軽井沢にある碑は、有島武郎が情死した浄月庵跡にある。
大正十二年(1923年)波多野秋子(婦人記者)と心中をした小説家・有島武郎の別荘、浄月庵(じょうげつあん)跡に建てられた石碑である。武郎がスイスで出会った少女、チルダに送った手紙の一節を刻み込んだチルダ友情の碑もある。
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旧軽井沢銀座ロータリーから三笠通リを進み、旧三笠ホテルの少し手前を道路標識に沿って唐掘通りを入る。
小道の途中から案内標識に沿って右に曲がり、少し歩くと視界が開けた場所がある。ここが有島武朗の終焉地碑である。
終焉地碑解説版
有島武郎終焉地碑について日本語・英語・中国語・韓国語で解説されている。
全景
この地が有島武朗の別荘「浄月庵」があった場所である。現在は塩沢湖の近くに移転し公開している。
有島武朗は大正16年6月9日この地「浄月庵」で愛人波多野秋子とともに自らの命を絶った。
有島武朗終焉地碑 浄月庵(塩沢通リ)
現在、浄月庵は塩沢湖の近くに移転されている。
チルダへの友情の碑
碑のそばには「チルダへの友情碑」が建つ。チルダは武朗がスイスへ旅行した時の友人であり、帰国後も文通が続いた。
コメント
大正16年は無いのでは?昭和の間違いかも?
大正12年(1923年)6月9日の間違いです。
心中死体となって発見されたのが大正12年7月7日です。