池田町から生坂村に抜ける山道の途中にかかる橋です。
この橋には悲しい伝説が残っており、ゲームにもなったそうです。
この近くには「ままこ落とし」という、先妻の子を後妻が突き落とした崖もあり、悲しい昔話の多い山です。
[googlemap lat=”36.42100618049883″ lng=”137.89678573608398″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”12″ type=”G_NORMAL_MAP”]36.421006,137.896786[/googlemap]
県道51号「池田1丁目」交差点を県道275号へ東へ入り、Y字の分岐で右側へ進み、後は道なりに・・・。
詳しい行き方や駐車場は陸郷桜仙峡の記事を参考にしてください。
登波離橋由緒
ここ白駒城のほとりに架けられた登波離橋は、いつ誰の手で架けられたか定かではありませんが、往昔から現代にいたるまで、閣道、木橋など何回かの架けかえのあったことはたしかです。この橋に関する伝説に次のようなものがあります。白駒城主樋口行時は鎌倉時代中期の人で、その正妻をふじ女といい別に妄妻きよ女がおりました。きよ女はふじ女を亡きものにしようと企て正応四年四月十五日の花見の会を催しましたが、その新橋からふじ女を落とそうと狙っておりました。これを察したふじ女は、きよ女の袂と自分の袂を十針縫い合わせておきました。宴が終わっての帰り路で、この時とばかりきよ女はふじ女を橋から突き落としました。ふじ女に続いてきよ女も谷底へ落ち、二人共絶命いたしました。行時はこれを悲しみ非を悔い出家して行知法師と名を改め、二女の冥福を祈りました。それ以後、この谷には一身二頭の蛇があらわれ、一本の根に二本の幹をもつ松が映えるようになったといわれます。
登波離橋はまた十針、妬張、妬割とも書き、別に戸張、鳥放、蛇橋など多くの呼び名をもっております。現在の橋は昭和五十一年の新設であります。
ところで、登波離橋の手前にこんな神様が祀られています。
「ねしょんべんの神様」というらしいです。
近くで見るとこんなお顔をしております。
おねしょをする子にご利益がありそうな感じがしますが、詳しい事はわかりません。
晴れていればアルプスも見えるようです。
雨上がりの山は靄がかかって幻想的です。
生坂村側からみた登波離橋
以前は黄緑っぽい色だったそうですが、現在は朱色をしてます。
伝説の一身二頭の蛇が本当に出てきそうな山ですが、現実は熊に気を付けなくてはなりません。
ここから800mほど直進すると桜の名所「桜仙峡」に行けます。
「桜仙峡」の記事はこちら。