「山の幸」だけでなく豪華な「海の幸」も!
江戸時代・・車も冷蔵庫もなかった時代に、
渓谷にて、これだけのおもてなしをできたとは!その権力の大きさがわかります。
山村家は、木曽谷の徳川直轄地支配を任された木曽代官で、
福島関所の関守を兼ねていました。
山村代官の暮らしたこの御屋敷で、現存しているのは下屋敷の一部と庭園のみですが
山村家の文化資料、著書、調度品などが展示されています。
住所:長野県木曽郡木曽町福島5808-1
電話:0264-22-3003
開館時間:8:00~17:30、8:00~16:30(11月)、8:30~16:30(12~3月)
休館日:木曜日(12~3月)、年末年始
入館料:一大人300円、小・中学生150円、幼児無料、身障者100円(団体割引、他館との割引共通券あり)
交通:JR木曽福島駅から徒歩10分、中央自動車道伊那ICから車で30分、長野自動車道塩尻ICから車で50分
駐車場:5台(無料専用駐車場)、大型可(要予約)
[googlemap lat=”35.851688″ lng=”137.697782″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”14″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県木曽郡木曽町福島5808[/googlemap]
お屋敷玄関です。
十数段の階段がありますが、足の悪い方は階段を使わずに(↓)、
隣の小学校との間の、赤く舗装された道を上がってゆくこともできます。
なつかしい赤い丸ポストも木曾町にいくつか残っています。
「山村氏は鎌倉幕府の大学頭大江匡秀衡一族の流れを祖とし、木曽義元の食客となった ことにはじまり、木曽氏の重臣として活躍しました。後に関ヶ原に向う徳川秀忠の先陣を 承って活躍し、勝利を得たことから木曽谷の徳川直轄支配を任される木曽代官となり・・」と看板解説にあります。
左手に「山村稲荷」が奉られています。
「おまっしゃさま」という木やりを歌う狐が住んでいた、という伝説があります。
高い木々の中を抜けて左手にお屋敷があります。
日差しが強く蒸した町中からくると、明らかに空気が清涼に変わります。
「ゆったり歩こう」木曽町の地図。
関所跡など関連の場所も載っています。
受付。
木曽町内の施設共通割引券などもありますので、関所資料館など行かれる際はあらかじめ割引券を購入することをお勧めします。
進路に合わせて進みますと・・
まずは山村氏が儀式のときに使っていた鐙や鞍などが展示されています。
鞍も立派です。
馬に乗って、中山道を行き来した代官の姿は、人々にどのように映ったのでしょうか。
代官様の裃(かみしも)。
㊀という印が山村家の家紋だったそうです。
甲冑。
当時の人はだいたい150センチくらいだったらしいです。
「甲冑の付け方」説明もありました。
・・重たかったでしょうね・・・「馬」はなおのこと・・・。
木曾の草花の標本の中には、クロユリやチングルマなどもあります。
木曽五木。
手書きの説明と実物がとてもわかりやすかったです。
当時、檜を許可なく伐採した者は「打ち首」。
木曾の木を守ることがまずは代官の一番の大事な役目だったそうです。
トランプでいう「神経衰弱」。
女性たちが何時間もかけてやったそうです。
9代の良由(よしたか)公は、島崎藤村の小説『夜明け前』にも名君として登場します。
当時すべて手作りで「本」がつくられていました。
内容も言葉も厳選されたでしょうね。
家系図と屋敷図。
この屋敷の隣は現在は「福島小学校」。
当時はすべて山村屋敷の敷地で、いくつもの庭や何十棟もの建物が立ち並んでいたそうです。
翠山楼内部。
凛とした空気と同時に、なんだかとても落ち着く感じです。
木曽駒ヶ岳を借景とした庭。
「築山泉水式」というのだそうです。
雲の中からうっすら木曽駒のピークと稜線が見えました。
庭園から見た下屋敷。
山村蘇門の家臣であり学友でもあったという石作駒石の書斎「翠山桜」。
管理人さんのイチオシのアイディアはこの鍋料理。
火鉢、火箸の上に鍋を置いてます。確かに今の旅館などで個々に出てくる鍋料理の原型かも。
鶴や亀に施された金の刺繍・・。
どんな女性が袖を通したのでしょうね。
こんな大きな九谷焼。
富山湾で捕れた鯛や鰤を盛りつけました。
朱く塗られたところを持って運んだようですが、ひとりでは運べなかったでしょうね。
こちらは「おまっしゃさま」といって、屋敷が取り壊されるときに発見されたキツネのミイラを
守り神として祀ってあります。
普段は扉が閉まってますが、中にはほんとうに美しい姿のキツネが保存されていました。
当時の消防衣。
夏は麻、冬はウールなど。これにも家紋が入っています。
もちろん指揮する側の衣で火消はもっと動きやすいものだったようですが、
このまま現代のファッションショーに登場できそうな感じです。
この時代にしては天井が高いです。
薙刀の高さと関係あるとのことでした。
良祺代官様も、書斎からこの風景を見ていたのでしょうか。
「看雨山房集」をはじめ、4冊の書も残しています。
9代目の山村蘇門も、小さい頃から読書や学問に励むことが何よりの喜びだったという勉強家だったとか。
どの代官も仕事をこなすだけでなく、残した絵や書の立派なことの驚かされます。
山村家所蔵の雛人形。
弘化4年のものは、顔も姿も大陸の雰囲気です。
今回は、管理人の奥様が屋敷内を案内してくださいました。
素敵な笑顔と、わかりやすい解説で、
贅沢な空間の中、時代を超えて、とても有意義な時間を過ごさせてもらいました。
手に持っておられるのは、楊枝の入った手づくりの記念品。
旅の途中、使わせてもらいました。
このお屋敷、
戦時中は山村家の疎開先として、戦後は日本銀行の保養施設になったりした時期もあったそうです。
庭園では年に数回お茶会も開かれています。
木曽福島で、中山道が賑わっていた時代にゆっくり思いを馳せたいとき、おすすめの場所です。