龍岡城|函館と佐久、日本に2つしかない五稜郭のある城跡|佐久市田口

龍岡城は、長野県佐久市にある近代城郭跡で、昔は龍岡藩の藩庁が置かれていた場所です。
築城時の堀仕様が稜堡式築城法を使ったため、いわゆる函館と同じ、五稜郭となりました。

本殿裏の五稜郭堀

函館五稜郭址が四年前完成しており、日本の城址でただ二つの貴重な洋式城郭となっています。

国指定の史跡で、現在城跡には佐久市立田口小学校があります。
五稜郭の堀の内部には神社もありお参りをすることもできます。

住所:長野県佐久市田口2981
電話:0267-82-0230
[googlemap lat=”36.19590612769248″ lng=”138.50146293640137″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”13″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県佐久市田口2981[/googlemap]
龍岡城五稜郭の看板
龍岡城五稜郭の看板
日本に二つ龍岡城五稜郭。
函館と佐久にしかないという訳です。

五稜郭の堀
五稜郭の堀
キレイな石垣が残っています。
堀には桜が植えられており春には桜の名所となるそうです。

堀に水草
堀に水草

龍岡城五稜郭の大手門
龍岡城五稜郭の大手門
メインの入口は橋がかけられています。
ここで記念写真を撮っている方がいました。

大給恒の銅像
大給恒の銅像

大給 恒(おぎゅう ゆずる)は、三河奥殿藩の第8代藩主。のちに信濃田野口藩(竜岡藩)の藩主。奥殿藩大給松平家10代。江戸幕府の老中、若年寄。明治時代の政治家・伯爵。日本赤十字社の創設者の一人として知られる。旧名は松平 乗謨(まつだいら のりかた)。Wikipediaより

銅像の説明書き
銅像の説明書き

銅像をアップ
銅像をアップ

史跡の案内
史跡の案内

説明看板
説明看板
歴史たっぷりの説明看板がありました。

しかし読めない・・・
読めない・・・
昭和九年に文部省によって掲げられたもので、これ自体が歴史になってしまいそうです。

石柱
石柱
こちらは昭和十年に建てられたものです。

龍岡城五稜郭の説明
龍岡城五稜郭の説明
こちらは読めますね。

説明書き
説明書き
この五稜郭は幕末の動乱の時期に作られたということです。
坂本竜馬が死亡した、慶応三年に竣工されているので最近と言えば最近の感じもします。
ちなみに総工費4万円ということです。

五稜郭の平面図
五稜郭の平面図
右上のブルーの無い場所は現在、堀として水の無い部分です。

大手門の橋
大手門の橋
かなりしっかりした橋が架けられています。

五稜郭の堀と欄干
五稜郭の堀

城跡は佐久市立田口小学校です。
城跡は佐久市立田口小学校です。
大手門から入ると、グランド側に出ます。
堀のある小学校とはある意味、安全な気がします。

内側も石垣がきれいに残ってます
石垣がきれいに残ってます

これは、小学校卒業生の贈り物
卒業生の贈り物
昭和44年の卒業生で、標高と緯度経度が示してありました。

田口招魂社もあります
田口招魂社もあります
五稜郭の中にあります。

田口招魂社
田口招魂社

殿様と招魂社の由来について
殿様と招魂社の由来について
非常に難しい内容が書かれました、由来なのか沿革なのか難しいです。
ぜひ、現地でご覧になってください。

大きな紅葉の樹
大きな紅葉の樹
紅葉の時期はすごそうです。

手水舎
手水舎

手水舎は使えない状態
手水舎は使えない状態

拝殿
拝殿

狛犬左
狛犬左

狛犬右
狛犬右

拝殿の賽銭箱
拝殿の賽銭箱

拝殿の内部
拝殿の内部
神社自体は無人ですが、かなり片付いており、普段から使われている感じがします。

拝殿からの渡り廊下
拝殿からの渡り廊下
隣の建物に続いていました。

拝殿隣の建物
拝殿隣の建物

トイレ
トイレ
花見の時期は賑わいそうですね。
普段は使われていない感じです。

本殿
本殿
近代的な柵がついてます。

本殿の後側
本殿の後側

本殿裏の五稜郭堀
本殿裏の五稜郭堀

現在は堀の一部は道路
昔の堀、後は道に
堀のなくなった部分も石垣を直してました。

五稜郭の説明書き
五稜郭の説明書き
ところどころに説明看板がありますね。

説明の内容
説明の内容

日本で2つしかない五稜郭です、「函館まで行けない」「函館出身だ!」というはぜひ佐久の五稜郭を見学してみてください。

スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク