725年頃、裏山の奥にある長者ヶ池から出現した一寸八分の黄金仏像を、聖武天皇の勅願によって堂宇を建て安置したのが始まりと伝わる、歴史ある満願寺。
本堂には、亡くなった後の四十九日の苦しみを現す、「地獄極楽変相之図」が飾られています。
血の池地獄、針山地獄、閻魔大王の裁判所・・・ベタな地獄の絵ですが、お寺ならではの空気感と、怖い画風のおかげで、妙な説得力があります。
お寺の方に詳しく説明していただくこともできるので、子供を連れていくと良い勉強になるかもしれません。
真言宗・豊山派・栗尾山満願寺(栗尾観音)
第二十六番 信濃三十三観音霊場
〒399-8305 長野県南安曇郡穂高町大字牧1812
TEL 0263-83-2088
下の参道入り口にも駐車場がありますが、本堂の横にも駐車場があります。
行き方は満願寺一帯とツツジ園を見て下さい。
本堂へ向かう途中にも湧水を汲める場所があります。
湧水は水道から出しっぱなし。蛇口は閉めちゃいけないみたいです。
何も表示がないのでなんとも言えませんが、ひしゃくがあるので飲んでも大丈夫なのだろうと思います。
レレレのお地蔵さん!?
「清浄心
掃けば散り拂えば また塵つもる 人の心も庭の落葉も」
と書かれています。
この経筒を一回まわせば、お経を一巻読んだのと同じ功徳が得られるという、なんとも便利なアイテム。
般若心経が書いてある経筒に軽く手をあてて、左に回して下さい。
その時「ギャーテイギャーテイハーラーギャーテイハーラーソーギャーテイボージーソワカー」と経文を唱えて下さい。
参拝者芳名帳平成22年度版
なんとなく置いてありますが、個人情報が心配です。
お守りは無人販売
本堂の前なら誰も恐ろしくて盗む人はいないでしょう。
浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)とは、地獄を守護する閻魔が亡者の裁判で亡者の善悪の見極めに使用する水晶製の鏡である。
この鏡には亡者の生前の一挙手一投足が映し出されるため、いかなる隠し事もできない。もしこれで嘘をついていることが判明した場合、閻魔に舌を抜かれてしまうという。
また、これで映し出されるのは亡者自身の人生のみならず、その人生が他人にどんな影響を及ぼしたか、またその者のことを他人がどんな風に考えていたか、といったことまでがわかるともいう。
一説によればこの鏡は亡者を罰するためではなく、亡者に自分の罪を見せることで反省を促すためのものともいわれている。
~Wikipediaより~
さて、満願寺といえば「地獄極楽変相之図」が有名です。
全部で4枚あり、死後の世界が描かれています。
賽の河原と地蔵尊
賽の河原では親より先に死んだ子供たちが、父母を恋しいと石を積み、
地蔵菩薩様が子供たちを暖かく見守っています。
葬頭河の婆
三途の川を渡ったら脱衣婆(剥ぎ取り婆)が服を剥ぎ取ります。
ここから罪の重さにより行く地獄が決定します。
血の池地獄
心も体も清く持たないと血の池に苦しむんだそうです。
生きている時にしてきた罪によって、いろいろなお仕置きが待っています。
火の車
生きている間に悪いことをした人は鬼が火の車に乗せて地獄へ御案内。
六道能化の地蔵尊
六道の巷に現れて、衆生を教化し救う地蔵菩薩
六道(りくどう、ろくどう)とは、仏教において迷いあるものが輪廻するという、6種類の迷いある世界のこと。
* 天道(てんどう、天上道、天界道とも)
* 人間道(にんげんどう)
* 修羅道(しゅらどう)
* 畜生道(ちくしょうどう)
* 餓鬼道(がきどう)
* 地獄道(じごくどう) ~Wikipediaより~
畜生道は牛馬など畜生の世界である。ほとんど本能ばかりで生きており、使役されなされるがままという点からは自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界とされる。
修羅道は阿修羅の住まう世界である。修羅は終始戦い、争うとされる。苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。
善行を行った人は地獄で罪を相殺したら極楽浄土へのお迎えがきます。
昔は「バチがあたるよ」とかよく言われたりしましたが、最近は「バチ」なんて言わなくなりましたね。
「バチ」の意味もなかなか理解されない今どきの子供には
地獄極楽図を見せて、お寺の人のお話を聞かせるといいかもしれませんね。