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池田町 観る

てるてる坊主の館 浅原六朗文学記念館|てるてる坊主の作詞者の記念館|池田町池田

童謡「てるてる坊主」の作詞者、浅原六朗(池田町出身)の記念館。
からかさを模った建物内には、浅原六朗の蔵書、青春日記、交友があった作家たちの書簡及び写真、人間俳句集、自筆の書、色紙、愛用の筆記用具などの資料が展示されているほか、毎年クラフトパークで行われるてるてる坊主アート展で出展されたてるてる坊主が飾られています。
てるてる坊主のBGMを流してくれたり、係の方が詳しく案内してくれたり・・・丁寧なおもてなしなのに入館料は無料です!!

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てるてる坊主の館 浅原六朗文学記念館
【開館時間】午前9時30分~午後5時
【休館日】毎週月曜、国民の祝日、年末年始
【入館料】無料
【お問い合わせ】
Tel:0261-62-5659
Fax:0261-62-6616
池田町池田3203-5(役場敷地内)

てるてる坊主の館は池田町役場の隣にあります。
ここは役場庁舎のある敷地の入口にあるロータリー。

非核平和宣言記念碑よりも目についてしまうのが・・・

てるてる坊主!!

町のあちこちで見ることができます。

駐車場は役場の駐車場へ。

教育会館や役場など町の施設が集まる敷地内の一画にあります。

池田町教育会館

池田町公民館

今年で30回目「てるてる坊主童謡まつり」が6月25日(土)午前9時から池田町公民館で開催されます。
午前中は童謡の披露、午後は素敵な銅版に変身した「てるてる坊主の館」を記念してコンサートを開催します。入場は無料。
(お問い合わせ:池田町図書館0261-62-5659)

池田町役場

池田町立図書館

てるてる坊主の館

「てるてる坊主」<「浅原六朗」

親しみやすい「てるてる坊主の館」という呼び方より、正式名称の「浅原六朗文学記念館」が強調された館名板です。

てるてる坊主が刻まれたキュートな雫形のモニュメント

老朽化で雨漏りしていた屋根、今年葺き替えをしてきれいになりました。

入口前にあるこのスペース、「あじさい広場」といいます。
6月、梅雨の時期にとことんこだわった施設という感じ。

あじさい広場でひとり読書する少女

職員は常駐していません。
「ピンポーン」と押すと、隣の図書館から職員の方が来てくれ、開館してくれます。

これだけの施設なのに入館料は無料。さすが池田町!!

入って正面のところにプロフィールがありました。

浅原六朗は明治二十八年(一八九五年)池田町にうまれました。幼少期を親類の家に預けられました。このことが後にふるさとを強く求めることにつながりました。
晩年、何度か当町を訪れ町民との交流が深まり昭和三十八年「てるてる坊主」の童謡碑が建立されました。作家としても感覚的思考の小説を多数発表し晩年は句作に励みました。

その隣には自筆のてるてる坊主の歌詞

パンフレットと一緒にもらう楽譜の裏にも印刷されています。

受付で署名をします。
その間に職員の方が館内の照明をつけたり、てるてる坊主のBGMを流してくれます。
ちょっと特別な気分♪

パンフレットと楽譜

子供にはてるてる坊主のステッカーをプレゼント。

制作は松本大学の山根ゼミ、デザインは田中裕理さん。

パンフレットにも載っていますが、浅原六朗の年譜です。

1階はこんな感じ。
職員の方が案内してくれます。

父の慈朗さん、母のたきさん、幼少期の六朗さん。

明治28年2月22日池田町一丁目の酒造業飯田屋の四男として生まれました。

童謡「てるてる坊主」を作詞した頃の写真。
24歳頃でしょうか。

作曲者の中川晋平さん。

自筆原稿の複写は手にとって見ることができます。

池田小学校の校歌の作詞も浅原六朗!!

浅原六朗てるてるマップ

てるてる坊主・浅原六朗にまつわる所をまとめたマップです。
城山公園にも歌碑がありましたね。

実際に読むことはできませんが、浅原六朗の著書が揃っています。

浅原文庫

屋根はから傘を模ったもの。

1番の歌詞後半 ♪はれたら金の鈴あげよ♪ という歌詞の通り、
天井には鈴がぶら下がっています。

階段は「てるてる坊主アート展」のギャラリー、
前回の作品約600体が飾られています。

ちなみに、手前の一番目立つところにあるのが受賞作品。
第5回は8月25日(木)~8月28日(日)に開催されます。作品募集中だそうです。
(お問い合わせ:池田町観光協会0261-62-9197)

2階はこんな感じ。

奥にオルガンがあります。楽譜はもちろん「てるてる坊主」

こちらの部屋は池田町の文学碑の紹介

町の文学碑について

池田町の各処に、著名人をはじめとする多くの人の、文学碑が数多く建てられています。その数は70余になります。近在の町村に比較して、その数が多いのにここを訪ねてきた人が驚くことがあります。
北アルプスの山麓にあって、今では田園の中の小さな田舎町にすぎませんが、遠い昔から著名な文人墨客の往来が多かったようです。江戸の中期には庶民のための学問所が開かれる等、文化的にはほかに見られない高い風土を持っていました。これらの歴史や町に残された文化遺産を、ここに育った物として誇りに思うと同時に、いつまでも大切にしていきたいと思っています。

壁には文学碑の写真と場所などの説明が掲示してあります。

てるてる坊主ノート

池田町やてるてる坊主の館の感想などはこちらへどうぞ。

館内には近隣の小学生たちが作った作品なども展示されています。

町民に親しまれる、あたたかい雰囲気の記念館だなぁと思いました。

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観る 軽井沢町

軽井沢タリヤセン 明治44年館 旧軽井沢郵便局舎|軽井沢町塩沢湖

国登録有形文化財(平成20年登録)旧軽井沢郵便局舎であり明治44年に建築された。
平成6年にタリアセン敷地内に「明治44年館」の名前で旧軽井沢銀座より移築された。

旧郵便局舎は、軽井沢の発展とともに外国人、政府の要人が多く滞在するようになり佐久地方唯一の二等郵便局に昇格した。これに伴い建設されたものである。
現在館内は「深沢紅子の野の花美術館」と、レストラン「ソネット」が利用している。
クラシックなレストランでの食事は格別である。

住所:長野県北佐久郡軽井沢町塩沢湖217
電話:0267-45-3662
タリアセン入園料:大人800円、小中学生400円
明治44年館入館料:700円
[googlemap lat=”36.328287″ lng=”138.596006″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”13″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉塩沢[/googlemap]

塩沢通りのタリアセン正門の手前に立つ「明治四十四年館」入口の案内標識である。
一階はイタリアンレストランソネット、二階には深沢紅子の野の花美術館の案内がされている。
入館はタリアセン園内からもできる。


塩沢通りから「明治四十四記念館」敷地内に入る正門である。


正門を入り奥に進むと正面に洋風の旧軽井沢郵便局舎「明治四十四年館」が見えてくる。
一階がレストランソネット、二階には高原の野の花を題材とした洋画家、深沢紅子の作品が収集され展示されている。


明治四十四年記念館は木造二階建寄棟造、壁は軽井沢の別荘に多く見られるドイツ下見板張、屋根は重厚感溢れる瓦葺で造られている。


建物は欧風建築の特徴的技法でデザインされ重厚感がある。
外観の色は建築当時の色彩を再現した淡いグリーンの若草色である。


二階部の軒下には腕木で装飾した西洋建築の特徴を現した設計をしている。


記念館入口案内。


記念館の正面中央部は突出し、かつての郵便局の出入口が両方向に造られており現在もそのまま使用されている。


正面玄関反対側の入口である。


窓の全ては西洋建築の特徴である「引き上げ式」を取り入れている。


正門から記念館に通じる道の両側には、四季折々様々な野の花が咲き、野の花美術館に相応しい演出をしている。

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観る 軽井沢町

軽井沢高原文庫|立原道造詩碑と中村真一郎文学碑|軽井沢町塩沢

立原道造の詩は「四季」への掲載を機会にして文壇で頭角を現した。
軽井沢では堀辰雄、室生犀星等と交流を深めた。

立原道造は1934年(昭和9年)に初めて軽井沢町追分に滞在後は追分で過すことが多くなった。
道造の詩にはこの地を題材とした作品が多い。
又東京帝国大学建築科を卒業した建築家でもある異色の詩人であった。

住所:長野県北佐久郡軽井沢町塩沢202-3
電話:0267-45-1175
[googlemap lat=”36.32722720146474″ lng=”138.5971212387085″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”13″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県北佐久郡軽井沢町長倉塩沢[/googlemap]

立原道造の詩碑は高原文庫の庭内に地元住民約1000人の有志によって立原道造の功績を称え建てられた。


立原道造は24歳8ケ月で病没した短命の若き詩人であった。


軽井沢を愛した達原道三の代表作「のちおもいに」の冒頭部が詩碑に刻まれている。
「夢はいつもかへって行った 山の麓のさみしい村に 水引草に風が立ち 山ひばりのうたひやまない しずまりかへった 午さがりの林道を」


中村真一朗は戦後派作家として当地ゆかりの多くの小説を残した。また文芸評論などでも活躍した。軽井沢を画いた作品には「四季」「火の山の物語」がある。
文学碑は真一郎の功績を称え平成14年に640余名の有志によって建てられた。


この文学碑には、中村真一郎の詩「夏の樹」の全文が使われている。
「光を浴びて野の樹 緑に燃えて金の絵ちらし しじまの凍る真昼時 大地の夢を高く噴出し・・・ 」

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軽井沢高原文庫|堀辰雄の代表作「美しい村」に登場した1412番山荘|軽井沢町塩沢

堀辰雄の代表作「美しい村」に登場することで有名な山荘である。
1941年(昭和16年)アメリカ人スミスが使用していた別荘を購入し、4年間をこの山荘で過した。

後年、深沢紅子夫妻が夏のアトリエとしても使用された。
現在は、妻の掘多恵子夫人より軽井沢高原文庫に寄贈され、この地に移築し一般公開している。

入場料:高原文庫の入館料に含まれる。
住所:長野県北佐久郡軽井沢町塩沢202-3
電話:0267-45-1175
[googlemap lat=”36.32722720146474″ lng=”138.5971212387085″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”13″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県北佐久郡軽井沢町長倉塩沢[/googlemap]

解説版には堀辰雄の山荘入手から、現在の保存までの経緯が書かれている。


山荘の構造は落葉松を主材として、屋根は切妻屋根であり軽井沢初期の別荘の代表的な造りである。


正面玄関上部の1412番の表札が目に留まる。
玄関の天井の梁は、落葉松の丸太を剥き出しのまま使用し素朴な造りである。


外壁は杉の木の皮を使用した杉皮張りである。


山荘の造りは落葉松の丸太を梁に剥き出しのまま使い、いかにも文学者の山荘らしい素朴な造りである。
屋根は「杮葺き」であったが現在はトタンに改築されている。


屋根からは暖炉の煙突が素焼きの土管を重ねたまま突き出しており、素朴で趣きのある光景である。


紅葉の季節の樹木の中に建つ山荘である。


紅葉の季節の樹木の中に建つ山荘である。


室内の壁面はアンペラ貼りである。


木の温もりを生かした素朴な山荘内。山荘内では様々な特別展が開催されている。


小説「美しい村」に登場することで知られるテラスである。


テラスは軽井沢別荘に多く見られる屋根付である。


テラスは広く設計してあり、寛ぎの空間として利用された。

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軽井沢高原文庫|野上弥生子の書斎兼茶室|軽井沢町塩沢

小説家、野上弥生子(日本芸術員会員、文化勲章受賞)の書斎兼茶室である。
1933年に北軽井沢に建設され、その後1996年この軽井沢高原文庫の庭内に移築し公開している。

弥生子は「ホトトギス」への掲載を機に文壇にデビュー。また夏目漱石の門下である野上豊一郎の妻であることでも知られている。
弥生子の軽井沢を舞台にした作品には「迷路」、随筆「鬼女山房記」がある。この山荘は文人達の交流の場でもあった。

入場料:高原文庫の入館料に含まれる。
住所:長野県北佐久郡軽井沢町塩沢202-3
電話:0267-45-1175
[googlemap lat=”36.32722720146474″ lng=”138.5971212387085″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”13″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県北佐久郡軽井沢町長倉塩沢[/googlemap]

解説版には弥生子のこの山荘での当時の暮らしぶりや、多くの文人等と交流した様子が解説されている。


現在、書斎が建つ場所は小高い石垣の上にあり、移築前のかつての北軽井沢の地形に合わせて建てられた。。


屋根は茅葺、室内は茶室風に設計された山荘の離れ屋である。この風情ある書斎は野上弥生子のお気に入りであった。


建物の構造は簡素ではあるが、自然に親しみ、孤独を愛した弥生子らしい造りである。


弥生子はこの縁側から、浅間山から朝日が昇る光景や浅間山の裾野に広がる自然に親しんだことだろう。


書斎の書院窓は丸く土壁をくりぬいた造りであり、一般的な書院窓のような竹格子が無いのが特徴である。


屋根は茅で葺かれ、苔むした姿がこの離れ屋に相応しい。


離れ屋の玄関の梁と柱は丸太を剥き出したまま使い、自然と調和させた軽井沢らしい造りとなっている。


離れ屋の玄関口である。左側には懐かしい建て付けの下駄箱がある。


離れ屋内には、書院造りの書斎と茶室風の和室の二部屋がある。


床の間の床柱と梁は自然の丸太をそのまま使い、いかにも山荘の茶室らしい。


この茶室では、宝生新・桜間金太郎・安部能成等と謡い会を催したという。


天井から吊る下がっている裸電球の傘は質素で古めかしく弥生子の当時の暮らしぶを偲ぶことができる。


室内は茶会も出来るように茶室風の造りとなっている。

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軽井沢高原文庫の浄月庵|大正初期に建てた有島武朗別荘|軽井沢町塩沢

武朗の父武が明治末期から大正初期に建てた別荘である。
父から譲り受けた武朗はこの別荘で1916年(大正5年)から毎夏を家族と過ごした。

この有島武郎の別荘「浄月庵」は、1993年婦人公論記者との心中事件の舞台となったことで脚光を浴びた。
また渡辺淳一の失楽園にも登場している。
現在、軽井沢高原文庫内に建つ別荘は武朗の終焉の地である三笠ホテルの近くからこの地に移築したものである。

住所:長野県北佐久郡軽井沢町塩沢202-3
電話:0267-45-1175
[googlemap lat=”36.32722720146474″ lng=”138.5971212387085″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”13″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県北佐久郡軽井沢町長倉塩沢[/googlemap]

高原文庫の前にある「旧有島武朗別荘」の案内標識と解説版である。
解説版には、別荘「浄月庵」の由来と有島武朗の代表作品について解説されている。


別荘の造りは木造二階建ての和洋折衷風の建物である。
武郎の代表作「生まれ出ずる悩み」は大正7年に、この別荘で生まれた。


外壁は全面が杉皮貼りで造られている。


一階のテラスは広く設計され軽井沢別荘の共通の特徴である屋根付である。


別荘の勝手口。


記念館の正面玄関である。記念館とカフェライブラリー「人房の葡萄」の入口である。


記念室は玄関を入った階段を上った二階にある。
入館は軽井沢高原文庫の入場券で入れる。
またカフェを利用すれば無料で入館することができる。


記念室内には武郎の著書・原稿の原紙、この他に室生犀星の原稿などの貴重な資料が公開されている。


記念館の中央に置かれたショーケースショーケースを中心に資料が展示されている。


有島武郎の代表作である「或る女」が映画化された時のポスターである。
京マチコ、若尾文子等の最盛期である。


有島武郎が軽井沢で書いた詩の扁額が壁に掛けられている。


資料展示用の大きなショーケースは見事な軽井沢彫で作られている。


二階の窓ガラスは格子状の枠で作られており山荘の雰囲気を演出している。


二階の個室である。中央に大きなテーブルと椅子が置かれているが武郎の書斎であろうか。


天井には電燈の配線が剥き出しのまま敷かれ、また電燈も裸電球である。
当時のままが復元されている。


一階にはカフェライブラリー「一房の葡萄」が記念館内に併設されている。


カフェルームの中央には見事な漆塗りと思われる朱塗りの大きなテーブルが置かれている。
この空間で飲むコーヒーの味は格別である。


テーブルの上には軽井沢と関係ある小説家の著書が主として置かれ自由に読ませてくれる。


カフェ店内は洋風の中に和が演出されており、床の間が造られている。
何故かこの雰囲気が落ち着く。


カフェ店内の各所に軽井沢ゆかりの作者の小説が置かれている。


カフェ店内に置かれた使い込まれたピアノである。
このカフェの雰囲気にピッタリとマッチしている。


カフェの天井の梁、そして電燈の配線は剥き出しのままであり、移転前の建設当時のままを復元している。


天井からつ提げるられたシックな照明器具は、明治、大正期を思わせる風情ある形をしている。


かつての別荘のテラスは、カフェライブラリー「人房の葡萄」のカフェテラスとなっている。有島武郎の一族が過したこのテラスでコーヒーが飲むことができる。


カフェ室内とテラスは続いており自由に出入りできる。カフェライブラリー「人房の葡萄」では、この広いテラス席にコーヒーを運び静かな贅沢な時間が過すことができる。


カフェテラス席からタリアセンの森が見える。テラスでお好みの小説を読みながらコーヒーを飲むのは一段と優雅である。

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軽井沢集会堂|三越社長ら日本人有志によって大正11年に建設|軽井沢町軽井沢

三越社長、朝吹常吉ら日本人有志14名の出資によって大正11年に建設された。
設計は軽井沢で多くの別荘建築を手掛けたW.M.ヴォーリズ建築であり歴史的価値がある。

ここは「軽井沢集会堂委員会」が組織化され日本人軽井沢クラブの拠点となった。

住所:長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢
[googlemap lat=”36.355574″ lng=”138.633959″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”14″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢[/googlemap]

屋根は入母屋造りで、和洋折衷の設計となっている。


外壁は南京下見貼り、格子状の窓枠を白く塗り茶色の外壁と調和させている。この様式は大正時代以降の軽井沢別荘建築に多く見られる。


集会堂への入口面である。現在でも催事場、講演会、コンサートに使用されている。


正面玄関には「KARUIZAWA HALL軽井澤集会堂」の表札が建設当時のまま残されている。


建物の基礎には、浅間山花崗岩である浅間石が積まれた強固な構造となっている。

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軽井沢日本人別荘第1号八田邸|建設当時のまま現存、旧海軍大佐の別荘|軽井沢町

日本人が最初に軽井沢に建てた現存する別荘である。
1893年(明治26年)に旧海軍大佐、八田裕二郎が建設した。

100年以上もの長い期間、建替えせず3代続いて所有されている。


英国留学生活の長かった裕二郎氏はこの別荘で多くの外国人、宣教師等と交流をもったと言われる。
一階の建物から張り出した部分は当時はテラスである。この場所でショー等と語りあったであろう。


建物は屋根が板貼りからトタン屋根に変わっているが、これ以外が建設当時のままが維持されている。


建物の基礎工事は石積の強固な設計で造られている。

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市村記念館 旧近衛文麿別荘|後陽成天皇の12世孫で元内閣総理大臣の別荘|軽井沢町長倉

近衛文麿首相が大正15年にアメリカ屋建築の別荘を第1号別荘として購入した。
その後、近衛首相と親交のあった早稲田大学教授で政治学者の市村今朝蔵・きよじ夫妻が居宅として譲受け軽井沢別荘地開発の拠点とした。

所在地:軽井沢町大字長倉2112-21
電話:0267-46-6103
開館:9時~17時(入館は16時半まで)
休館:月曜・祝日の翌日・年末年始・7月15日~10月31日は無休
(11月16日から翌年3月31日まで休館)
入館料:大人400円・子供200円(隣にある歴史民俗資料館と共通)
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案内版Ⅰ

市村記念館は、国道18号線沿いの離山公園内にあり、旧雨宮邸と併設されている。庭内の案内版にしたがって木立のなかを進んだ場所にある。

案内版Ⅱ

市村夫妻没後に市村家遺族から軽井沢町に寄贈され、平成9年に軽井沢南原から現在の場所に移築され公開されている。

記念館解説版

解説版には、この別荘を拠点にして活躍した近衛文麿公、市村今朝蔵、きよじの功績が説明されている。

記念館全景

アメリカ屋建築の構造は外観はアメリカ風であるが内部は和室、洋室入り交じった建造物が特徴である。

記念館正面玄関

市村記念館内には近衛文麿、雨宮敬二郎、市村家の資料等が展示されている。

記念館全景Ⅱ

記念館の二階の窓から見えるのは和室である。アメリカ様式を取入れながら日本の文化を巧みに取入れ見事に調和させている。

記念館全景Ⅲ

新緑に囲まれた別荘の光景である。この静かな別荘で過ごした当時の近衛公を偲ぶことができる。

記念館全景Ⅳ

軽井沢に多くの別荘建築を残したアメリカ屋建築の独特な設計である。

あずまや

市村記念館、旧雨宮邸庭内の木立のなかにある「あずまや」の風景である。

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雨宮記念館|旧雨宮邸は雨宮御殿とも呼ばる重要な文化遺産|軽井沢町長倉

旧雨宮邸は雨宮御殿とも呼ばれ重要な文化遺産である。雨宮敬二郎は明治時代一代にして財閥を築いた人物であり、軽井沢の開発者として知られる。この離れ山に事務所として100坪の邸宅を建設した。また明治の末期には120坪の新座敷建設し政財界の賓客を迎えた(現在公開)。

所在地:軽井沢町大字長倉2112-21
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離山公園案内版

離山公園内には、旧雨宮邸・市村記念館(旧近衛文麿首相別荘)・軽井沢民族資料館・町立図書館が並立し、軽井沢の文化と歴史の多くを知ることができる。

武家門

旧雨宮邸は国道18号線沿いの南原交差点近くにある大きな構えの武家門を奥深く入った庭内にある。

旧雨宮邸庭園

武家門をくぐり抜け、広大な庭内を奥へと進むと、旧雨宮邸、旧雨宮新座敷である。

旧雨宮邸新座敷

新座敷は明治末期に建築され、現役総理大臣「伊藤博文」が招かれたといわれる。この他政府・財界の大物が軽井沢に避暑に来る折この屋敷に宿泊している。

奥座敷(庭園より)

庭内から観た座敷内である。室内は広く、太い柱、太い梁で造られており、特に床の間と明り取りは豪華な贅沢な造りとなっている。

外廊下側ガラス戸

新座敷内の廊下は幅広くとられ、ガラス戸も当時のままを現存した貴重な文化遺産である。

展示会

新座敷内では時折著名人の書道展等の展示会が開催されている。

蔵Ⅰ

旧雨宮邸の蔵跡である。現在はギャラリーとして利用されている。

蔵Ⅱ

蔵の中では、年間を通して絵画、創作家具、漆器、パッチワーク等のさまざまな展示会が催されている。

庭内の大樹Ⅰ

広大な庭内には樹齢500年と云われる見事な「イチイ」の大樹が生茂っている。

庭内の大樹Ⅱ

庭内

庭園内

広大な庭園内には大樹が茂り、手入の行き届いた庭内を散策することができる。

庭園内のせせらぎ

庭内には築川が築かれた贅沢な庭園であり当時の雨宮財閥の隆盛が偲ばれる。

あずまや

庭内の大樹のなかに築かれた「あずまや」である。

雨宮池全景

旧雨宮邸の西側には周囲が木立におおわれた雨宮池がある。

雨宮池遊歩道

雨宮池の周囲は遊歩道となっており、散策には絶好の場所である。

休憩ベンチ

雨宮池の周囲には各所にベンチが置かれ訪れる人達の憩いの場所となっている。

雨宮池と鴨

雨宮池では鴨の泳ぐ姿が観られる。

雨宮池と3羽の鴨

雨宮池のなかにはカヤが生茂り鴨達の絶好の住処である。

雨宮池とトンボ

雨宮池周辺は緑の木々が生茂り、昆虫、野鳥、の宝庫である。秋になるとトンボが羽を休める姿が眼に留まる。

庭内トイレ

庭内には常に清掃されたトイレがあり、観光客に優しい。

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上松町 観る 遊ぶ

赤沢森林休養林|赤沢森林鉄道の電車と森林鉄道記念館|木曽郡上松町

赤沢自然休養林の他の記事はこちらから
全体概要トロッコ電車 赤沢森林鉄道|赤沢森林鉄道記念館|
食事処とバーベキュウ森林資料館

森林鉄道は、木曽の盛んな林業を支えるための大事な木材運搬の手段でした。

森林鉄道記念館は、手押しのトロッコから、蒸気機関車、ディーゼル機関車の導入までの歴史がわかる資料館です。

今では軌道を必要としないトラック運搬へと切り替わりましたが、森林鉄道の存続を望む声に応え、赤沢自然休養林への保存が決まり、昭和62年、森林鉄道記念館~丸山渡間1.1kmの往復で森林鉄道運行をすることになりました。

森林鉄道の歴史を記念館で見て、トロッコに乗って感じて見ることのできる貴重な施設です。
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森林鉄道の駅までは駐車場から5分位。この階段を登れば駅です。

森林鉄道の改札所案内

客車の待合室

別角度から…

待合室の内部には写真などが展示されています

待合室の窓にはウドの旅してゴメンのステッカーが…

うどちゃんがここに来たんですかね~。

運賃と時刻表

●運賃(周遊料金です。片道ではありません)
大人(中学生以上)800円
小人(4歳~小学生)500円
団体(15名様以上各)100円引
●運行時間は季節によって違いますが、この日は繁盛期だったので30分に1本でていました。
季節によっては1時間に1本。土日が30分に1本という設定の時もあります。

改札も昔の駅のちっちゃい版のような感じ

改札後の待合室

森林鉄道記念館にある理髪車

山奥で何日も仕事に励む方たちのために、機関車に牽かれていった床屋さんです。製造にあたっては保健所も驚いたとか。一般の客車を改造したものです。

理髪車の説明

    理髪車
    山奥で働く営林署員は家族と離れ合宿所生活をしていたため。理髪車が巡回してくる日は、我が家へ帰るときの近づいた心楽しい日であった。
    床屋さんも理髪手と呼ばれる営林署の職員でした。昭和30年(1955)保健所の許可を受けて以来、延べ2万人が利用しました。

機関車

酒井工作所製のディーゼル機関車は現在も自走可能だそうです。

C4型ディーゼル機関車

C4型ディーゼル機関車の説明

写真がテカっちゃって説明が分らない部分がありますが…
蒸気機関車からディーゼル機関車になってかなりの作業効率があがったということが書かれています。

特製C型展望客車の全体

特製C型展望客車の室内

白いカバーがされていていかにもVIP用といった感じです。

特製C型展望客車の説明

これまたテカってしまっていますが、昭和32年に皇太子殿下(今上天皇)が赤沢へ視察に来られた時に乗車された貴賓車だということです。

ボールドウインの説明書き

    ボールドウィン蒸気機関車
    大正4年に小川入森林鉄道が開通したとき、アメリカのボールドウィン社から輸入。
    輸入された形状は、バランスの取れた優美な姿でしたが、経費節減のため石炭を木片に変えたことから、火の粉回収装置を付けた煙突が異常に大きくなりました。
    木曽谷の木材輸入の先駆者として、昭和34年まで実に42万キロメートルを走り続け「軽便」と呼ばれて地元の人からも親しまれてきましたが、ディーゼル機関車の登場で現役を引退しました。

ボールドウイン

本当に煙突がバカでかい…

ボールドウインの全体

ボールドウインの横

ボールドウインを後ろから

先端

運転席

いろいろなメータやパイプが

運転席の屋根は板張り

乗務員詰所

ここの詰所はかなり現実感が漂ってます。

平成天皇が皇太子時代に植樹したもの

奥に山が続きます

さぁ、トロッコへ乗って赤沢美林を散策してきましょう。

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全体概要トロッコ電車 赤沢森林鉄道|赤沢森林鉄道記念館|
食事処とバーベキュウ森林資料館

カテゴリー
安曇野市 観る

田淵行男記念館と百楽桜|山岳写真家、高山蝶研究家|安曇野市豊科

田淵行男は1945年に現在の安曇野市である西穂高村に疎開したのをきっかけに、北アルプスと安曇野を活動の場として、高山蝶の研究や山岳写真の撮影を続けました。
記念館では、そんな田淵行男の作品を約73000点、愛用の品々を収蔵しており、季節ごとに企画展などを開催しています。


ちょうど記念館前にある百楽(ひゃくらく)桜が満開で、この日は「さくらまつり」が開催されていました。

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休館日: 月曜日(祝日の場合はその翌日)、祝日の翌日、12月28日から1月4日
開館時間: 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
観覧料:  個人 /大人 300円、小中生 200円
       団体(20名様以上)/大人  200円、小中生 100円
     ※特別展示開催の場合は別料金
住所: 安曇野市豊科南穂高5078-2
Tel/Fax: 0263-72-9964

豊科ICを出て直進すること約5分、「安曇野の里」にあります。
田淵行男記念館の入口はこちらの看板がある方からだと近いです。

手前にある建物が記念館。奥にはあづみのガラス工房があります。

今日は「さくらまつり」開催中ということで、駐車場はいっぱいでした。

もちろん、お隣の「安曇野の里」の方に停めてもOK!

水車小屋のある橋を渡っていけば、記念館へ行けます。

百楽桜が満開の記念館

満開の桜の下で記念写真を撮る方でにぎわっていました。

南側(道路側)にある桜

その下に咲いているのは、ユキヤナギ?でしょうか。
こちらも満開で、ピンクと白のコントラストがきれいです。

北側(ガラス工房側)にある桜

百楽桜の名前の由来は、田淵さんが残した言葉「一山百楽(いちざんひゃくらく)」(一つの山には百の楽しみがある)からきているそうです。

この桜は、樹齢約300年の長野県北安曇郡白馬村沢渡の貞麟寺境内にある糸桜(エドヒガンザクラの枝垂種)を母木にして出生したもので、この母木の強じんな生命力と枝姿の優雅さの特質と、さらに、花が大きく色彩が優美なことから国の天然記念物に指定されているオオヤマザクラの変種の野中桜と並ぶオオヤマザクラの銘木儀重桜(白馬村嶺方)の優れた特質を併せ持つことに着目した桜の研究家、草間勉氏(大町市在住)によって育成されたものです。
また、「百楽桜」の名は、この桜の出生地一帯を田淵行男先生がヒメギフチョウの研究場所のひとつとして愛され、大切にされたことから、「人と自然の心のきづなを深め、自然を大切にしていこう」という願いを込め、田淵行男先生の遺された「一山百楽」のお言葉をいただいて命名したものです。

枝いっぱいに花がついて、ちょっと重そうなくらい。

この日の予報は雨。
なんとかお天気はもちこたえていましたが、風が強く、そのたびにヒラヒラと花びらが舞っていました。

時折、桜吹雪になると、「わぁ~」と周りからの歓声も。

記念館の方に行ってみましょう。

開館時間: 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日: 月曜日(祝日の場合はその翌日)、祝日の翌日、12月28日から1月4日
入館料:  個人 /大人 300円、小中生 200円
       団体(20名様以上)/大人  200円、小中生 100円

こちらの階段からも行けますが・・・

車椅子の方などは、こちらのスロープからどうぞ。

わさび田の上にかかる橋を渡っていきます。

入口

田淵行男ゆかりの百楽桜の開花にちなんで、「さくらまつり」開催中!!

受付
窓の形が田淵さんのロゴっぽく見える気がします。

とってもわかりやすい場所にAEDが設置されています。

受付のある場所の天井

所々、レトロな感じが漂う建物です。

パンフレットとチケット

チケットには田淵さんの蝶の細密画、山岳写真がデザインされています。

田淵行男記念館グッズ

田淵さんファン必見の品々です。

ポスター、マップ、Tシャツ、帽子、トートバック、バンダナ、絵葉書・・・などなど、いろいろあります。

友の会の会員だと少々お買い得。

机の上には、記念スタンプ。

田淵行男(1905~1989)

山岳写真家。高山蝶研究家。代表作に、「高山蝶」,「わが山旅」、「ヒメギフチョウ」、「山の時刻」、「山の紋章雪形」、「安曇野の蝶」、「山のアルバム」、「黄色いテント」などがある。
(Wikipediaより)

山岳写真やチョウの細密画、愛用の品々など、現存する作品のほぼ大半が展示されています。

生前の田淵の活動の様子を収めたビデオライブラリーが鑑賞できます。

見たい場合は受付へ。

1.田淵行男「自然への愛」(北海道・大雪山高山蝶調査行)
2.わが山常念山脈(ダイジェスト版)
3.光ありて安曇野~田淵行男 自然への讃歌~
※3本とも15分程度のものです。

黒い梁が力強い印象の天井

地下にもギャラリーがあります。

階段の踊り場にも山岳写真が飾られています。

階段の下にあったドア。
トイレかと思いきや、立入禁止の場所でした。

館内にトイレはなく、外の水車小屋近くのトイレを利用するしかありません。
入館前にトイレを済ませておくと良いですね。

地下のギャラリー

わさび田を眺めながら休憩できるラウンジ

「自然から読み取り学ぶ知識がもっとも正しい」という田淵さんの信念がみごとにマッチした
自然との調和を感じられるスペースです。

本棚には写真に関する専門誌が勢ぞろい。

写真の勉強になる場所です。

テーブルにご感想記入帳がありました。
一筆どうぞ。

さて、本日は「さくらまつり」
ラウンジの外には臨時のお茶席が設置されています。

今日は特別に入館料した人全員に、お抹茶とお菓子をサービスしてくださいます。

裏千家の茶道具

おまんじゅう

裏千家の本格的なお抹茶

桜がヒラヒラ舞い散る中、お抹茶とおまんじゅうを堪能♪

前には、わさび田。
綺麗な清流が一層優雅な気分にさせてくれます。

散った桜の花びらが、清流を流れていきます。

安曇野テレビのみなさんも取材のようです。

取材スタッフの方々も優雅なひとときを・・・。

桜、わさび田も見事ですが、記念館の北側の湿地帯のようなところも必見ですよ。

丸太の橋でちょっと足元は悪いですが・・・

水芭蕉が咲いていたり・・・

名前はわかりませんが黄色いかわいらしい花も咲いています。

四葉のクローバーも発見しちゃいました。

なんかいいことあるかも~☆