江戸時代「木曽路」として栄えた贄川宿と奈良井宿に足を運んでみました。
奈良井宿にある、昭和通りは、NHK朝ドラおひさまのロケ地として、撮影にも使われた通りです。
現在は塩尻市楢川地区と言われていますが毎年6月の第一週の週末に開催される木曽漆器祭・奈良井宿場祭が開催されており普段のしっとりとした奈良井宿の雰囲気とは別の賑わいも味わってきました。
奈良井宿と木曽平沢の町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
漆工町の木曽平沢を中心に木曽漆器が販売され、奈良井宿では江戸時代の道中行列を再現した「お茶壷(つぼ)道中」が行われ初夏の木曽路は多くの観光客で賑わっていました。
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現代版看板
国道19号線を南に向かいます。贄川駅の手前の桜沢(木曽路北の入り口)に立てられています。
桜沢木曽路入口の石碑
1972年春、沢田正春さんの写真文集「木曽路」の一文をしるす、とあります。
「是より南 木曽路」の碑” title=”「是より南 木曽路」の碑
桜沢にあります。裏には「歌ニ絵二其の名ヲ知ラレタル木曽路ハコノ地より神坂(こうさか)に至る南二十余里ナリ」と書かれています。
碑の説明文
この地は木曽路の北の入り口であり、江戸時代には尾張藩領の北境であった。
石碑は桜沢の藤屋百瀬栄が昭和15年に建立。
橋の欄干
入り口の橋の欄干もお籠を担いだ行列の模様が何種類も彫られています。
抽選場所
当日はお祭りを盛り上げる抽選場所にもなっています。
祭りのパンフレット
東日本の漆器祭では最大級のようです。
キャッチフレーズは「伝えよう時を越えて」と先人から受け継いできた木曽漆器や町並みを広くPRしていく考えのようです。
一服のお茶
茶菓子にはこの時期にしかいただけないほう葉の香りがするほう葉まきが出され一服を頂戴しました。
ほう葉まき
葉を広げるとこんな感じです。とっても素朴な味と香りが良いです。中はつぶあんでした。
関所看板
贄川関所は木曽谷北関所として軍事的にも重要な役目をしていたようです。
木曽暮らしの工芸館
長野オリンピックのメダルも展示されていました。
木曽平沢への看板
重伝建漆工町・木曽平沢に入ります。
景色とマッチしている木で作られた看板です。
岩魚の塩焼き
良い香りがしてきました、生きの良い岩魚の塩焼きが焼きあがっていました。
一匹500円、丸ごといただきました。身がしまっていて淡白でした。ちょいと一杯、といきたい気分ですが運転手はまずいですよね。残念でした。
本通り
店先にテントを張って漆器類を販売しています。
おわんやはしなど手にとりながら品定めをされています。
木曽ひのき
木曽ひのきのまな板・木曽さわらの寿司おけなど木の香りのする商品軍が並んでいます。
無人販売
地元の収穫品が並んでいます。
花の種各種100円、よもぎ・スギナ・オリーブの葉・もも葉・たかとう草200円、苗木他
八幡神社
奈良井宿下町の氏神で祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)。奈良井宿の丑寅の方角にあたり、鬼門除けの守護人として崇敬されたともいわれる。5月初旬の春祭りには、下町明友会の若い衆が長持ち行列をくりだす。
かつては境内の舞台で芝居を演じていたという。
水靜
水は入っていません、石で造られていて柄杓も置かれています。今は使われていないようです。
杉並木
旧中山道の杉並木です。江戸初期に植えられた杉並木が中山道のおもかげを残しています。樹齢数百年の杉の大樹が何を語っているのでしょうか。
空気が澄んでひんやりとしていて気持ちが良いスポットです。
二百地蔵
地蔵堂の前には、聖観音をはじめ千手観音・如意輪観音などの観音像が200体近く合わせ祭られています。
明治期の国道開削・鉄道敷設の折に奈良井宿周辺から集められたといわれています。
アルクマ出没
信州デスティネーションキャンペーンイメージキャラクターが出没しました。
こども達は一緒に写真を撮ったり人気者です。
奈良井宿町並みⅠ
お祭りとあっていつもの奈良井宿とはちょっと雰囲気が違います。
おやき
おやき棒300円、こんな形のおやきもあるのですね。長芋おやき300円、季節柄よもぎ、わらび、ふきみそ、の入ったおやきもあります。
勿論、野沢菜、うの花もありました。
おやきの皮が薄くたっぷりと具が入っていてとても美味しかったです。
下町の水場
下町水場組合の水場です。宿内にはいたるところにこのような水場があり水の豊富さがわかります。
飲料水・防火用の水場として昔から親しまれています。
山から湧き出る清水ですが、飲まれる場合は一度沸かしてからお使いください、と書かれていましたが、おっとっとこれを読む前にたっぷりといただいてしまいました。
冷たくて美味しい水でした。
水場
防火用水用ですのでバケツも所定の位置に設置されています。
宿場で火事でも起ったものならこの町並みですのでひとたまりもありませんものね。
水は大事です。
御岳百草丸
ありましたありました、代々伝わる腹薬・胃腸薬の百草丸です。
黄柏エキスにコウボク・センブリ・ビャクジツ・ゲンノショウコなどの薬草をいろいろ配合されているようです。
竹炭
竹割箸のリサイクル品です。
1箱100円で代金は箱の中へどうぞ。
蕎麦関連の漆器屋
蕎麦道具、曲物細工、うるし塗、めんぱ曲物弁当などこの地の代表的なものを製造直売されています。
店先では曲物の実演も行われていました。
曲物実演
職人の説明があり何やら質問をされる方もいました。
職人目指す人かな、と?
民宿の入り口
のれんといい、笠といい、行灯といい、当時を偲ばれます。
水飲場
横水水場組合の水飲場です。
この水はしっかり飲めると思いますが。
奈良井土人形店
自家製の奈良井土人形が並べられています。
賑やかな時代を反映する土雛の数々、見事によくできていました。
ほう葉巻き
季節限定品です。(5~7月初旬ごろ)
この時期しか食べられません。
つぶあんやみそあんを餅でつつみ、朴(ほう)の葉で包んで蒸したものです。
ほう葉の良い香りがします。
ツルカゴ
アケビや野ぶどうなどのツルで作られている籠類と店内にはドライフラワーの作品が沢山揃っています。
徳利屋郷土館
宿場時代は脇本陣と高級旅籠を兼ねていたそうです。
昭和の始めまで営業しており、藤村、幸田露伴、正岡子規なども利用したという。
現在は茶房と併設でしょうか、地場手打ち蕎麦、五平餅定食のメニューが入り口に大きく出ています。
建物の格子はみごとですね。
お籠
店先にチョコンと置かれていました。
記念写真を撮るには良いですね。
お茶壺道中
「下にぃ、下にぃ」という掛け声が聞こえてきました。
お茶壺道中の始まりです。
お茶壺道中は江戸時代に京都・宇治から将軍家に献上する新茶を運んだ行列ですが、宿場祭では地元住民約60名が当時の装束に身を包み「露払い」を先頭に毛やりやはさみ箱、長持ち、茶壺が入った籠などを担ぎ宿場中心部の長泉寺を出発、南端の鎮神社を経由して木曽の大橋に至るまでを練り歩き、当時の行列を再現します。
地元の小学生
地元の小学生が荷物を背負い「下にぃ、下にぃ」と大きなかけ声で行列参加です。
お茶壺のアップ
大きい壺です。これにぎっしりとお茶を詰めて運んだのですね。
都留市のお茶壺
旅の途中でお茶を寝かせて醸成させた、山梨県都留市の行列の参加です。都留市のお茶壺ですね。渋い色でできています。
中村屋
塗櫛の創始者中村恵吉氏の分家にあたる櫛問屋。
建物は天保年間(1830年)のものである。
奈良井宿の建物の典型的なものとして「猿頭」「鎧庇(よろいひさし)」「蔀戸(しとみと)」「大戸」などのすべてが見ることができます。
実演
曲げ物の実演です。
ひのきを水に潜らせながら曲げていきます。
マリア地蔵尊
この石像は昭和7年(1932年)の夏に地元の人が藪の中になかばうもれているところを掘り出したと伝える。抱かれる嬰児が手に持つ蓮華の先が十字状になっているところから、隠れキリシタンが観音像をよそおってひそかにまつったものではないかと言われている。
遊具など新緑の草木の中に設置されていて自然いっぱいの中の広場になっています。
夏日でしたが風が爽やかで気持ちの良い一日となりました。
お茶席
「木曽の大橋」のたもとで市内の強清水の天然水を使った野だて茶会が催されていました。
お道具も自然の木を上手にくりぬいたりといろいろ工夫されていてここでも木の豊かさを感じられました。
大橋をバックに野点
お茶壺道中のご一行さまも休憩時間でこの景色を見ると何だかその時代にタイムスリップしたようです。
行列参加者も観光客もこの炎天下の下で一服
御茶に心を洗われたと思います。
お疲れ様です。
大橋の上から
橋の一番高いところから撮影しました。緑豊かな奈良井宿の公園です。
大橋の上から観客席を
これからこの大橋を御茶壺道中が渡るのでそれを今か今か
と待っている観客です。
木曽の五木 五木全景
奈良井駅のすぐ横に五木がご紹介されていました。
それぞれ葉に特徴がありますが、いずれにせよまっすぐに伸びています。
漆工町の木曽平沢を中心に木曽漆器が販売され、奈良井宿では江戸時代の道中行列を再現した「お茶壷(つぼ)道中」が行われ初夏の木曽路は多くの観光客で賑わっていました。