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佐久市 観る

龍岡城|函館と佐久、日本に2つしかない五稜郭のある城跡|佐久市田口

龍岡城は、長野県佐久市にある近代城郭跡で、昔は龍岡藩の藩庁が置かれていた場所です。
築城時の堀仕様が稜堡式築城法を使ったため、いわゆる函館と同じ、五稜郭となりました。

函館五稜郭址が四年前完成しており、日本の城址でただ二つの貴重な洋式城郭となっています。

国指定の史跡で、現在城跡には佐久市立田口小学校があります。
五稜郭の堀の内部には神社もありお参りをすることもできます。

住所:長野県佐久市田口2981
電話:0267-82-0230
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龍岡城五稜郭の看板

日本に二つ龍岡城五稜郭。
函館と佐久にしかないという訳です。

五稜郭の堀

キレイな石垣が残っています。
堀には桜が植えられており春には桜の名所となるそうです。

堀に水草

龍岡城五稜郭の大手門

メインの入口は橋がかけられています。
ここで記念写真を撮っている方がいました。

大給恒の銅像

大給 恒(おぎゅう ゆずる)は、三河奥殿藩の第8代藩主。のちに信濃田野口藩(竜岡藩)の藩主。奥殿藩大給松平家10代。江戸幕府の老中、若年寄。明治時代の政治家・伯爵。日本赤十字社の創設者の一人として知られる。旧名は松平 乗謨(まつだいら のりかた)。Wikipediaより

銅像の説明書き

銅像をアップ

史跡の案内

説明看板

歴史たっぷりの説明看板がありました。

しかし読めない・・・

昭和九年に文部省によって掲げられたもので、これ自体が歴史になってしまいそうです。

石柱

こちらは昭和十年に建てられたものです。

龍岡城五稜郭の説明

こちらは読めますね。

説明書き

この五稜郭は幕末の動乱の時期に作られたということです。
坂本竜馬が死亡した、慶応三年に竣工されているので最近と言えば最近の感じもします。
ちなみに総工費4万円ということです。

五稜郭の平面図

右上のブルーの無い場所は現在、堀として水の無い部分です。

大手門の橋

かなりしっかりした橋が架けられています。

五稜郭の堀と欄干

城跡は佐久市立田口小学校です。

大手門から入ると、グランド側に出ます。
堀のある小学校とはある意味、安全な気がします。

内側も石垣がきれいに残ってます

これは、小学校卒業生の贈り物

昭和44年の卒業生で、標高と緯度経度が示してありました。

田口招魂社もあります

五稜郭の中にあります。

田口招魂社

殿様と招魂社の由来について

非常に難しい内容が書かれました、由来なのか沿革なのか難しいです。
ぜひ、現地でご覧になってください。

大きな紅葉の樹

紅葉の時期はすごそうです。

手水舎

手水舎は使えない状態

拝殿

狛犬左

狛犬右

拝殿の賽銭箱

拝殿の内部

神社自体は無人ですが、かなり片付いており、普段から使われている感じがします。

拝殿からの渡り廊下

隣の建物に続いていました。

拝殿隣の建物

トイレ

花見の時期は賑わいそうですね。
普段は使われていない感じです。

本殿

近代的な柵がついてます。

本殿の後側

本殿裏の五稜郭堀

現在は堀の一部は道路

堀のなくなった部分も石垣を直してました。

五稜郭の説明書き

ところどころに説明看板がありますね。

説明の内容

日本で2つしかない五稜郭です、「函館まで行けない」「函館出身だ!」というはぜひ佐久の五稜郭を見学してみてください。

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安曇野市 観る

光城址(古峯神社)|光城山の頂上にある山城|安曇野市豊科

光城山の頂上にある、海野氏の一族、光氏によって築かれた山城。
ノロシを使い、連絡しあう役割もしていたようです。
本郭の中心部には火の守り神を祀る古峯神社があり、登山客などがお参りしていきます。

麓から歩いて登ることもできますが、車で山頂まで行くこともできます。
今回は光城山を車で登ってみるコースで行ってみます。

光城山を歩いて登るコースはこちらを・・・。

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頂上へと行ける道の入口

この看板だけが頼りです。細い道でわかりにくいかもしれません。

林道の道端には桜が満開

狭い道幅ですので、すれ違いに注意です。

頂上付近まで行くと、大きな地図があります。

現在地はこちら

この地図があるところを左折します。

ちなみにここから歩くと徒歩5分で山頂です。

一応駐車場はありますが、5台でいっぱいいっぱい。

桜の季節に駐車できればラッキーでしょう。
満車の場合は下から登るしかありません。

駐車場のある辺りはアカマツの林が広がっています。

林間広場(多目的生活ゾーン)という場所らしいです。

広場っぽくないし、多目的生活ゾーンって・・・ホームレス歓迎みたいな??
不思議な広場です。

光城址(古峯神社)

だいぶ年季が入った案内板です。

去年新しく設置された新しい案内板

おじさん熟読中・・・

光城跡

安曇野市内では規模の大きな山城で、鎌倉時代にこの地に来住した海野氏の一族、光氏によって戦乱の激しくなった戦国時代(十六世紀)に築かれたと考えられる。
犀川右岸丘陵上の尾根道南端を固めており、武田氏の松本平進攻に対しても、兵を配備し籠城したとみられる。しかし、天文二二年(一五五三)、刈谷城攻めに際し戦わずして落城した。その後、天正十年(一五八二)に松本城主となった小笠原貞慶によって修復されたと考えられる。

平成二十年十月二十九日  安曇野市教育委員会

これが光城址(古峯神社)です。

ボロい建物ですが、人気は上々↑↑

手水鉢は扇形をしてます。

神様からのお願い

火を祀る神社だけあって、火事には特別に注意している感じです。

梁には文字がいろいろと書かれています。

時代を感じる絵が掲げられていますが、こんな適当な管理で大丈夫でしょうか・・・?
劣化が心配です。

こんな山の上にある神社にも番地があるんですね~。

神社内にも説明がありました。

光城址と古峯神社のゆかり

この山頂にお城が築かれたのは遠く五百年余りの昔、戦国時代もまだ初めの頃、海野六郎幸元という武将がここに城を築いて自ら光之六郎幸元と名乗ったといわれている。
この海野氏の一族は、そのころ会田、刈谷原、田沢(上の山)、塔ノ原にそれぞれ城を築き、互いにノロシ等を使って連絡し合って栄えていたので、城内の最も高い所でノロシ台のあたりに火の守り神とされる此の古峯神社が祀られてきたものであろう。
やがて戦国時代の末頃、川中島の合戦が近づくや、武田信玄(晴信)の先鋒によって、天文二二年(一五五三年)三月、刈谷原城などとともに光の城も攻め落とされて武田方に従ったということである。

昭和六十三年四月 光南村古峯神社奉賛会

火の神様

手前にお賽銭箱があります。
登山客が多いので、結構入るらしいです。

登山日誌にひとことメッセージを。。。

でっこぼっこ♪ふれーんず♪ の たまご王子が見張り役。

光城山 登山日誌 思い出の箱

登山日誌だけでも数十冊はあるでしょうか。
すごい!!

山頂付近は平らな公園みたいになっています。
お花見におすすめです。

桜が咲く前にもかかわらず、たくさん人がいました。

桜が咲いていない時期は、“お山見” で・・・。

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Topics 松本市 観る 遊ぶ

第24回国宝松本城氷彫フェスティバル|冬の松本城と氷彫コンクール|松本市丸の内

1月23日(土)~24日(日)にかけて、松本城公園で「第24回氷彫フェスティバル」が開催されました。
このフェスティバルのメイン、「氷彫コンクール」は、23日午後6時から24日午前6時まで徹夜で作品制作が行われ、できあがった氷彫は間近で見学することができます。

去年に引き続き、平田謙三、浩一親子チームの『“希望の未来へ”』が金賞を受賞しました。

松本城をバックにキラキラ光る氷の彫刻は、お見事!!
溶けてなくなってしまうのがもったいないです。。。

コンクールだけでなく、他にもいろいろなイベントが開催され、今年も多くの家族連れなどで賑わいました。
そんな氷彫フェスティバルの様子と、冬の松本城の様子をご紹介します。

氷の彫刻があるのは、松本城公園。無料で入場できます。
[googlemap lat=”36.2385″ lng=”137.970139″ width=”575px” height=”300px” zoom=”14″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県松本市丸の内4−1[/googlemap]

周辺に駐車場はたくさんありますが、入口に近い方から順にすぐに満車になってしまいます。
こちらは、市営駐車場。一回300円。
なんとか停めることができました。

時間が経つにつれ、氷彫刻も溶けてくるので、早めに行く方が良いかもしれません。

松本城の入口

人がいっぱい、自転車もいっぱい。
小さい子の迷子放送がよく流れていました。

氷彫フェスの会場地図

氷彫コンクールエリアでは、カメラ片手に氷彫刻観賞する人たちで賑わっています。

では、コンクール出品作品を一挙ご紹介。

1、チーム札幌 『ブルーマーリン』
高澤直之 吉川恭一

ブルーマーリン(黒カジキ)が大海原をジャンプする一瞬をとらえた作品を彫刻します。荒々しさと迫力のアル作品にしたいと思います。子供達の笑顔の為にがんばります!

2、TEAM SAKAMOTO 『遥か』
坂本秀明 竹内寛泰

子供達には想像力を、親たちには、子供達への遥かな思いを感じてもらえる作品にしたいと思います。

3、アイスアートクラブトヤマチームA 『飛翔~夢に向かって~』
楞谷貴志 浅田浩二

子供達が大きな夢に向かって、未知なる世界へ飛躍するように願いをこめた作品にしました。月と太陽は宇宙をイメージし、ペガサスは夢に向かい、力強く躍進する子供達の姿を映し出しました。

4、平田謙三、浩一親子チーム 『“希望の未来へ”』
平田謙三 平田浩一

希望の未来に向かって優雅にまう鳳凰と女性像を、躍動感あふれる作品で表現したいです。

5、ウェスティンナゴヤキャッスル 『未来へのはばたき~平和を願うリボン~』
安江洋輔 稲垣雄也 

近年、色々な活動にたいしての象徴に使用されるリボンを氷彫刻にも取り入れて、見ていただく方々にも身近にリボンというものを理解していただきたい。そのリボンに対しての感じ方や思いを持ち、その活動に賛同できれば、あたたかい心が通じ合うのでは・・・

6、帯広チーム 『SEA HORSC』
中村順一 芥川寸美礼

馬と竜落子を自分なりに掛け合わせてみました。想像上の動物で神話等に出てきます。海馬又はシーホースと呼ばれている、シーホースが海の中を優雅に泳ぐ姿を描いたものです。あなたはどう思いますか?

7、軽井沢プリンス・八重洲富士屋ホテルチーム 『夢想』
小林義明 本橋謙二

豪華で優雅、かつ、気品ある夢のような作品にしたいです。

8、ジャパン・イマジネーション・フーズ(株) 『春光』
中野徳二 元木文男

新春を迎え、経済の状態が大変悪い中!世界全体に暖かく明るい光を射し込むよう、今回は「春光」と名付けました。氷彫刻を始めて満33年。新春を迎えて数74歳になりますが、今年も国宝松本城氷彫フェスティバルに参加が出来ることを大変喜ばしく思っております。製作品が市民の皆々様に見ていただき、感動をしていただけるように努力し頑張りたいと思います。

9、グリンデルワルト 『ハイジとペーター Heidi und Peter』
ブルーノ・カウフマン ロマン・ラース

ハイジとペーターはスイスのアルプスに住む幸せな子供です。山での素朴で自然な生活を通して、友情・希望・信頼を見にもって学び、素晴らしい未来の決断と確信を得ていきます。

10、鶴見氷彫刻Bチーム 『夢へはばたけ』
山口裕昭 黒川知恵子 

大白鳥が大きく羽を広げて大空へはばたく瞬間を、子供達が夢へ向かって大きく羽ばたいてゆく様子と重ね合わせて表現していたいと思います。大きく広げた羽根をきれいに仕上げ、見ている人たちに感動を与えられるような作品に出来るよう、全力で頑張ります。

11、富山アイスアートクラブB 『DINOSAUR(ダイナソー)白亜紀の闘い』
亀山研介 澤崎嘉仁 

共に白亜紀(約1億4550万年前~約6550万年前)に生息していたとされる、獣脚竜で最も現代で人気のあるティラノサウルスと、翼竜の中で最も美しいといわれているミクロラプトル。この両者が、もし闘ったらどちらが勝つのだろうと、想像しながらデザインしました。子供達の想像力をかきたてるような、臨場感ある闘いを表現できたらと思います。

12、ラ プラージュ 『出発(たびだち)』
堀田悟 堀田匠人

白鳥が水面から飛び立つ様子を彫りたいと思います。

13、鶴見氷彫刻Aチーム 『未来へ』
上妻浩二 五十嵐章信

バショウカジキが大きくジャンプする姿をちからづよくさと流れるような曲線で表したいと思います。明るい未来へ向かって大きくジャンプ!!

14、木村・木村チーム 『優美』
木村裕昭 木村周三

女性の美しさ、衣の流れ、全体の優雅さを表現します。

15、長野氷彫倶楽部 『「夢幻」~終・創~』
奥原大介 良波学

無から生み出される新しい力。作品で時の流れを表現したいです。また、会場に足を運んでいただいたお客さんの心に残る作品を目指します。

16、鶴見氷彫刻Dチーム 『希望』
折本直行 水野亮

初めて出場します。仲間と協力してよい作品を作りたいと思います。鮭の荒々しさと躍動感を表現し、勢いのある生命力と、希望に満ちた作品にしたいと思っております。よろしくお願いします。

17、N・Y&Y・M 『ハートにこめて・・・』
山崎紀夫 松井靖

様々な願いが叶うように、気持ちを込めた作品にしたいと思います。

18、鶴見氷彫刻Cチーム 『花精』
市川洋一 佐藤健太

春を待っている花の精を、かわいらしく細かい所まで彫り上げたいと思います。

会場の一角にはデモンストレーションで使われたと思われる氷彫も・・・。

これ・・・「土曜はこれダネッ!」で、アナウンサーの人がハートの部分を作ってました。
まだきれいに残っています。

来場者先着100名が一般審査員として参加し、作品が審査されます。
最高賞である金賞&一般審査員の特別賞を受賞したのは
平田謙三、浩一親子チーム 『“希望の未来へ”』

金賞を受賞した作品は、さっそくテレビ取材。
ちなみにこちらはテレビ信州さん。

取材されている氷彫もあれば、崩れてしまった無残なものも・・・。

きれいな氷彫を楽しむなら、午前中じゃないと溶けちゃうみたいです。

さて、お楽しみは氷彫コンクールばかりじゃありません。
いろいろなイベントが催されています。

スタンプラリー
インフォメーションセンターに設置された用紙をもって、氷彫フェス会場や大名町商店街にあるスタンプを集めます。

先着1000名(各日500名)は、すでに〆切り・・・でした。

侍戦隊シンケンジャーショー

人が多すぎて見えない・・・。

松本山雅FCトークショー

これまた見えない。さっきよりマシ?

他にもステージではじゃんけん大会やコンサート、ダンスパフォーマンスなどいろいろあったそうです。

松本城北西側にあるおたのしみ広場では、フリマや物産品の販売、カーリング、足湯などがありました。

懐かしいおもちゃが山ほど!!
レア物もまぎれてます。

カーリングゲーム

的を狙って、当てられたらチョコや飴の景品がもらえます。

カブトムシのくじ引き

一回500円でヘラクレスオオカブトが当たったら、ラッキー☆

移動足湯(無料)

松本城西南側は、飲食ブース。
クレープ、たこ焼き、フランクフルトなどの屋台が並びます。

その中でもひときわ目立っていたのは、ドネルケバブ。

大っきなお肉から肉汁ポタポタ・・・。

思わず買っちゃいました。

キャベツがたくさん入っていて、意外とヘルシー。

松本城本丸庭園内は、氷彫フェス中は特別に無料開放。

普段なら大人600円、子供300円です。

天守閣へ入るのは、有料です。

松本城と城下町

松本城と城下町
 松本城はもと深志城と呼ばれ、中世には小笠原氏の一支城であった。そのころすでに今の二の丸東側には市町が形成されていたが、西方一帯は沼地であった。本格的な近世城づくいが始まったのは1580年代で、城郭と城下町一体の都市計画を推進したのは、豊臣大名としてこの地に入った石川氏である。天守を建てたのは2代康長の時で1593~94年と推定される。
 3重の水堀と塁を巡らして郭の縄張りを行い、本丸と二の丸を内郭とし三の丸を外郭とした。この広さはおよそ39万㎡で、内郭には天守、御殿、蔵など城主と藩の施設を置き外郭は城主の親衛隊である上級家臣の屋敷地とした。総延長3.5キロの塁上には透き間なく土塀をかけ、前面は完全囲繞の水堀で、厳重な城門を構える虎口(枡形と馬出し)だけが場内への通路である。
 城外は南から北へ通る善光寺街道に沿って城下町を割り、その東側に寺社を配置した。城下の町筋は格子状のものより鍵の手やT字形交差が多い。居住区分は厳格で士と、町人の混住はまったくなく、士や敷地は木戸の内と外に分けて中級と軽輩の居住区とし、町人地は親町3町、枝町10町、24小路にランク付けして、身分と職業によって住まわせた。
 左図は城郭の北東上空から南方を望む鳥瞰図である。

黒門をくぐって本丸庭園へ・・・。

何気なく通ってしまう黒門。
よく見るとすごいどっしりした造り。

黒門の中には、立派な生花。

日本100名城のスタンプラリー

用紙がなかったので、スタンプをアップで撮ってみました。

本丸庭園
本丸御殿があった跡地は、今では芝生の庭園になっています。

庭園内はイベントがないため、混雑はしてません。
冬の間もきれいにお手入れされてます。

松本城を救った功労者の記念碑

松本城保存の功労者
小林有也先生
先生は大阪(和泉国泉北郡伯太村)の出身で、安政2年(1855)藩の江戸屋敷で生れた。
初代松本中学校長として来任し29年間子弟の教育に尽くした。その間、荒廃した天守を憂い、明治34年(1901)天守閣保存会を起こして修理に辺り(12年間)天守を倒壊の危機から救った。

市川量造先生
先生は信濃国松本の人、弘化元年(1844)北深志町下横田で生れた。
明治5年(1872)松本城天守が235両1分と永150文で競売されたのを憂い、幾多の困難を克服して天守を買い戻し、その保存に貢献した。
後に戸長、県会議員等歴任。

宇宙ツツジ
わらぼっちをかぶっているため、ツツジだかなんだかわかりにくいですが、看板があるのでかろうじて確認できます。

宇宙ツツジ
日本人初の女性宇宙飛行士向井千秋さんと宇宙を旅したツツジの種から発芽させたもので、全日本花いっぱい館林大会を記念して群馬県館林市から松本市に寄贈されました。
松本市は、花いっぱい運動発祥の地として、長年この運動に取り組んでいます。
平成15年5月1日植樹

「わらぼっち(The snow guard)」

藁ぼっちつらぬく棒のこころざし
                     岩下四十雀

この松本城の「わらぼっち」は、木々の雪囲いの頭につけるもので飾りの意味と霜除けや雪が積もりにくいという実用を兼ねたものです。
松本城でも冬の風物詩として定着しています。
全部で何種類あるんでしょうか?
職人さんの粋な美意識を感じます。

小笠原牡丹
これもわらぼっちを被っております。

小笠原牡丹
天文19年(1550年7月)
甲斐の武田信玄に攻められた小笠原長時は、林城館にあった純白の牡丹が敵兵に踏み荒らされることを憂えて、これを里山辺の兎川寺に託して去った。
その後同所の久根下家は、この牡丹を守り、昭和32年11月と平成18年10月にその株を松本城本丸へ移した。
これが小笠原牡丹である。

天守の説明書き

天守の各部分の名前や大きさなどが書かれています。

本丸庭園の外にある天守の説明書きには・・・

国宝松本城天守
所有者 国(文部科学省)
管理団体 松本市
       
名称構造                建築
                    推定文禄二年~
天守 五重六回本瓦葺      城主 石川康長
乾小天守 三重四階本瓦葺    右に同じ
渡櫓 二重二階本瓦葺       右に同じ
辰巳附櫓 二重二階本瓦葺    城主 松平直政
月見櫓 一重地下一階附本瓦葺  右に同じ

特徴
五棟の建物は天守を中心に北には乾小天守を渡櫓でつなぎ、東には辰巳附櫓と月見櫓を付属させたいわゆる連結複合式と呼ばれる独特の構成で、その外壁は各重とも白漆喰の大壁で腰には黒漆塗りの下見板が張ってある。月見櫓は天守建築には珍しい殿舎風造りで三方に朱塗りの回縁をめぐらしてある。

国宝指定
昭和十一年四月二十日(国宝保存法)
昭和二十七年三月二十九日(文化財保護法)
修理
昭和二十五~三十年度(全建物解体修理)

冬の松本城の桜

シダレザクラです。柳と間違えてしまいそう・・・?

ただいま冬眠中。今年もきれいな花をさかせてくれることでしょう。

売店の横には、ちょっとした休憩スペースがありますが、庭園内よりも混雑しています。

本丸庭園内のトイレ

普通の日本家屋のような立派なトイレです。

お堀に白鳥が2羽。

お堀の人気者です。

松本城のコイは、人間慣れしているせいか、人がいる方にどんどん寄ってきます。
「エサをくれ」と言わんばかりに、お口をアーン!!

つい、エサを与えてしまいたくなりますが、
松本城公園では、エサを与えることは禁止されていますので、与えないように。

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伊那市 観る

高遠城址公園の冬|冬の天下一の桜は、どんな感じ|伊那市高遠

日本さくら名所100選に選べれている、高遠城址公園の冬の姿はどんな感じのか。

桜の時期には、高遠地域は自動車・バスの大ラッシュになります。年1回の混雑時期です。まともに伊那インターで降りた場合は最悪です、かなり渋滞にまきこまれます。

抜け道が出来ました、従来まで道に詳しい観光バスのみが使っていた道路以外に新しい裏道ができました。

中央道(高速)を伊北インターで降り左に曲がります。木下南新町信号を左折、つきあたりも左折し、箕輪町南小学校の交差点を右へ曲がりますと、新しい道路で一気に移動できます。ネットの地図にはまだ出て来ていない新しい道です。

では冬の高遠城址公園レポートです。
長野県伊那市高遠町東高遠
[googlemap lat=”35.83211437299324″ lng=”138.0639410018921″ width=”575px” height=”300px” zoom=”12″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県伊那市高遠町東高遠[/googlemap]
メイン道路から高遠城址への入口

4月、5月は大渋滞をしている場所ですが冬はスイスイです。なんのイライラもありません。

高遠城址前にある交通案内”

美術館などもあるので、交通看板があります。桜の時期はここまで車で入ってくると大変かもしれませんので、途中でシャトルバスに乗り換えをおススメします。

木製の看板、殿坂口

ちょっと観光地らしい看板を発見。

駐車場案内看板

周囲にはたくさん駐車場があります、今回は公園の真下にある公園グランド駐車場へ止めます。

公園グランド駐車場

観光バス80台が止められる駐車場です。グランドとは言え、普段は使っていない感じです。

信州高遠城図の看板

勘助曲輪

大河ドラマで有名になった勘助ですが、ここでは普通に使われている方です。

高遠城址大手門

大手門についての説明書き

一度、売却されてしまった門ですが寄附されて現在の場所にあります。

大手門横の敷地

桜の時期には飲食店が出現して、人、人だらけになる場所ですが、冬は人も桜もありません。

公園入口前の売店

有料駐車場と売店ですが、ヒッソリしてますね~。最盛期とは180度違います。

高遠城址公園入口

国指定史跡と書かれた看板があります、ある意味ここがメインゲートです。

入口の風景

寂しい感じですが、桜の木が春をジッと待っています。

高遠町桜憲章

高遠町桜憲章の全体

高遠閣外観

昭和8年に観光客のために作られた建物です。現在もここで休憩をすることができます。

高遠閣の看板

誰もいない入口ゲート

桜の時期はここが入口になり、有料となります。オフシーズンは無料で入場自由。

さくらの名所石碑

全国の1か所となっています。

高遠史跡めぐりご案内

高遠周辺の史跡などを案内。

高遠閣の前にあるすべり台

子供向けの唯一の遊具です。他にはないので、ちびっ子はここで遊ぼう!

案内放送のボタン

高遠城址公園について案内を聞くことができます。意外とわかりやすい案内なので聞いて見てもいいかもしれません。
オフシーズンでも流れます。ただしかなりボリュームが大きいのでびっくりします。

誰もいない公園内

冬ですので人はほとんどいません。

冬の高遠桜の木

花をつけるにはまだまだ時間が必要です。

天下一の桜の碑

手前味噌でないことを祈るばかりの碑です。

城内の橋

高遠の桜を紹介するときのベタな橋が中央付近にあります。

桜雲橋という名前です。

桜がないとちょっと微妙な感じです。

ベタアングル。橋を遠くから

ちょっと遠いのですが、こんな感じの写真をあちらこちらで見かけます。

無理のあるベンチ

有志が作ったのでしょうか、少し座るには無理があるかもしれません。

園内が写る池

桜の時期で、夜ライトアップされると絶好のシャッターチャンスになる池です。
しかし冬ではただの池。

閑散とした池

橋の下

池は桜雲橋のすぐ側にあります。

橋「おううんきょう」

橋の写真

問屋門の説明書き

高遠城の戦い(古戦場跡)の説明書き

いたるところに説明書きがあります。これは冬だから見つけられる感じです。桜の時期はなぜか目に入りません。

長野県天然記念物指定のシンボル

長野県天然記念物指定のシンボル説明書き

当時、立てられてものだと思います、こんな感じのコンクリート製のシンボルは珍しい気がします。

これまた古い、高遠公園碑

高遠公園碑をアップ

高遠公園碑の説明書き

中村不折寿像があった時の風景

中村不折寿像がなくなった現在の風景

老朽化が激しく、美術館へ避難したそうです。

中村不折寿像の説明書き

高遠城址公園内のモグラのボコボコ

新城(盛信)神社の外観

新城(盛信)神社の正面

ここではお参りもできます。

新城(盛信)神社・藤原神社の由来説明書き

新城(盛信)神社・藤原神社の内部

新城(盛信)神社・藤原神社の横

太鼓櫓の外観

太鼓櫓の説明書き

太鼓櫓の階段

太鼓櫓の2階内部

太鼓櫓からの眺め

新宿区長の記念植樹、山本克忠

新宿区長の記念植樹したタカトウコヒガンザクラ

本丸跡の説明書き

城内にあるすごい案内看板

かなり古い塔のような碑

南曲輪の説明書き

城内風景

忠骨蔵の説明書

日露戦争時の招魂碑

白兎橋の説明書き

大きなもみの木

白兎橋

高遠城址公園から眺める伊那市街

遠くに見えている山が中央アルプス駒ケ岳の稜線です。

法幢院曲輪の説明書き

歌の碑

城址公園内の東屋

廣瀬奇璧・河東碧梧桐の句碑

廣瀬奇璧・河東碧梧桐 句碑の説明書き

南ゲート

園内風景

高遠コヒガンザクラのつぼみ

高遠城址公園冬の風景

無地の碑


無地の碑説明書き

改修中のトイレ

治療をしたタカトウホコガンザクラ

長年の入場などで、園内の桜治療も行っているそうです。地面の土をやわらかくしたりなどオフシーズンはそのような作業が行われるそうです。

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観る 遊ぶ 飯山市

飯山城跡公園|静かで落ち着いた城跡|飯山市

飯山小学校裏手にある飯山城跡公園。春には約400本のソメイヨシノがいっせいに咲き多くの人が花見に訪れる名所となっています。千曲川がすぐ横を流れているため桜のピンクと新緑が織りなす景色は信州の春らしさを演出します。黄色いスイセンの花もあり桜と合わせて丁度いい感じ。

長野県飯山市大字飯山2749番地
JR北飯山駅から徒歩約5分
上信越道豊田飯山ICから約15分
駐車場:無料
0269-62-3133(飯山市観光協会)

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上田市 観る

上田城と上田城跡公園|上田市

上田城は、徳川の大軍を2度にわたって退け、日本全国に名を馳せた真田昌幸の居城です。
現在は城跡公園として整備され、上田市の観光拠点になっています。
樹齢100年といわれるケヤキ並木、そして桜の名所としても有名で、上田城千本桜祭りでは訪れる花見客を魅了しています。

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桜咲く松本城

日本の3城に入る松本城。春には桜が咲き幻想的な姿を見せてくれます。ここは観光地として利用されているため、昼間から花見の宴会など地元の人はあまりしません。地元では、どちらかというと花見でなく、桜を見に行くという感じです。夜もライトアップされてとてもキレイな状態になります。