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松本市 観る

たてもの野外博物館 松本市歴史の里(7)|江戸時代後期に建てられた下級武士の住宅・木下尚江生家|松本市島立

明治2年、松本藩士の子として、この家に生まれました。
室内4
木下尚江は、新聞記者、弁護士、小説家として活動しながら
普通選挙の実現などの社会改革を目指して活躍した社会運動家です。
生家の雰囲気から、一人の歴史人物の生い立ちを垣間見ることができます。

住所:長野県松本市大字島立2196-1
電話:0263-47-4515
開館時間:午前9時から午後5時 (入館は4時30分まで)
休館日:毎週月曜日(休日の場合は、当日開館し翌日が休館)・年末年始(12月29日から1月3日)
入場料:大人(高校生以上)400 円 小人(中学生以下)無料
交通: アルピコ交通大庭駅→徒歩15分
長野道松本ICから国道158号経由1km3分
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たてもの野外博物館の、入口を入ってすぐ右側の建物です。


右下の木の看板、
「木下尚江生家」赤い矢印が見えるでしょうか。


入口です。


広い土間が見えます。
玄関に写真が飾ってあります。


この方が木下尚江。
昭和11年、晩年の撮影です。


玄関すぐ右は「とりつぎ」になっており、障子が全開なので、縁側まで見渡せます。


生家案内のアップ。


玄関から見えるので気になってました。
土間にこんなものも置いてあります。
味噌作りに使っていたようです。


彼の著書から抜粋された文章もあります。
当時の生活ぶりが、温度をともない、伝わってくる感じです。


土間にはいろいろ資料が展示してあります。
「木下尚江さんはこんな人」


「木下尚江の生涯」
イラスト入りでわかりやすいです。


著書「神 自由 人間」からの抜粋。


「木下尚江を巡る人々」
「同志」「敵対」など色分けされていてわかりやすいです。
彼が影響を受けた、政治家の田中正造とは、その死期にも立ち会い、看護を行いました。


「尚江再評価」
~「松本の恥」から「民主主義の先達」へ、とあります。
松本・城山公園にある、機関車の形をした顕影碑の写真が印象的でした。


そして土間突き当り。
勝手口はかんぬきになっていました。


そして右手が室内への入口になっています。
実際はこの部屋は台所だったところ。
右に竃が見えます。


竃(かまど)


ここにも、著書からの抜粋があります。
幼年時代、母親がこの前で、石を切って火を取る音や、焚き付けの白い炎が立ち上る姿の記憶が記されています。


当時は、煙が立ち上っていったのでしょうか。


ここで、「松本市歴史の里」ロゴ入りのスリッパにお履き替えます。


「居間」では解説映像も見れます(15分)。


「居間」「取次の間」、奥は、


「寝室」「客間」と広々しています。


資料も、この落ち着いた雰囲気の中で、閲覧できます。


お茶をたてて、もてなしたのでしょうか。


縁側から、館内の和風裁判所が、見えます。


・・・何か干してあります。


どんぐり。
煮出して染料にしたようです。
ここにも幼少期の思い出が著書から抜粋されています。


外から見た「縁側」。


来館者用の書き込みノート、
イラスト付きで、「うちの父に似てる」。
ほのぼのしたメッセージに、思わず、クスッ・・・似てる!

木下尚江を知らない人でも、この家の中で、その生い立ちや思想、
そして、当時の時代背景や、生活の様子が、わかりやすく展示されています。
なぜか、心地よい、しばらく離れがたいような空間でした。

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たてもの野外博物館 松本市歴史の里(6)|江戸時代後期の旧奈川村の旅人宿・工女宿宝来屋|松本市島立

松本市重要文化財です。

明治から大正にかけて、飛騨地方から諏訪・岡谷の製糸工場へ向かう工女たちが大勢宿泊したそうです。
見た目よりもずいぶん広い宿の中。
道具類もそのまま保存されており、当時の山里の暮らしが窺えます。

住所:長野県松本市大字島立2196-1
電話:0263-47-4515
開館時間:午前9時から午後5時 (入館は4時30分まで)
休館日:毎週月曜日(休日の場合は、当日開館し翌日が休館)・年末年始(12月29日から1月3日)
入場料:大人(高校生以上)400 円 小人(中学生以下)無料
交通: アルピコ交通大庭駅→徒歩15分
長野道松本ICから国道158号経由1km3分
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電球の下の空間が入口になります。
左側の側面は・・


こんな感じ。
すべて雨戸が閉まるよう設計されているようです。


さらに裏から見るとこんな感じで、屋根の上には石が置かれています。
「石置き板葺き屋根」というそうです。
縁側のところでは、「建築ワークショップ」が行われていました(要・予約)。


では、中へ入っていきましょう。


案内板に平面図もあります。
写真・真ん中の女性は、工女に慕われていた宿のおばあちゃんのようです。


入口に入る前に「厠」はありました。つまり、外です。
手洗い場も残っています。


こちらは、外でなく、入口・雨戸の中にある「馬屋」。
かなり広いスペースです。


模型もあります。


玄関。広い!
出入り部分は、かなりすり減っていて、本当にたくさんの人が、ここを利用したことを肌で感じます。


玄関周りには、つい最近まで使われていたような道具がずらり・・・。


この広い土間は、玄関や台所や道具置き場・・いろいろ兼ねていたのでしょう。


野麦峠の冬は大変だったことでしょう。
実際はもっとたくさんここにかかっていたのでしょうか・・・。


かんじき、ゲタ版・・ってことは足袋・・・。


すべて手作りの時代。
濡れたものをここで乾かしていたのでしょうか。


道具箱の置かれているここは「寝べや」。


こちらは「味噌べや」


「小部屋」にはたくさんの道具類。
臼があります。蕎麦を挽いたのでしょうか。


「いどこ」と言うそうです、この空間。
囲炉裏が二つきってあります。
工女たちで賑やかだったのでしょうか。


鉄瓶もずいぶん大きいです。


囲炉裏の上は・・・


ずいぶんいぶされていますね。
歴史を感じます。


高い天井の壁には・・


「神棚」
下の物入れには手紙や書類を入れた、とあります。


「いどこ」の引き戸、次の間?押し入れ?
と思いきや、開けると階段!
2階へ続いています。


狭く、かなり急な階段の上には、こんな広い空間が。


「寝べや」の札。
そう、寝室、というよりまさに寝べや、という言葉がぴったり。


大勢の工女がここで疲れを癒したのでしょう。
薄暗い中、障子明りが何とも風情がありました。


この障子、外から見ると、この2階部分になります。


また1階に下りてきました。
「本座敷」「座敷」とメインの部屋が2部屋。
そして、「中の間」「板の間」とあります。


一角で、糸紡ぎ体験できます。
なぜか、座布団とセットで「おかみさん用てぬぐい」が置いてあります。


当時の暮らしの再現映像もあります。(33分)


ケースの中には貴重な資料も。


珍しい道具類も。


旅館ならではの品もあるのでしょう。
どれも、いぶされ、使いこまれ、あじがあります。


外に「野麦峠工女碑」がありました。
少女たちの姿が何ともいたたまれません。
この宿も「工女哀史」の一つなのですね。

では次はシリーズ最後の「木村尚江生家」へ行ってみましょう。

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松本市 観る

たてもの野外博物館 松本市歴史の里(5)|昔ながらの糸ひき実演も行われている旧昭和興業製糸場|松本市島立

今にも動き出しそう・・・。

館内はどこもきれいに手入れされていますが、動態保存を目的に移築された、ここはまた格別。

大正14年から平成7年まで操業していた、繭から生糸をひく製糸工場を、
設備・機械類も含め、下諏訪町から移築したそうです。
昔ながらの技術で生糸をひく実演も、定期的に行われています。

住所:長野県松本市大字島立2196-1
電話:0263-47-4515
開館時間:午前9時から午後5時 (入館は4時30分まで)
休館日:毎週月曜日(休日の場合は、当日開館し翌日が休館)・年末年始(12月29日から1月3日)
入場料:大人(高校生以上)400 円 小人(中学生以下)無料
交通: アルピコ交通大庭駅→徒歩15分
長野道松本ICから国道158号経由1km3分
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右手は(4)の「展示・休憩棟」。
真ん中煙突の建物が「ボイラー室」。
そして左が製糸場です。


近づいてみましょう。
この赤い屋根は、遠くからも見えました。


入口です。


入口案内板。
輸出用(ストッキング)でなく、国内(着物地)用の「太糸」を生産していた、
当時の典型的な小工場だそうです。


「煮繭」(しゃけん)と読みます。
糸のほぐれをよくする作業です。


ここで行われました。


この器具が使われていたようです。


これで蒸したのでしょうか・・。


使いこまれた札や、時計もそのままで、
明日から、またみんな出勤してくるかのような雰囲気・・。


糸の数などの札なのでしょうか。
チョーク後もそのまま。


奥の物置に道具たちが整然と並んでいました。


トイレ。
使用されていませんが、当時のまま。このつくり、なつかしい・・・。


右奥は「選繭(せんげん)」という作業に使われたかご。
良い繭だけで糸ひきできるように、虫の害を受けた繭などを左の木の箱に分けてあります。


向かいのスペースにはいろんな道具が山積されてます。
どれもあじがあります。


桶も台車も重たそう…だけど…かっこいい。


「玉繭繰糸」
玉繭とは蚕が2頭で一つの繭をつくった際の「規格外の繭」のことだそうです。


「玉繭だけだと糸がうまくつながらないから、普通の糸も混ぜてひく」
のだそうです。


「繰糸」とは、繭から糸をひきだしその何本かをあわせて1本の生糸にすること。


ここが実際の作業場。


一人一人の椅子に座布団が置かれてます、
が、長時間は大変そうですね。


近づいてみます。
右上にかけられている札は、時計の下にあった札のようです。


磨きこまれている作業場と道具類。


鍋のお湯は90度もあるのだそう。
小さな器に水をため、時々指先を冷やしながら糸をひいていたそうです。


頭上には糸枠がたくさん・・・・


片隅にも所狭しと・・・


どの道具も見とれるくらいきれいだなあ・・・と感じつつ・・・、
糸ひきは、とても根気のいる、大変な作業の様にも思えました。


その奥の部屋は・・


右は次の工程の作業場、


左は応接コーナー。


今にもお客さんでも入ってきそうな玄関。


レコードは来客用?休憩用?


掃除道具の塵取りなどは、当時のまま、今も使用されている感じでした。


棚には、招き猫と観音様が隣り合わせに!


「束装(そくそう)」とは、生糸をまとめ、決められた重さの「括」にすること。
しめくくりの大事な仕事だそうです。


この道具が・・・、


その「括造器」。


そして「検査」。
決められた糸の太さになっているか、毎日成績が発表されたそうです。


この道具、


「セリプレーン検査器」というそうです。
生糸の品質を検査しました。


ショーケスに生糸や製品などが飾られています。


養蚕から、製糸、布になるまでの過程は、本当に複雑で、
多くの専門家の手が必要でした。
今の「使い捨て」の時代には見えないことがたくさん詰まっている気がします。


窓の向こうは晴れていれば北アルプスも望めることでしょう。


糸ひき体験もできます。

年に何度か行われている糸ひき体験の講座、
当時の器具をそのまま使って、という体験は他ではなかなかできないことでしょう。
一度是非参加したいものです。

さて次は製糸工女たちが大勢宿泊していたという「工女宿宝来屋」(松本市重要文化財)へ続きます。

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松本市 観る

たてもの野外博物館 松本市歴史の里(4)|映画「あゝ野麦峠」のダイジェスト版もみれる展示・休憩棟|松本市島立

当時の映画看板も展示してあります。

展示棟には、川島芳子記念室、やシベリア抑留展示コーナー、山本茂実展示コーナーがあります。
また体験コーナーではこの日「子ども裂き織り体験」が行われていました。
歴史の里では、そのほか「高機で草木織体験」や「糸染体験」などの体験講座が定期的に開催されています。

住所:長野県松本市大字島立2196-1
電話:0263-47-4515
開館時間:午前9時から午後5時 (入館は4時30分まで)
休館日:毎週月曜日(休日の場合は、当日開館し翌日が休館)・年末年始(12月29日から1月3日)
入場料:大人(高校生以上)400 円 小人(中学生以下)無料
交通: アルピコ交通大庭駅→徒歩15分
長野道松本ICから国道158号経由1km3分
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「展示・休憩棟」入口です。


入るとすぐ左は「休憩室」とプレートがついています。


ドアを開けると、左スペースは「山本茂実コーナー」。


「あゝ野麦峠」の著者です。
松本市出身です。


野麦峠の作品にちなんで、当時の工女たちの写真・・


そして、作品にちなんだ資料が展示されています。


この作品は「記録文学」と言われています。
ある製糸工場の「工女哀史」です。


ボタンを押せば、
テレビで、映画のダイジェスト版(13分)、もしくは
「ある糸ひき工女の思い出」(音声のみ 5分)を体験できます。


専用ブース。


ポスターが気分を盛り立ててくれます。


簡単なパーテーションを挟んで隣は、台所なども備えた体験コーナー。


この日は「子ども裂き織り体験」。
ここで、靴を脱いで・・・親子で楽しそうに作業していました。


展示棟左奥は「川島芳子記念室」。


案内が出ています。
清朝の皇族として生まれながら、辛亥革命をへて、松本出身の大陸浪人・川島浪速の養女となり日本で育ちました。
松本高等女学校まで馬で通った話は有名だそうです。


こじんまりとした、でもなんとなくあたたかみのあるスペースでした。


この時代だからこその力強いメッセージが伝わってきます。


直筆のものや所縁のものなど展示されています。


彼女について研究されている本や、記事・・・


お墓参り用の地図もありました。


当時の新聞記事などもあります。


略年譜を見ていると、どんだけ壮絶な人生だったことか・・想像すら尽きません。


高校時代の美しい少女姿。


同一人物とは思えません。
スパイ時代の男装姿。


さて、こちらは展示棟右奥、一角につくられた「シベリア抑留展示コーナー」
たくさんの人が命を落とした、シベリアの寒さ、労働の過酷さが伝わってきます。


絵画や展示品の数々。


当時の衣服や飯盒などの生活品も展示されています。


火打ち石まで必需品だったとは・・・。


展示コーナー奥がトイレです。


展示棟を出ると、右手の建物には、長い煙突が・・・


ここはボイラー室でした。
その隣に続くたてもの「旧昭和興業製糸場」にて、繭をゆでて糸をつくるときに使われていたようです。

ではその製糸場へ進んでいきましょう。

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松本市

たてもの野外博物館 松本市歴史の里(3)|旧松本少年刑務所・平成2年まで使用された独居舎棟|松本市島立

松本の歴史と文化を伝える・市民がつくった博物館 たてもの野外博物館 松本市歴史の里
その3です。
その1はこちらから、その2はこちらから

こちらがその部屋。

昭和28年、創建当時の板張りの部屋です。
昭和50年代に改善された畳敷きの部屋もあります。

住所:長野県松本市大字島立2196-1
電話:0263-47-4515
開館時間:午前9時から午後5時 (入館は4時30分まで)
休館日:毎週月曜日(休日の場合は、当日開館し翌日が休館)・年末年始(12月29日から1月3日)
入場料:大人(高校生以上)400 円 小人(中学生以下)無料
交通: アルピコ交通大庭駅→徒歩15分
長野道松本ICから国道158号経由1km3分
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裁判所から、渡り廊下でつながっています。
右手の白い建物です。


外観。
越後屋根です。中の熱気が抜けやすいのだそうです。


入口看板。
建築当初の状況をできるだけ再現しているそうです。


広い廊下。
何とも言えない緊張感が、まだ漂っている感じです。


部屋に番号が打ってあります。
これだけでは部屋の様感じがしませんが、


布団が入ると、ちょっと生活感が。
以外に窓が大きいです。
のぞき穴の深さから、このドアの厚みが伝わるでしょうか。


松本少年刑務所が舞台のテレビドラマ「塀の中の中学校」も部屋に展示してありました。
渡辺謙さん、オダギリジョーさんが熱演しています。
本は、売店に売っています。


こちらが50年代に改善された畳の部屋。
右奥。扉下がトイレです。


木ですが、重々しい扉。


外から鍵がかかります。


ここから、やり取りをしていたのでしょうか。
先程ののぞき穴部分の外側です。


こちらは天井。
内部から見た越後屋根部分です。


外に出ると、何気ない風景も解放感で満たされます。
晴れていれば、北アルプスが一望できます。


一角に、博物館の記念碑がありました。
取り壊しが決定していた建物を、こうして博物館として残すまでの市民運動にするには、
みえない甚大な努力があったのでしょう。


木の案内板に従い、次は展示棟へ行ってみたいと思います。
川島芳子記念室・シベリア抑留展示コーナー・山本茂美展示コーナーがあります。

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松本市 観る

たてもの野外博物館 松本市歴史の里(2)|明治憲法下の和風裁判所 「県宝」旧長野地方裁判所松本支部庁舎|松本市島立

松本の歴史と文化を伝える・市民がつくった博物館 たてもの野外博物館 松本市歴史の里
その2です。
その1はこちらから、

廊下、ピカピカです。

明治41年に松本城・二の丸御殿後に建てられました。
内部・外部ともに、完全な形で国内に唯一残る建物で、長野県宝に指定されています。
和風建築の見事さもさることながら、どこもピカピカに手入れされ、磨かれてるところにも感動しました。

住所:長野県松本市大字島立2196-1
電話:0263-47-4515
開館時間:午前9時から午後5時 (入館は4時30分まで)
休館日:毎週月曜日(休日の場合は、当日開館し翌日が休館)・年末年始(12月29日から1月3日)
入場料:大人(高校生以上)400 円 小人(中学生以下)無料
交通: アルピコ交通大庭駅→徒歩15分
長野道松本ICから国道158号経由1km3分
[googlemap lat=”36.231582″ lng=”137.93374″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”14″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県松本市島立2196−1[/googlemap]

外観です。


玄関口。
厳粛な気分になる佇まいです。


天井部分。
鳥の巣除けでしょうか、金網などでなく、木の刺部分を使って、建物と調和するよう心配られているよう感じます。


案内版も出ています。
深志神社や松本銀行などの工事を行った技師が工事を請け負った、とあります。
写真は当時の判事と検事。


法服が飾ってあります・・。


・・と思いきや、これを着て「昔の判事さんに変身して」裁判所を探検できるようです。
子供用もあり、どこでも記念撮影OK!


こちらが正面玄関。


解説。


右手の受付室、玄関からは、確かに格式の高さ、敷居の高さを印象づけています。


順路に沿って、まずは書記室へ。


記録ビデオが自動放映されていました。
折りたたみ椅子も、時代を感じます。


土足が申し訳ないくらいピカピカ。


訟廷。


先程の法服を着たマネキンも立っています。


判事室へ。


シンプルながら立派な机と椅子。


長野県下で当時使われていた法律図書。


当時の写真と図面。


判事室のピカピカの床は・・・


仕上げに、柔らかくて足触いのいい、リノウムが仕上げに使われました。
天然素材でこんなにできるのですね。きもちいいです、この部屋の床。


角材を格子のように組み立てる「格天井」というのだそうです。


電気のカサもレトロですが、天井も部屋によって違います。


「裁判所におかれた検事局」とは・・という解説です。


でもこの検事局の中は、今・・・


捕物(とりもの)者道具の展示コーナーになっています。


「捕物三道具」とあります。


徳川幕府刑事図譜本編の複製だそうです。


鉄扇十手・・・重そう…痛そう・・・


捕縄・・・あの楔部分は・・・?!


呼子笛。


角手。


「取り調べ」


「処罰」


「取り調べ」「処罰」に使用された道具。


十手にもいろいろあります。


鉄製のものまで・・・。

このコーナーは、江戸時代を中心に司法の一部について絵と実物によって、取締りの過酷さ、厳しさを明らかにしようと設置されたそうです。


さて、お隣の部屋は、空気も変わって、
歴史の里で行われてきた「建築ワークショップ」のこれまでの軌跡を展示してあります。


1回目は土間の叩きつけ体験だったようです。
この道具を使ったのでしょうね。


2回目は石置き板葺き屋根の葺き替え体験。
土壁も作ったようです。


小舞かき、貫伏せ、と工程を進め・・


上から右のように土を塗った様子が・・順番に並べられていてわかりやすいです。


この日は外で5回目が行われていました。
(要・予約)


「仕口・継ぎ手」
初心者から、体験者まで、みなさん真剣そのもの。


奈川村の職人さんの指導のもと、みなさんそれぞれ完成させておられました。


では、裁判所から、次は旧松本刑務所独居舎房へ続きます。

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松本市 観る

たてもの野外博物館 松本市歴史の里(1)|松本の歴史と文化を伝える・市民がつくった博物館|松本市島立

松本の歴史と文化を伝える・市民がつくった博物館 たてもの野外博物館 松本市歴史の里。
ワークショップも開催されています。

内容は、「染め織関係」が主ですが、この日は「建築」ワークショップが行われていました。

たてもの野外博物館には、6,400平方メートルもの敷地に、江戸後期から昭和にかけて建てられた、
5棟の歴史的建造物が移築・保存されています。

住所:長野県松本市大字島立2196-1
電話:0263-47-4515
開館時間:午前9時から午後5時 (入館は4時30分まで)
休館日:毎週月曜日(休日の場合は、当日開館し翌日が休館)・年末年始(12月29日から1月3日)
入場料:大人(高校生以上)400 円 小人(中学生以下)無料
交通: アルピコ交通大庭駅→徒歩15分
長野道松本ICから国道158号経由1km3分
[googlemap lat=”36.231582″ lng=”137.93374″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”14″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県松本市島立2196−1[/googlemap]

158号線、上高地方面からですと、「町区東」信号過ぎると上記の看板が出ています。


次の信号「小柴」を左折です。白い看板が左手に出ています。
信号向こうに、高速道高架が見えます。
松本方面からは、この高速をくぐって最初の信号「小柴」を右折になります。


細い路地を行きますと、2本目左折するところにまた看板が出ています。


遠くから見た博物館。
田んぼの向こう、赤い屋根が製糸工場。
右側が和風裁判所、真ん中の白い建物は、旧松本少年刑務所独居舎房。


道路側には、浮世絵博物館も看板の通りありましたが、ロープで閉鎖されていました。


駐車場、かなり広いスペースがあります。


ではここから玄関口です。
左が先程見えた和風裁判所。


入口の看板アップです。


入場口、ちょっと狭くなり、雰囲気が出てきました。


入場口から。
突き当りに案内図が見えます。


信州の近代をテーマに貴重な建物が集まっています。
かなり広いので、案内板を見ながら、館内の大まかな説明を・・


まずは、入場口横の家は、武家住宅「木下尚江(なおえ)生家」。
作家・社会運動家であった木下尚江(1869~1937)の生家で、関連資料や「火の柱」他の著書を展示してあります。


この案内板の右横の建物は「管理・トイレ棟」でした。
ミュージアムショップもあるので、後でくわしくご案内します。


施設内の真ん中あたりにある「川浦(かわうら)宿・宝来(ほうらい)屋」
昭和58年に川浦から移築されました。
工女が大勢泊まったという宿、とても風情があります。
 


外から見えた、「県宝旧長野地方裁判所松本支部庁舎」と「松本少年刑務所」。

明治41年(1908)に建てられた裁判所は、明治期を代表する現存の近代和風建築として価値が高く、
また、旧憲法下の法廷は全国で当施設のみが唯一現存しているもので、県宝に指定されています。


「座繰(ざぐり)製糸工場」 
動態保存を目的に、設備・機械類も含めて下諏訪町から移築しました。
昔ながらの技術で生糸をひく実演を、定期的に行っています。

座繰りとは、数個の繭から糸を集めて一本の生糸にして糸枠に巻き取る手回しの器具のことだそうです。


右奥の「展示・休憩棟」には、
川島芳子記念室、やシベリア抑留展示コーナー、山本茂美展示コーナーもあります。


では案内図右横の「管理・トイレ棟」へ。


入口には竹馬が・・・
この敷地内なら安心して練習できるかも。


入口。


博物館の入場券もこの券売機で買います。


奥に無料のコインロッカーがあります。
多目的トイレには、幼児向け小型洋式便器も設置してあります。


売店入口の昔のおもちゃ。


売店。
こじんまりして見えますが、おもしろいものがいろいろあります。


歴史の里オリジナル商品で、「松本希望の家」の草木染グッズ。
天然の優しい色合いです。


天然繭や髪飾りと一緒に並んでいる書籍は「塀の中の中学校」
松本少年刑務所が舞台の2010年のドラマ。
オダギリジョーや渡辺謙、大滝秀治がアツイ演技をしていました。


製糸場で繭から糸をひき、加工した絹糸も売られています。
太さが3種類ありました。


藍の種も売られています。
やはり、染色をするなら、種から・・・?!


壁にもいろいろズラリ!


昔のおもちゃ。


絹の5本指ソックス、日本製はなかなか探すのは大変ですが、博物館にあるとは。
ほかにもタオルなど。


こちらも、歴史の里オリジナル商品。
木下尚江の「書」をモチーフに染めた作品です。


歴史の里のガイドブックなど。


奈川高原の日本蜂蜜や、絹飴!
信州のお土産も、ここで済ませられそう・・・。


繭を使った人形作り・・・


可愛い見本がたくさん置いてありました。


この日の建築ワークショップは「仕口・継ぎ手」。
奈川の職人さんから、釘を使わない組み方を皆さん一生懸命教わっています。

案内図で見た「たてもの」の内部へ、次回は入っていきたいと思います。

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観る 軽井沢町

軽井沢タリヤセンにある「睡鳩荘」旧朝吹山荘|軽井沢町塩沢湖

「睡鳩荘」は、軽井沢別荘建築史の中でも最上質のものである。昭和6年(1931)にアメリカ人ヴォーリズの設計により建てられた歴史的価値ある建造物である。

これは帝国生命や三越の社長をつとめた朝吹常吉の別荘であった。
また常吉の長女でありフランス文学者でも有名な朝吹登美子はこの別荘を愛し毎夏この別荘をで過ごした。
登美子の意思を受け、平成20年にこのタリアセンの湖畔に移築し復元した。

住所:長野県北佐久郡軽井沢町塩沢湖217
電話:0267-46-6161
タリアセン入園料:大人800円、小中学生400円
[googlemap lat=”36.328287″ lng=”138.596006″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”13″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉塩沢[/googlemap]

睡鳩荘を塩沢湖の湖上から湖を通してながめる眺めると、西欧など異国を思わせる情緒を感じさせてくれる。


睡鳩荘の一階にはテラス、二階にはバルコニーを設計し、白い手摺、白い窓枠は建物全体を一層引き立てている。


睡鳩荘の側面である。暖炉の煙突を建物の外に設計し建物全体引き締めている。


建物の設計は軽井沢の自然と調和させた、まさに寛ぎの別荘として設計してある。


一階の外壁はログキャビン風の羽目板、二階の板壁には菱形のレリーフ調の装飾、屋根は塩焼瓦葺きで造られている。


睡鳩荘はヴォーリズ設計の代表作として評価されている。
あらゆる角度からこの建物を鑑賞して観よう。


二階部裏側の外観と暖炉の煙突である。


一階部の開閉窓と窓から見えるダイニングルーム内である。


二階バルコニー部の軒下と開閉戸である。


テラスは広く設計されいる。軽井沢の別荘生活に欠かせないのがテラスである。
昼間はテラスで本を読み又、家族・友人達と語り合う空間である。


ダイニングルームとテラスの間はオープントビラで直接つながり自由に出入りできるように一体設計されている。これが睡鳩荘の特徴である。


テラスの柱、テスリは丸太をそのまま使いシンプルさを演出している。これもヴォーリズ設計の特徴である。


二階のバルコニーも別荘生活に欠かせない空間である。ここからは塩沢湖が一望できる。


別荘NO:817 ASABUKI(朝吹)の表札である。


この別荘で過ごした朝吹家の人々の写真が室内に展示されている。


睡鳩荘の見どころはヴォーリズ設計の広いこのダイニングルーム兼リビングルームである。
ダイニングルームの中央には10人程が同時に座れる無垢材のダイニングテーブルが堂々と置かれている。
これがシックな豪華さを演出している。


ガラス窓は室内から外の採光が充分採れるように天井近くまで高く設計している。
また室内には外の樹木の緑が眼に一杯入る。


ダイニングルームの中央には石積みの大きな暖炉が詰まれている。
当時の軽井沢の夏は、まだ朝は肌寒く暖炉が必要であったと言う。


部屋のすみずみに飾り棚を造り込み、厳選された逸品が棚に一点ずつシンプルに飾られている。


応接セットは、当時朝吹家で使用されていたものが、そのまま移設している。


重厚さを感じる応接ソファーの一つ一つは厳選され選び抜かれた逸品ばかりである。
当主の趣味のよさが伺える。


窓枠は軽井沢の涼しさをダイニングルーム全体に取り込むよう開閉式ガラス窓と網戸を一体化した構造設計になっている。


壁面の飾り付は豪華さを演出している、当時の富裕層の軽井沢での生活ぶりを偲ぶことができる。


天井は、丸太の剥き出しにした梁の設計はヴォーリズ建築の特徴的設計である。
天井には、丸太の梁と調和させたシンプルな照明ライトが施されたいる。


ダイニングルームには、特注で造られた軽井沢伝統工芸の軽井沢彫ダイニングボードが置かれている。


ダイニングボードに飾られた食器類。ダイニングボードには軽井沢彫りの特徴である葡萄が彫られている。


ダイニングテーブル中央に置かれたコーヒーポットとコーヒーカップ。


徳川家から拝領した電気スタンドがダイニングボードの上に飾られている。
注視すると「葵」の紋が彫られているのが解る。


一階のダイニングルームでは、軽井沢の伝統工芸である軽井沢彫が展示販売されている。


二階へ上る階段の造りはヴォーリズ設計の特徴の一つである。階段の勾配は緩やかに、そして踏み板は奥に幅広く、住む人に優しい設計である。この階段は欧米並みの広さであると説明している。


階段の天井から吊る提げられた電燈は別荘の佇まいに相応しく、淡い電球色で優しく演出をしている。


二階のリビングは広くユッタリした設計である。


リビングルームからテラスへは開閉ドアで、そのまま繋がる。ここから眺める塩沢湖の景色は一段と素晴らしい。


この床下全面には遮音のためオガクズが敷き詰められている。これはヴォーリズ建築の特有のものである。


二階のリビングには、この別荘で過ごした朝吹家の人々の写真が飾られている。


登美子の寝室兼書斎である。特に書斎の机は登美子の愛した調度品であるという。


引上げ式の窓を一杯に開けると軽井沢の清々しい風が室内に入り込む。


この書斎は当主の書斎であろうか。広い書斎にはユッタリと軽井沢堀の家具が置かれている。


なんと優雅な籐椅子であろうか。軽井沢の夏の風を一杯に受けながら朝吹家の一家が読書をした光景が眼に浮かぶ様である。

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赤沢森林休養林|赤沢森林鉄道の電車と森林鉄道記念館|木曽郡上松町

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食事処とバーベキュウ森林資料館

森林鉄道は、木曽の盛んな林業を支えるための大事な木材運搬の手段でした。

森林鉄道記念館は、手押しのトロッコから、蒸気機関車、ディーゼル機関車の導入までの歴史がわかる資料館です。

今では軌道を必要としないトラック運搬へと切り替わりましたが、森林鉄道の存続を望む声に応え、赤沢自然休養林への保存が決まり、昭和62年、森林鉄道記念館~丸山渡間1.1kmの往復で森林鉄道運行をすることになりました。

森林鉄道の歴史を記念館で見て、トロッコに乗って感じて見ることのできる貴重な施設です。
[googlemap lat=”35.732265309494906″ lng=”137.6254802942276″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”8″ type=”G_NORMAL_MAP”]35.732265,137.62548[/googlemap]
森林鉄道の駅までは駐車場から5分位。この階段を登れば駅です。

森林鉄道の改札所案内

客車の待合室

別角度から…

待合室の内部には写真などが展示されています

待合室の窓にはウドの旅してゴメンのステッカーが…

うどちゃんがここに来たんですかね~。

運賃と時刻表

●運賃(周遊料金です。片道ではありません)
大人(中学生以上)800円
小人(4歳~小学生)500円
団体(15名様以上各)100円引
●運行時間は季節によって違いますが、この日は繁盛期だったので30分に1本でていました。
季節によっては1時間に1本。土日が30分に1本という設定の時もあります。

改札も昔の駅のちっちゃい版のような感じ

改札後の待合室

森林鉄道記念館にある理髪車

山奥で何日も仕事に励む方たちのために、機関車に牽かれていった床屋さんです。製造にあたっては保健所も驚いたとか。一般の客車を改造したものです。

理髪車の説明

    理髪車
    山奥で働く営林署員は家族と離れ合宿所生活をしていたため。理髪車が巡回してくる日は、我が家へ帰るときの近づいた心楽しい日であった。
    床屋さんも理髪手と呼ばれる営林署の職員でした。昭和30年(1955)保健所の許可を受けて以来、延べ2万人が利用しました。

機関車

酒井工作所製のディーゼル機関車は現在も自走可能だそうです。

C4型ディーゼル機関車

C4型ディーゼル機関車の説明

写真がテカっちゃって説明が分らない部分がありますが…
蒸気機関車からディーゼル機関車になってかなりの作業効率があがったということが書かれています。

特製C型展望客車の全体

特製C型展望客車の室内

白いカバーがされていていかにもVIP用といった感じです。

特製C型展望客車の説明

これまたテカってしまっていますが、昭和32年に皇太子殿下(今上天皇)が赤沢へ視察に来られた時に乗車された貴賓車だということです。

ボールドウインの説明書き

    ボールドウィン蒸気機関車
    大正4年に小川入森林鉄道が開通したとき、アメリカのボールドウィン社から輸入。
    輸入された形状は、バランスの取れた優美な姿でしたが、経費節減のため石炭を木片に変えたことから、火の粉回収装置を付けた煙突が異常に大きくなりました。
    木曽谷の木材輸入の先駆者として、昭和34年まで実に42万キロメートルを走り続け「軽便」と呼ばれて地元の人からも親しまれてきましたが、ディーゼル機関車の登場で現役を引退しました。

ボールドウイン

本当に煙突がバカでかい…

ボールドウインの全体

ボールドウインの横

ボールドウインを後ろから

先端

運転席

いろいろなメータやパイプが

運転席の屋根は板張り

乗務員詰所

ここの詰所はかなり現実感が漂ってます。

平成天皇が皇太子時代に植樹したもの

奥に山が続きます

さぁ、トロッコへ乗って赤沢美林を散策してきましょう。

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赤沢自然休養林|伊勢神宮に使われるヒノキを切り出す森林の資料館|木曽郡上松町

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森林資料館では、木曽五木のいわれや伊勢神宮御神木伐採の歴代の記録。林業の歴史や木曽に生息する生物なども展示しています。

この資料館を見学してから赤沢美林を散策すると、また見方が違って楽しめると思います。

森林資料館
9:00~16:00 
入館無料
赤沢開園期間中は無休

[googlemap lat=”35.734390322042174″ lng=”137.6251208782196″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”9″ type=”G_NORMAL_MAP”]35.73439,137.625121[/googlemap]

資料館には入口の橋を渡り戻ります

木曽福島駅との間をバスが運行されてます

森林資料館の外観

スロープもついてます

森林資料館入口です

入口を入った左手にはかもしかのはく製

こちらはクマさん

森林資料館の館内

さほど広くはありませんが、木曽の林業に関する資料が沢山展示されています。

木曽五木コーナー、御神木コーナー

木曽五木

    木曽五木というのは、次の5つの樹木を指します。
    ①ヒノキ(ひのき科)
    ②サワラ(ひのき科)
    ③アスナロ(ひのき科)
    ④ネズコ(ひのき科)
    ⑤コウヤマキ(コウヤマキ科)

木曽五木のいわれ

    木曾五木のいわれ
    慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い)天下分目の決戦)で徳川方の勝利となり、木曾谷が徳川尾張藩領となる。(1615年)。徳川時代に入り初期中期にかけて、木曾谷の森林の伐採が急激に増加した。この100年におよそ、1000万立方米(年約10万立方米)も伐採されたといわれ、主に築城(江戸城ほか)、武家屋敷、造船等に使われ森林資源が急速に失われた。そのため尾張藩は、寛文5年(1665年)に「留山」…(優良林分カ所)。「巣山」…(鷹の繁殖地)の立入り禁止または伐採の禁止林を設け、森林資源の保護精度をとった。宝永5年(1708年)になり、木曾谷全域にわたり貴重な木材であるヒノキ、サワラ、ヒバ(アスヒ)、コウヤマキの4本を「停止木」…(禁伐材)。さらに、亨保13年(1728年)にネズコを加え、この五木を地元住民の禁止木とした。後にケヤキ、カツラ、マツも「留木」として伐採が禁止され、許可が必要となった。但し、藩では必要によっては伐採している。
    「ヒノキ一本首一つ」とまで言われるような厳しい保護政策をとり、これが現在残されている木曾ヒノキ等の天然林(林学上では、今から約380年から280年前にかけて、このように強度に伐採された跡地に天然更新した二次林とされている。)で、(赤沢自然休養林)美林は「留山」にはいっていた。
    このように、かつての「停止木」が木曾五木と言われるようになったものである。

ずらりと並んでいます、みんな同じに見えます

ひのきの説明

    ひのき(檜)
    ひのき科
    葉の裏にはY字状の気孔群が白く見えます。
    材質は木理が緻密で、香気と色沢があり、堅牢で腐朽に耐えます。「火の木」に由来すると言われています。

ひのき

あすなろの説明

    あるなろ(翌檜)
    ひのき科
    日本産の鱗片葉の中で最も幅広く、厚質の葉を持ち、葉裏には広い気孔帯が白く見えます。
    極端な陰樹で、ヒノキや他樹種が生長できない程に密生する若いあすなろ林が見られます。

あすなろ

さわらの説明

    さわら(椹)
    ひのき科
    ひのきに似ていますが鱗片状の小さな葉は先が尖り、葉裏の白い気孔群はX字状に見えます。
    沢筋や窪地に生息する傾向があります。

さわら

こうやまきの説明

    こうやまき(高野槙)
    こうやまき科
    乾燥地に生息し、尾根筋、表土の浅い岩石地等に多く見られます。赤沢では自生の個体が極めて少なくほとんど見られません。日本特産の一属一種です。

こうやまき

ねずこの説明

    ねずこ(鼠子)
    ひのき科
    葉の裏には目立った気孔群は見られません。
    材は木曽五木の中で最も黒く、下駄・民芸品等に利用されます。黒部峡谷に多く見られることからクロベともいいます。

ねずこ

御神木の伐採風景のパネルがありました

置き忘れた大割鉈

    置き忘れた大割鉈
    昭和45年6月 旧大滝営林署管内の国有林で発見されたものです。その昔(発見当時から推定約130年前のもの)
    木に突き刺したまま忘れた鉈がその木の生長により巻き込まれたものと推測されます。
    樹種はヒメコマツと思われ、その根張りの部分に巻き込まれています。

木に飲み込まれていて長い年月を感じます。

ヒノキの年輪も展示してあります

木曽ひのきで時代のできごとを紹介

江戸大火から東京オリンピック

1206年 チンギスハンがモンゴルを統一

1687年ニュートンが発見です、りんごが落ちました

産業革命です、アメリカの南北戦争が最近に感じます

日本国内です、豊臣、徳川と教科書の世界です

赤沢林の歴史も出てきます

天明の大飢饉、年輪が細いのは冷夏でしょうか

1800年代などかなり最近の話題になってしまいます

なんだか、教科書の世界の歴史が身近に感じられますね。
それだけ、少しずつ大きくなっていく樹木はやはり大切にしなければいけないと実感します。

林業コーナー

のこぎりやチェンソーな伐採器具の歴史がわかります。

ミノだと思いますが、現在でいうカッパでしょうか

極印類

自然コーナー

木曽に生息する蝶やカブトムシなど昆虫のはく製

動物のはく製は一通りあります

剥製のコーナー

何百年にもわたって永く営んできた赤沢美林の歴史を感じられる資料館です。私たちが生まれるずっと前からこの地に根をおろしているこの森の歴史を一度見てみると良いと思います。

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第24回国宝松本城氷彫フェスティバル|冬の松本城と氷彫コンクール|松本市丸の内

1月23日(土)~24日(日)にかけて、松本城公園で「第24回氷彫フェスティバル」が開催されました。
このフェスティバルのメイン、「氷彫コンクール」は、23日午後6時から24日午前6時まで徹夜で作品制作が行われ、できあがった氷彫は間近で見学することができます。

去年に引き続き、平田謙三、浩一親子チームの『“希望の未来へ”』が金賞を受賞しました。

松本城をバックにキラキラ光る氷の彫刻は、お見事!!
溶けてなくなってしまうのがもったいないです。。。

コンクールだけでなく、他にもいろいろなイベントが開催され、今年も多くの家族連れなどで賑わいました。
そんな氷彫フェスティバルの様子と、冬の松本城の様子をご紹介します。

氷の彫刻があるのは、松本城公園。無料で入場できます。
[googlemap lat=”36.2385″ lng=”137.970139″ width=”575px” height=”300px” zoom=”14″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県松本市丸の内4−1[/googlemap]

周辺に駐車場はたくさんありますが、入口に近い方から順にすぐに満車になってしまいます。
こちらは、市営駐車場。一回300円。
なんとか停めることができました。

時間が経つにつれ、氷彫刻も溶けてくるので、早めに行く方が良いかもしれません。

松本城の入口

人がいっぱい、自転車もいっぱい。
小さい子の迷子放送がよく流れていました。

氷彫フェスの会場地図

氷彫コンクールエリアでは、カメラ片手に氷彫刻観賞する人たちで賑わっています。

では、コンクール出品作品を一挙ご紹介。

1、チーム札幌 『ブルーマーリン』
高澤直之 吉川恭一

ブルーマーリン(黒カジキ)が大海原をジャンプする一瞬をとらえた作品を彫刻します。荒々しさと迫力のアル作品にしたいと思います。子供達の笑顔の為にがんばります!

2、TEAM SAKAMOTO 『遥か』
坂本秀明 竹内寛泰

子供達には想像力を、親たちには、子供達への遥かな思いを感じてもらえる作品にしたいと思います。

3、アイスアートクラブトヤマチームA 『飛翔~夢に向かって~』
楞谷貴志 浅田浩二

子供達が大きな夢に向かって、未知なる世界へ飛躍するように願いをこめた作品にしました。月と太陽は宇宙をイメージし、ペガサスは夢に向かい、力強く躍進する子供達の姿を映し出しました。

4、平田謙三、浩一親子チーム 『“希望の未来へ”』
平田謙三 平田浩一

希望の未来に向かって優雅にまう鳳凰と女性像を、躍動感あふれる作品で表現したいです。

5、ウェスティンナゴヤキャッスル 『未来へのはばたき~平和を願うリボン~』
安江洋輔 稲垣雄也 

近年、色々な活動にたいしての象徴に使用されるリボンを氷彫刻にも取り入れて、見ていただく方々にも身近にリボンというものを理解していただきたい。そのリボンに対しての感じ方や思いを持ち、その活動に賛同できれば、あたたかい心が通じ合うのでは・・・

6、帯広チーム 『SEA HORSC』
中村順一 芥川寸美礼

馬と竜落子を自分なりに掛け合わせてみました。想像上の動物で神話等に出てきます。海馬又はシーホースと呼ばれている、シーホースが海の中を優雅に泳ぐ姿を描いたものです。あなたはどう思いますか?

7、軽井沢プリンス・八重洲富士屋ホテルチーム 『夢想』
小林義明 本橋謙二

豪華で優雅、かつ、気品ある夢のような作品にしたいです。

8、ジャパン・イマジネーション・フーズ(株) 『春光』
中野徳二 元木文男

新春を迎え、経済の状態が大変悪い中!世界全体に暖かく明るい光を射し込むよう、今回は「春光」と名付けました。氷彫刻を始めて満33年。新春を迎えて数74歳になりますが、今年も国宝松本城氷彫フェスティバルに参加が出来ることを大変喜ばしく思っております。製作品が市民の皆々様に見ていただき、感動をしていただけるように努力し頑張りたいと思います。

9、グリンデルワルト 『ハイジとペーター Heidi und Peter』
ブルーノ・カウフマン ロマン・ラース

ハイジとペーターはスイスのアルプスに住む幸せな子供です。山での素朴で自然な生活を通して、友情・希望・信頼を見にもって学び、素晴らしい未来の決断と確信を得ていきます。

10、鶴見氷彫刻Bチーム 『夢へはばたけ』
山口裕昭 黒川知恵子 

大白鳥が大きく羽を広げて大空へはばたく瞬間を、子供達が夢へ向かって大きく羽ばたいてゆく様子と重ね合わせて表現していたいと思います。大きく広げた羽根をきれいに仕上げ、見ている人たちに感動を与えられるような作品に出来るよう、全力で頑張ります。

11、富山アイスアートクラブB 『DINOSAUR(ダイナソー)白亜紀の闘い』
亀山研介 澤崎嘉仁 

共に白亜紀(約1億4550万年前~約6550万年前)に生息していたとされる、獣脚竜で最も現代で人気のあるティラノサウルスと、翼竜の中で最も美しいといわれているミクロラプトル。この両者が、もし闘ったらどちらが勝つのだろうと、想像しながらデザインしました。子供達の想像力をかきたてるような、臨場感ある闘いを表現できたらと思います。

12、ラ プラージュ 『出発(たびだち)』
堀田悟 堀田匠人

白鳥が水面から飛び立つ様子を彫りたいと思います。

13、鶴見氷彫刻Aチーム 『未来へ』
上妻浩二 五十嵐章信

バショウカジキが大きくジャンプする姿をちからづよくさと流れるような曲線で表したいと思います。明るい未来へ向かって大きくジャンプ!!

14、木村・木村チーム 『優美』
木村裕昭 木村周三

女性の美しさ、衣の流れ、全体の優雅さを表現します。

15、長野氷彫倶楽部 『「夢幻」~終・創~』
奥原大介 良波学

無から生み出される新しい力。作品で時の流れを表現したいです。また、会場に足を運んでいただいたお客さんの心に残る作品を目指します。

16、鶴見氷彫刻Dチーム 『希望』
折本直行 水野亮

初めて出場します。仲間と協力してよい作品を作りたいと思います。鮭の荒々しさと躍動感を表現し、勢いのある生命力と、希望に満ちた作品にしたいと思っております。よろしくお願いします。

17、N・Y&Y・M 『ハートにこめて・・・』
山崎紀夫 松井靖

様々な願いが叶うように、気持ちを込めた作品にしたいと思います。

18、鶴見氷彫刻Cチーム 『花精』
市川洋一 佐藤健太

春を待っている花の精を、かわいらしく細かい所まで彫り上げたいと思います。

会場の一角にはデモンストレーションで使われたと思われる氷彫も・・・。

これ・・・「土曜はこれダネッ!」で、アナウンサーの人がハートの部分を作ってました。
まだきれいに残っています。

来場者先着100名が一般審査員として参加し、作品が審査されます。
最高賞である金賞&一般審査員の特別賞を受賞したのは
平田謙三、浩一親子チーム 『“希望の未来へ”』

金賞を受賞した作品は、さっそくテレビ取材。
ちなみにこちらはテレビ信州さん。

取材されている氷彫もあれば、崩れてしまった無残なものも・・・。

きれいな氷彫を楽しむなら、午前中じゃないと溶けちゃうみたいです。

さて、お楽しみは氷彫コンクールばかりじゃありません。
いろいろなイベントが催されています。

スタンプラリー
インフォメーションセンターに設置された用紙をもって、氷彫フェス会場や大名町商店街にあるスタンプを集めます。

先着1000名(各日500名)は、すでに〆切り・・・でした。

侍戦隊シンケンジャーショー

人が多すぎて見えない・・・。

松本山雅FCトークショー

これまた見えない。さっきよりマシ?

他にもステージではじゃんけん大会やコンサート、ダンスパフォーマンスなどいろいろあったそうです。

松本城北西側にあるおたのしみ広場では、フリマや物産品の販売、カーリング、足湯などがありました。

懐かしいおもちゃが山ほど!!
レア物もまぎれてます。

カーリングゲーム

的を狙って、当てられたらチョコや飴の景品がもらえます。

カブトムシのくじ引き

一回500円でヘラクレスオオカブトが当たったら、ラッキー☆

移動足湯(無料)

松本城西南側は、飲食ブース。
クレープ、たこ焼き、フランクフルトなどの屋台が並びます。

その中でもひときわ目立っていたのは、ドネルケバブ。

大っきなお肉から肉汁ポタポタ・・・。

思わず買っちゃいました。

キャベツがたくさん入っていて、意外とヘルシー。

松本城本丸庭園内は、氷彫フェス中は特別に無料開放。

普段なら大人600円、子供300円です。

天守閣へ入るのは、有料です。

松本城と城下町

松本城と城下町
 松本城はもと深志城と呼ばれ、中世には小笠原氏の一支城であった。そのころすでに今の二の丸東側には市町が形成されていたが、西方一帯は沼地であった。本格的な近世城づくいが始まったのは1580年代で、城郭と城下町一体の都市計画を推進したのは、豊臣大名としてこの地に入った石川氏である。天守を建てたのは2代康長の時で1593~94年と推定される。
 3重の水堀と塁を巡らして郭の縄張りを行い、本丸と二の丸を内郭とし三の丸を外郭とした。この広さはおよそ39万㎡で、内郭には天守、御殿、蔵など城主と藩の施設を置き外郭は城主の親衛隊である上級家臣の屋敷地とした。総延長3.5キロの塁上には透き間なく土塀をかけ、前面は完全囲繞の水堀で、厳重な城門を構える虎口(枡形と馬出し)だけが場内への通路である。
 城外は南から北へ通る善光寺街道に沿って城下町を割り、その東側に寺社を配置した。城下の町筋は格子状のものより鍵の手やT字形交差が多い。居住区分は厳格で士と、町人の混住はまったくなく、士や敷地は木戸の内と外に分けて中級と軽輩の居住区とし、町人地は親町3町、枝町10町、24小路にランク付けして、身分と職業によって住まわせた。
 左図は城郭の北東上空から南方を望む鳥瞰図である。

黒門をくぐって本丸庭園へ・・・。

何気なく通ってしまう黒門。
よく見るとすごいどっしりした造り。

黒門の中には、立派な生花。

日本100名城のスタンプラリー

用紙がなかったので、スタンプをアップで撮ってみました。

本丸庭園
本丸御殿があった跡地は、今では芝生の庭園になっています。

庭園内はイベントがないため、混雑はしてません。
冬の間もきれいにお手入れされてます。

松本城を救った功労者の記念碑

松本城保存の功労者
小林有也先生
先生は大阪(和泉国泉北郡伯太村)の出身で、安政2年(1855)藩の江戸屋敷で生れた。
初代松本中学校長として来任し29年間子弟の教育に尽くした。その間、荒廃した天守を憂い、明治34年(1901)天守閣保存会を起こして修理に辺り(12年間)天守を倒壊の危機から救った。

市川量造先生
先生は信濃国松本の人、弘化元年(1844)北深志町下横田で生れた。
明治5年(1872)松本城天守が235両1分と永150文で競売されたのを憂い、幾多の困難を克服して天守を買い戻し、その保存に貢献した。
後に戸長、県会議員等歴任。

宇宙ツツジ
わらぼっちをかぶっているため、ツツジだかなんだかわかりにくいですが、看板があるのでかろうじて確認できます。

宇宙ツツジ
日本人初の女性宇宙飛行士向井千秋さんと宇宙を旅したツツジの種から発芽させたもので、全日本花いっぱい館林大会を記念して群馬県館林市から松本市に寄贈されました。
松本市は、花いっぱい運動発祥の地として、長年この運動に取り組んでいます。
平成15年5月1日植樹

「わらぼっち(The snow guard)」

藁ぼっちつらぬく棒のこころざし
                     岩下四十雀

この松本城の「わらぼっち」は、木々の雪囲いの頭につけるもので飾りの意味と霜除けや雪が積もりにくいという実用を兼ねたものです。
松本城でも冬の風物詩として定着しています。
全部で何種類あるんでしょうか?
職人さんの粋な美意識を感じます。

小笠原牡丹
これもわらぼっちを被っております。

小笠原牡丹
天文19年(1550年7月)
甲斐の武田信玄に攻められた小笠原長時は、林城館にあった純白の牡丹が敵兵に踏み荒らされることを憂えて、これを里山辺の兎川寺に託して去った。
その後同所の久根下家は、この牡丹を守り、昭和32年11月と平成18年10月にその株を松本城本丸へ移した。
これが小笠原牡丹である。

天守の説明書き

天守の各部分の名前や大きさなどが書かれています。

本丸庭園の外にある天守の説明書きには・・・

国宝松本城天守
所有者 国(文部科学省)
管理団体 松本市
       
名称構造                建築
                    推定文禄二年~
天守 五重六回本瓦葺      城主 石川康長
乾小天守 三重四階本瓦葺    右に同じ
渡櫓 二重二階本瓦葺       右に同じ
辰巳附櫓 二重二階本瓦葺    城主 松平直政
月見櫓 一重地下一階附本瓦葺  右に同じ

特徴
五棟の建物は天守を中心に北には乾小天守を渡櫓でつなぎ、東には辰巳附櫓と月見櫓を付属させたいわゆる連結複合式と呼ばれる独特の構成で、その外壁は各重とも白漆喰の大壁で腰には黒漆塗りの下見板が張ってある。月見櫓は天守建築には珍しい殿舎風造りで三方に朱塗りの回縁をめぐらしてある。

国宝指定
昭和十一年四月二十日(国宝保存法)
昭和二十七年三月二十九日(文化財保護法)
修理
昭和二十五~三十年度(全建物解体修理)

冬の松本城の桜

シダレザクラです。柳と間違えてしまいそう・・・?

ただいま冬眠中。今年もきれいな花をさかせてくれることでしょう。

売店の横には、ちょっとした休憩スペースがありますが、庭園内よりも混雑しています。

本丸庭園内のトイレ

普通の日本家屋のような立派なトイレです。

お堀に白鳥が2羽。

お堀の人気者です。

松本城のコイは、人間慣れしているせいか、人がいる方にどんどん寄ってきます。
「エサをくれ」と言わんばかりに、お口をアーン!!

つい、エサを与えてしまいたくなりますが、
松本城公園では、エサを与えることは禁止されていますので、与えないように。

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松本市 観る

牛つなぎ石|買い物に牛を連れてきたら利用を|松本市本町

松本駅前通りから松本城方面に向かう大通りのもっとも賑わっている伊勢町通りと本町通りの交差する辻角に建つ「牛つなぎ石」をご紹介いたします。

この石、かつては地蔵清水にありましたが、松本城下町整備にともない本町に移されました。

戦国時代、武田信玄の軍が塩不足に陥り、敵方の上杉軍が塩を送ってきたときに塩を運んできた牛をつないだという伝説の石です。

現在でも「敵に塩を送るとは、どういうつもりだ!」とミスをした相手を怒る際などに使われますが、その「塩」を運んだ場所ですね。

当時松本地方は甲州の雄武田信玄の支配下にあり、この武田方と敵方に当たる今川・北条方は太平洋岸の南塩の道筋を封じ、甲州・信州の民人を困窮させた。これを知った信玄公は武田方とは敵対関係にありましたが日本海岸の北塩を糸魚川経由で松本方面に送りました。送られた塩が牛の背にゆられて松本に届いたこの日永禄(1569)1月11日を記念して、初市の日となり塩市が始まったとつたえられています。

駅前通りのこの四つ角の信号を左折です。サークルKのある信号

松本駅からの行き方です。
松本城を目指してください。

伊勢町通りと本町通りの交差点

足元をご覧ください。交差点の角に見えますね。足を止めて見る人はあまり居ませんが、たまに観光客らしき人が立ち止まって見ています。不思議な石、発見!
この角には150年以上続く店もあるので寄ってみてもおもしろいかもしれません。

牛つなぎ石

本町1丁目にある牛つなぎ石です。おごそかにしめ縄が巻かれていてこんな町中に出没、不思議な石です。
何度もこの前を通り過ぎたことのある方もいると思いますが、周囲がビルのため気付きにくいと思います。

縁起看板

町内古老口伝が書かれています。当時松本地方は飴の生産日本一を誇っており市内の飴屋さんが塩俵に因んだ飴を作り○来飴市の方が通用するに到りました。飴売り商人が大勢売り歩いたため、塩市は飴市となり、年々盛大になってきたようです。

牛つなぎ石アップ

戦国遺跡塩市と書かれていますが、しめ縄がはりめぐらされていることから市神のご神体であったのではないか、と言われています。


牛つなぎ石のバックからみたところです。

区画整理事業により街並みは当時と比べようもないほど
整備され、飴市も第2土・日曜日に開催されるようになりましたが飴市のルーツは戦国時代にあったのですね。
牛つなぎ石が戦国と今を繋いでいるという事でしょうか。
商売繁盛を祈ります。
場所はこちら
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