【休館日】
毎週月曜日、12月29日~1月3日、国民の祝日

館内の全体図

本館の向かい側にあるのは講堂

別角度から

コンサートや展示会など幅広く活用できます。

建物の特徴
 建物は、西洋建築様式を簡略化して応用した洋風木造建築で明治時代の末期から大正時代前期にかけての代表的作例といわれており、明治期のナンバースクールの中央入り左右対称形ではなく隅入りコの字型である。本館の入口は道路に直面していて明治期の権威的で荘重な表現から機能的で親しみやすいものとなっている。また、玄関正面の万サード屋根、窓の配置、講堂屋根上の換気用小塔に意匠的工夫がこらされている。
~旧松本高等学校パンフレットより~

本館を入ってすぐのところにある階段

なかなか絵になる階段です。

真正面から

希望に満ち溢れた感じがします。

階段も良く見ると凝ったデザインになってます。

柱の部分も細かい模様があります。

階段のあるところの天井にはシャンデリア

コンセントは木目調

大正ロマンのイメージを壊さない工夫ですね。

天井もおしゃれ

廊下の電気がついている天井もちょっと凝ったデザイン

ドアノブもこれまた歴史を感じます。
ザ・鍵穴!!鍵穴らしい鍵穴です。

1階の入口側から見た復元校長室の方の廊下

廊下はちょっと狭い?走ると危険。

復元校長室

自由に入って見学できます。

 校長室の広さは、4間×4間の16坪であり、小さな会議が開けるようなゆとりがある。旧制高等学校の校長は、文部省によって選任され、かなりの権限を有していたが、その教育は、文部省つまり国家の意向とは異なり、校長や教師そして生徒の自覚によって、自治と自由を重んじつ先進的なもので、いわば自由・平等・友愛の理念が息づく学園であった。

 松本高等学校は、大正8年9月に開校し、校長室のある本館が完成したのは、大正9年8月であった。初代校長茨木清次郎は、在任期間2年6ヶ月中この校長室での執務は、1年2ヶ月に過ぎない。大正10年9月に特別教室棟が、対象11年8月に講堂が完成し、落成祝賀式を行ったのは、第2代校長大渡忠太郎であった。ヒマラヤ杉(現在59本)の植樹など、植物学者としての才覚を活かした造園に取り組んで高原の学び舎という環境を造成し、自由闊達な校風の創成に力を注いだ大渡校長の功績は大きい。

 4代校長のあたりから、のびのびとした松高にも激動の時代を反映した左翼思想事件などの様々な事件も起き、校長にとっての苦悩の時代に入るのであるが、校長室の椅子に座ってかつての松高時代を偲び、何かを感じ、そして学び取るようにしたい。
~旧松本高等学校パンフレットより~

校長室の真ん中には、ちょっとした会議に使えそうな椅子と机

明かりはもちろんシャンデリア

校長先生の椅子と机

座ると校長先生気分になります。

鏡台のようなもの

鏡の両脇には3つずつフックがついており、服や帽子なんかをかけられるようになっています。
下は収納スペース。

今度は1階の南棟の方へ向かってみます。
正面玄関のすぐ脇には、ブックポストと街頭端末、パンフレット置き場があります。

許可を得れば、パンフレットを置いてもらえるようです。

図書館で借りた本を返却するブックポストと松本市総合行政情報がわかる端末が設置されています。

あがたの森図書館

学校の図書館といった感じで、それほど広くはありませんが
窓や腰壁の造りがいい雰囲気の、あたたかい感じの図書館。

こちらは子供図書スペース

靴を脱いで、ゆったり読書ができます。

1-1の方から見た廊下風景

校舎の南側は教室がずら~り。

復元教室

ちなみに「理科第三学年乙組」
天才ばかりが集まっていそうなカタイ組名です。

教室の中の様子

教卓には説明書き

 この教室の大きさは、木造建築の基準である4間×5間で、戦前の小・中・高校の普通教室の標準の広さであり、現在の教室から見れば、やや狭いと言えよう。クラスの定員は、40名であるが、昭和9年から13年までの入学者の定員は、経済不況を考慮して30名に減らされている。

 松本高等学校と同じく第一期地名校のクラス編成は、文甲・文乙・理甲・理乙の4クラスであったから、普通教室は、本館の1階に5教室、2階に7教室の12教室が設置されている。第二期地名校からは、文科か理科の1クラスが増え、1学年5クラスの編成となったので、本館には、15教室が設置されていた。

 日本の学校建築では、明治の末ごろからは、保健的見地から普通教室を南面させるよう、次いで東面させるように指導されている。したがって、隅入りコの字型の本館の平面は、この原則が基本に設計されている。

 明治になっての日本の学校教育では、学業成績による順位付けが重視され、教室の座席も成績順で決められることも多く、その伝統が維持されていた高等学校もあったようだが、松本高等学校では、氏名の五十音順で座席が決められていた。小さい奴が後ろに隠座し、大きい奴が最前列で鎮座したり、ちぐはぐでユーモラスな風景が感じられた。

教室の明かりは裸電球1つだけ

校長室のシャンデリアの1つを分けてあげたい。。。

机と椅子は合体型

これなら椅子をガタガタさせることができなくて、落ち着きの無い子にはバッチリ。(そんな子は、松高に入れないでしょうけど。)
でも、掃除の時は大変そう・・・。

机の上にはドリンクホルダーみたいな溝があります。
何のためでしょう?

鉛筆が置けそうな細長い溝も気になります。

廊下側には格子の窓が一つ。

よく見ると防犯カメラ付き。

黒板に落書きする人がいるみたいです。
重要文化財なので、落書きは絶対いけません。

廊下には体操服などをかけられるフックが人数分ついてます。

何気に再現内容が細かい。

トイレは南校舎の中間あたりにあります。

とってもきれいなトイレ。
身障者用にはベビーシートも完備されています。

温水洗浄便座、センサーライト・・・と、トイレ機能は現代風ですが、壁やドア、天井などは大正の香り。

1階の奥には、生徒課と生徒主事室

階段を登って2階へ・・・

2階の置くにあるのは、会議室と歴・心教官室

2階の廊下

2階の廊下からは、中庭がよく見えます。

青少年の居場所

青少年が気軽に集まって安らげる場所だそうです。

松本市内には、6ヶ所の青少年の居場所があり、あがたの森文化会館もその一つ。
施設によっては、スポーツができる施設もあるようですが、あがたの森文化会館は、学習専用です。
この校舎で勉強すれば、受験勉強も捗るかも?

※使用する場合は、必ず公民館(事務所)の窓口に寄って手続きをしてください。
毎週 火~金曜日 午前9:00~午後7:00
毎週 土・日曜日 午前9:00~午後5:00

本館には立派な中庭があります。

ここにある門は特別。

5箇所にあった門も今ではたったひとつしか残っていません。

解体撤去されて野積みされていたのを復元したそうです。

中庭で、ひときわ目をひく銅像

まぶしい~っ!!

中庭はちょっとした迷路のよう。

奥のほうにも、肩に鳥をのせて気どっている銅像
その名も「岳人」

中庭から見た文化会館

中庭から見た旧制高等学校記念館

旧制高等学校記念館

校舎に保存していた資料の調査・保存のために建てられて記念館です。

2階は展示室になっています。

【開館時間】午前9時~午後5時(最終入館4時30分)
【休館日】月曜(祭日の場合は翌日)、12/29から1/3
【入館料】大人300円、小人(中学生以下) 無料

1階の入口には、学生の銅像がお出迎え。

記念館の1階はギャラリーと喫茶店になっています。

喫茶店

ちょっと小腹が空いたら寄ってみましょう。

あがたの森文化会館パンフレット(PDF)
【TEL】0263-32-1812
【FAX】0263-33-9986

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松本市 観る 買う

日本最古の小学校|旧開智学校|松本市

松本市にある旧開智学校は、日本で最古の小学校です。建物の外観はもちろん中に入ることでもできます。当時の授業で使っていた机や椅子、ノート代わりの小型黒板など昔の日本の学校を見ることができます。
現代の電子黒板とはかけ離れたものを見ることができます。
建物は明治時代の代表的だったという擬洋風建築のため、洋風か和風なのか分からない絶妙なデザインをしています。和室に絨毯というオーソドックな感じではありません。

ご覧ください。