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安曇野市 暮らす

穂高神社|七五三の祈祷をしてきました|安曇野市穂高

本記事は取材当時のものになります。
最新の七五三等の情報は穂高神社公式サイトをご覧ください。
http://www.hotakajinja.com/753.html

穂高神社へ七五三のお参りに行ってきました。
境内の中にある参集殿で着付けをして、写真撮影、そのままお参りに行けるというプランで、スムーズにお参りできました。

[googlemap lat=”36.338688″ lng=”137.884324″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”17″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県安曇野市穂高6079[/googlemap]
午前9時より午後4時半まで毎日祈祷
<会場>穂高神社 0263-82-0118 安曇野市穂高6079

まずは着付。寒いのでタイツが必要です。
うっかり忘れてしまったため、急遽ズボンをはいたまま袴をはくことになりました。

着付けが終わると、写真撮影。
画像はありませんが、参集殿の1階に仮設スタジオが用意してあって、家族写真を撮ってもらいました。
子供の写真は前撮りです。

拝殿へ向かいます。
ちょうど紅葉が見頃で、良い写真が撮れました。

途中には穂高人形も飾ってあり、一緒に記念撮影も。

境内にはニワトリがうろちょろ・・・。
慣れない着物と草履という格好ですが、ついつい子供は気になって追いかけて寄り道してしまいます。

記念のお参りなので、正門?の鳥居から入りましょう。

この日は11月15日の七五三当日。
平日で、朝一ということもあり、まだガラガラでした。
午後あたりになってから混み始めてました。

受付をします。
祈祷の申込書は着付をしている間に書いておいたので、あとは祈祷料を払うだけ。

普通祈祷料が5000円、特別祈祷料が7000円です。
うちはもちろん普通祈祷で。

ちなみにここではお守りも売られています。

こんなお守りがあります。

おみくじは200円

いざ、拝殿へ。

境内にも手水舎がありますが、中にも立派な手水所があります。

入った正面には立派な衝立。右が休憩室で、左が拝殿です。

前の祈祷が終わるまで、休憩室で待ちます。

椅子はたくさん用意されていますが、落ち着いて座ってはいられません。

神社も省エネ。ファンヒーターの設定温度は11℃でした。

「神鶏」という彫刻。
さっきのニワトリがモデルですね。

「おまいりのしおり」(クリックで拡大)
祈祷の順序や説明が書いてあります。

玉串拝礼の作法

玉串拝礼の作法(写真版)
とてもわかりやすく説明されてますが、ちゃんとできるか緊張します。

テーブルの上にも作法など書いたものがあります。

セルフサービスでお茶やお湯もあります。

奥にはトイレも。

オムツ替え台
お宮参りなど赤ちゃん連れにはとってもありがたいですね。
でも、斜め上から能面にバッチリ見られてます。

この椅子に座って祈祷をします。
一度に何組もお祓いできますね。

ストーブがあるので少しはあたたかいですが、やはり冷えます。
暖かい服装で行くことをおすすめします。

祈祷中

最後に祈祷してもらった千歳あめをいただきます。

中には千歳あめ4本

お守り1つ

文房具やハンカチなどが入っていました。
特別祈祷だと、お弁当箱などたくさんはいっているようです。

崇敬者章

3回祈祷して神社印がたまると記念品がもらえます。
ポイントカードっぽいものです。こういうのがあるのは珍しいのではないでしょうか。

着慣れない着物を着てのお参りは何かと大変ですが、着付けからお参りまで神社でできたので便利でした。

本記事は取材当時のものになります。
最新の七五三等の情報は穂高神社公式サイトをご覧ください。
http://www.hotakajinja.com/753.html

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Topics ロケ地 安曇野市 神様のカルテ 観る

三柱神社|「神様のカルテ」ロケで一止と榛名がお参り|安曇野市三郷

松本市を舞台に地域医療にかける青年医師を描いたベストセラー小説「神様のカルテ」の映画のロケが行われた神社です。
実際に小説には登場しない神社ですが、一止と榛名がお参りをして言葉を交わすシーンになるようです。
どこにでもあるような普通の神社で、地元でもそれほどメジャーな所ではありませんが、「神様のカルテ」効果で少しだけ注目をあびました。普段はひっそり静かにお参りできます。九月中旬に例祭があります。

[googlemap lat=”36.260777″ lng=”137.890113″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”13″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県安曇野市三郷明盛4868[/googlemap]
安曇野市三郷明盛4868

『神様のカルテ』(かみさまのカルテ)は、夏川草介による日本の小説作品、及びそれを原作とした2011年公開予定の日本映画。
現役の医師である作者が、第10回小学館文庫小説賞を受賞したデビュー作。2009年8月に第1作が発売され、2010年に本屋大賞で2位となった。

<<あらすじ>>
主人公・栗原一止(くりはらいちと)は、信州松本にある本庄病院に勤務する内科医である。彼が勤務している病院は、地域医療の一端を担うそこそこ規模の大きい病院。24時間365日などという看板を出しているせいで、3日寝ないことも日常茶飯事。自分が専門でない範囲の診療まで行うのも普通。そんな病院に勤める一止には最近、大学病院の医局から熱心な誘いがある。医局行きを勧める腐れ縁の友人・砂山。自分も先端医療に興味がないわけではない。医局に行くか行かないかで一止の心は大きく揺れる。
そんな中、兼ねてから入院していた安曇さんという癌患者がいた。優しいおばあちゃんといった感じの女性であるが、彼女は「手遅れ」の患者だった。「手遅れ」の患者を拒否する大学病院。「手遅れ」であったとしても患者と向き合う地方病院。彼女の思いがけない贈り物により、一止は答えを出す。  ~Wikipediaより~

映画「神様のカルテ」公式HPhttp://www.kamisamanokarute-movie.jp/index.html?type=fc

安曇野市三郷支所の裏の方にあります。

ちなみに、この周辺は公の機関が集まる便利な場所です。
三郷支所の東側は三郷中。制服がかわいいです。

三郷支所の向かい側は三郷文化公園。
体育館やテニスコート、多目的グラウンドなどもある広い公園です。

さて、本題の神社ですが・・・
三郷支所の隣、三郷保健センターのところの交差点を北へ入った所にあります。

木でできた年季の入った鳥居

神社名の入った板の周りは龍の彫られています。

入口に立て札がありましたが、字が消えてわかりません。

参道の両脇に石灯籠が並んでいます。

「敬神愛国」と書かれた大きな石碑


一見、温泉かと思えるほどの乳白色の水です。
たまたまなのか、いつもこんな色なのかはわかりません。

池の周りには、しめ縄が巻かれた石が。

こっちのは部分的に赤くなってて、ちょっと不気味。

八王子大権現

何かの石碑

宮澤橋という小さな橋をわたります。

明治27年製の古い橋です。

橋の下は水路。この水も白く濁っています。

狛犬は石垣の上にいます。

吽形の狛犬

阿形の狛犬

源義光と豊原時秋像

戦時中の銅の供出により一時はなくなってしまいましたが、地元の彫刻家内山博氏により2005年に再興したものです。

笙を吹く源義光

平安時代後期の武将。河内源氏の二代目棟梁である源頼義の三男。兄に八幡太郎義家や加茂二郎義綱がいる。近江国の新羅明神(大津三井寺)で元服したことから新羅三郎(しんらさぶろう)と称した。 Wikipediaより 

譜面をみている豊原時秋

平安時代後期の楽人。左近衛将監豊原時元の子。従五位下・右近衛将監。
豊原氏は代表的な楽家の一つであり、時秋の祖父時光、父の時元とも笙の大家として名高かった。時秋は楽所勾当となり、篳篥の道で名を上げた。保安3年(1122年)右近衛府生、仁平4年(1152年)から保元2年(1157年)まで雅楽允を務めた。
その養子の利秋(弟光秋の子)以降も、豊原氏は代々朝廷に仕える楽家(京方楽人)として続いた。 Wikipediaより 

天然記念物の木の幹が祀られています。
立派な屋根付きです。

なんと書いてあるか・・・読めません。。。

立て札によると、昭和4年に長野県の天然記念物になったとのことです。
なぜ幹だけしか残っていないのかは不明。

天然記念物の隣には「御成婚記念」と書かれた碑があります。
誰の御成婚記念でしょう?

境内はこんな感じ。社務所?と拝殿がL字型につながっています。
この辺りでロケが行われたようです。

社務所

入口前に2本の杉。門柱みたい。

手水舎でしょうか?水は流れておりません。たまっているだけ。

拝殿

家の形をした灯篭

翔くん&あおいちゃんもこの鈴を鳴らしたりしたんでしょうか?

屋根にも狛犬

お賽銭箱と階段・・・っていうか、はしご?
全体的にかなり年季の入った建物です。

「人生と神事」という説明書きがありました。
いろいろ祈祷してくれるようですが、社務所に人の気配がありません。

合格祈願絵馬

「合格しました!」というのがたくさんあったので、効き目はありそうです。

小説には深志神社四柱神社が出てきました。この三柱神社はでてきません。
映画ではどういう感じで登場するのか楽しみです。

著者の夏川草介さんのサイン発見!!平安堂あづみ野店にて。

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伊那市 暮らす 観る

坂下神社|七五三のご祈祷や初詣に|伊那市坂下

伊那市にある「坂下神社」に七五三のご祈祷へ行ってきました。
こじんまりとした神社ですが、七五三の時期には地元の方が多く訪れる地元の神社です。

撮影の日は七五三のシーズンより少し遅かったので空いていましたが、シーズン中はかなり混み合います。

[googlemap lat=”35.842642908081665″ lng=”137.95978009700775″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”18″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県伊那市坂下[/googlemap]
坂下神社入口

坂下公会堂の横にあります

七五三祈祷の立て看板に祈祷の日程がありましたが、
七五三のシーズン中ならば、予約さえ入れればいつでも
対応して下さるそうです

立派な鳥居をくぐります

手水舎がありました

手水舎とは
手水舎(ちょうずや・てみずや)は、参拝者が身を浄めるために手水を使う施設のこと。水盤舎(すいばんしゃ)とも呼ばれる。
手水舎は、通常神社、寺院の参道脇または社殿脇に置かれ、参詣者が手や口を漱ぎ、清める。多くの手水舎は、四方転びの柱が用いられ、四方吹き放しとなっており、その中に水盤が据え付けられている。水盤は通常、石材のものが多いが、鉄や木などの材料を用いたものも存在する。
柄杓が置かれており、それを使用する。柄杓にすくった一杯分の手水(ちょうず)を少量ずつ使い、一連の所作を行う。 右手で柄杓を取り、手水を掬う。まずは左手を清め、柄杓を左手に持ち替えて右手を清める。もう一度右手にその柄杓を持ち替え、左の手のひらに少量の水を溜め、その水を口に含み、音を立てずにすすいだ後、左手で口元を隠してそっと吐き出す。決して柄杓に直接口をつけてはならない。そして、柄杓を両手で持ち、やや立てるように傾け、残った水が柄の部分を流れるようにする。柄杓を元の位置に静かに戻す。以上が一般的な使用方法になっている。
wikipediaより

ここで清めてからいきましょう

水が出ているところに何か彫られていましたが、何が書いてあるかわかりません

手水舎の横には「定」が掲示されていました

歴史を感じさせる大木が生い茂っています

今日は寒かったので火が焚かれていました

神社の説明看板

七五三御祈祷の受付

受付を済ませたらこの階段をのぼってお参りしにいきます

御神木でしょうか

狛犬

狛犬とは
獅子や犬に似た日本の獣で、想像上の生物とされる。像として神社や寺院の入口の両脇、あるいは本殿・本堂の正面左右などに一対で向き合う形、または守るべき寺社に背を向け、参拝者と正対する形で置かれる事が多く、またその際には無角の獅子と有角の狛犬とが一対とされる。
飛鳥時代に日本に伝わった当初は左右の姿に差異はなかったが、平安時代になってそれぞれ異なる外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになり、狭義には後者のみを「狛犬」と称すが、現在では両者を併せて狛犬と呼ぶのが一般化している。
wikipediaより

もう片方は顔が・・・

祈祷してもらうために中に入っていきます

祈祷してもらう子はこの椅子に座ります

中はこんな感じ

太鼓が叩かれてはじまります

奉献の品がズラリ

祈祷中

厳かな雰囲気ではじまりました

お祓いをしてくれています

子供はちょっとビビってました

少し長いので3歳児はちょっと嫌になっちゃうかな

お神酒

扇子

名前が書かれて付けられていました

本堂の横には小さな鳥居

高田神社と書いてありました

どうしてここに高田神社とあるのかは?です

恒例の千歳飴

受付にはおもちゃが沢山

売り物でした~

神社の脇には記念樹

風船をくれました

3歳児の娘は何よりもこの風船が一番喜んでいました

こじんまりとしたこの坂下神社は、駐車場もすぐ横にあり、移動距離も少ないですし、敷地内の階段も少なくあまり歩かずに済むので、慣れない着物を着た子供たちにも優しい神社だと思います。

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暮らす 松本市

千鹿頭神社|御柱大祭の行われる展望台のある神社|松本市神田

松本市里山辺地区の千鹿頭山の上にある神社です。

この地区の産土神ですが、諏訪信仰のその社名が示す通り、御頭祭に供される鹿を用意する、狩猟の神を祀る神社であったと言われています。

現在も、 諏訪大社と同じく、神木を建てる御柱大祭が行なわれています。
とても静かで見晴らしもよく、地元の方々の散策コース、またはデートスポットにもなっているようです。

住所:松本市神田1丁目
[googlemap lat=”36.22138″ lng=”137.988308″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”14″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県松本市神田[/googlemap]

千鹿頭神社のある神田地区は、近世のはじめまで松本藩領でしたが、元和4年(1618)からはこの神社のある千鹿頭山の尾根から南側が高島藩領、北が松本藩領となり、尾根が両藩領の境となったそうです。
そこで、それまでは一社であった社殿が現在のように、藩境に各藩ごとの二つの本殿を並立することになったといわれています。


こんもりした山に近づいてくると、火の用心の旗が目印の防火水槽があります。
山を挟んで、右にも左にも鳥居があり、どちらからでも頂上の本殿へ行けます。
今回は高い棒が2本立っている方へ廻ってみましょう。


朱色の鳥居と駐車場が見えます。


目が覚めるような鮮やかさです。
新緑の頃は映えるでしょうね。


立派な彫細工の中に名前がはいっています。


右手には 灌漑用の千鹿頭池があります。
カモがのどかに泳いでます。
池の周りの散策コースもあります。


彼岸桜でしょうか。ひっそり咲いていました。


神社の祭事は木に書いてありました。


ここから少しずつ上り坂になっていきます。


案内版を見ると、鉢伏山の尾根に続いているようです。


御柱祭の様子です。
卯年と酉年におこなわれるようです。


山全体が松に囲まれている感じです。
ツツジも名所だそうです。


坂が始まる手前にトイレと社務所がありました。


ここから、頂上まで、少し急ですが5~6分くらいです。


千鹿頭池を見降ろしながら上がっていきます。


斜面には松ぼっくりがたくさんおちています。
松ぼっくりのそばには、芽を出した幼木が。


こんな大樹になるまでどのくらいの年月が経ったのでしょうか。


斜面も上のほうは、幹がねじれています。
意外に風が強い場所なのでしょうか。


下を見下ろせば、池の蕎麦の休憩所のようです。


標識があります。
展望台を目指しましょう。


左は社務所、右は拝殿の一つのようです。


神社創建の歴史が解説してあります。


水飲み場?手洗い場?凍ってました。


拝殿です。
奥にもあります。


手前の拝殿と奥の拝殿は、屋根一つとって見ても全く違います。
造られた時期だけでなく、高島藩領と松本藩領の匠の技も違ったのでしょう。
拝殿も各藩、前後に、二つある、極めて特異な形態だそうです。
いろんな人間ドラマがあったことでしょうね。


奥の拝殿の屋根は、苔生して風情があります。


拝殿前に、トイレもあります。


隣は社務所です。


こちらがそれぞれの藩の本殿。
真ん中に立っているのは、御柱でなく、電柱です。


狛犬、笑ってませんか?


こちらも、かなりキュートなんですが・・。


本殿の形式は、一間社流造(いっけんしゃながれづくり)というそうです。


本殿の横にひっそり「女社」がありました。


本殿も似ているようで、まったく違い、左の本殿には屋根にこんな彫り物もありました。


本殿と本殿の間が、領地の境界線だったのでしょうか。


何だろう?
御柱を建てる穴でした。


下にはリンゴ園や田畑など、のどかな風景がひろがっています。


頂上に白樺が2本だけありました。
植えられたのでしょうか。


二つの本殿を裏から見るとこんな感じです。


標識のあったところまで戻り、反対側へ登ってみます。


こちらの頂上にも神殿らしきものが見えてきました。


神様なので後ろから1枚。


東屋もあります。


松も向こうに松本の市街地と北アルプスが望めます。


雲の切れ間には稜線が顔を出していました。


三角点もありました。


頂上から、先ほどの拝殿。
こうしてみるとかなりの勾配です。


標識まで戻り、今度は、アスファルトの坂を下りて、来た道とは反対の鳥居に出たいと思います。


一気に下れます。朱色の鳥居とは対照的な鳥居が見えてきました。


入口には御柱の、のろしがありました。


古い御柱でしょうか。


遠くから見た千鹿頭神社です。
松林の中にあるのがはっきりわかります。

小高い丘のような山の中には、散歩されている方、お参りの方、孫を連れたお年寄りもいました。
まわりの畔道からも山々や空が望めて、静かでのんびりした空気の中で、リフレッシュできました。
御柱の時期は空気が一変するのでしょうね。

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安曇野市 観る

有明山神社|くぐると吉運になる開運招福の石|安曇野市穂高

くぐると吉運になるという「開運・招福の石」があり、パワースポットとして注目されている有明山神社。
有明山神社の御神体は信濃富士とも呼ばれる有明山で、山頂に奥社があります。毎年7月には奥社祭があります。
日光東照宮の陽明門を模したと言われている山門(裕明門)には十二支の彫刻があり、内部には格天井絵が描かれています。
春には桜の名所としても有名。

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住所: 長野県安曇野市穂高有明宮城7271(里宮)
TEL: 0263-83-3764

手打ち蕎麦のお店「くるまや」の近くにある神社です。
神社専用の駐車場へは、「くるまや」に曲がる道の一本となりの道から入ります。
近年建てられたような新しい鳥居をくぐると、駐車場。

駐車場

くるまやの脇にある鳥居。
ここから参道がはじまっています。

神社の祭神や祭日などが書かれています。

有明山神社のプロフィール

有明山を神体山とし、全国的に崇敬されている。祭神は「手力雄命」「八意思兼命」「大日貴命」他数柱が祀られている。境内の神楽殿には、橋本雅邦の筆になる花鳥風月の絵があり、また日光陽明門を模した裕明門には眼猫12支24孝の彫刻がある。

黒松並木十三本が続く参道

市有形文化財の裕明門と手水舎は50m先です。

冬場は桜?って気づきませんケド・・・。
春には桜も楽しめます。平地より少し遅咲きです。

手水舎

飛騨の匠山口権之正の作。

龍の口から水

手水舎の天井の彫刻もすばらしい。

市の有形文化財の残月集。
これは神社の中にしまってあるようで、見れません。

裕明門

裕明門と手水舎の説明書き

明治35年(1902)に日光東照宮の陽明門に模して建てられた祐明門は、和様に唐楼を混ぜ精巧美麗を極めた切妻軒唐破風付八脚門で、
内外部の彫刻は12支・24孝などを立川流彫刻師清水虎吉が彫り、格天井絵は京都の画家村田香谷が画いている。
手水舎は飛騨の匠山口権之正の作で、虹梁・天井に彫刻が施されている。

裕明門の中央の彫刻
立派な龍の上に稲穂っぽい植物、鳥、その上に雲が彫られています。

向かって右側の彫刻

上のは竹藪の中にトラ、下は授乳中?の狛犬。

左側の彫刻

上にウサギが2ひき、下に狛犬。

ここにも裕明門の説明が手描きでありました。

山門といえば、普通は仁王様ですが、こちらのは表側に随神、裏側に御神馬がいます。

左側の随神

右側の随神

白い御神馬

黒い御神馬

裕明門の中には京都の画家村田香谷が画いた格天井絵40枚。


外にあるというのにまだまだ色彩がはっきり残っています。

裕明門の細かいデータ

拝殿側から見た裕明門

よく見ると瓦に「肴」という文字が入っています。

境内の狛犬は明治時代の作。
狛犬(阿)

狛犬(吽)

これが話題の開運招福の石


この記念碑は明治二十四年に全国から集められた短歌が当神社の社宝として保管されて来ましたが、今度「残月集」として発刊され、これを記念して作られたものです。
東面に「吾唯足知(ワレタダタルヲシル)」(分に安んじて貪らない)
西面に「吉呼員和(キチヨンデカズワス)」(喜びを集めて和やかに)
(石の中央の口をそれぞれの字の上下左右につけて読む
石は直径1.55米、厚さ0.3米、重量2.4トン)

開運招福の石としてこの四角をくぐりぬけて吉運を集めて下さい。
日本に一つしかありません。
尚、怪我のないようにくぐって下さい。

くぐるだけでラッキーになれるスグレモノ!!

小さい子は楽々くぐり抜けられますが・・・立派な体格の方ははまっちゃうかも?

反対側は吉呼員和

動画でくぐった気分を気軽に体験。
吉運をおすそわけ~♪

境内の一角に土俵がありました。

おみくじを結びつけるところ

拝殿

拝殿は猿が入る可能性があるので、施錠してありました。

拝殿内の様子

正しい参拝の作法

おみくじは50円。

上を見上げると額がいくつも飾ってあります。

天狗と人間が絵が彫られた額

三方の上に徳利

明治時代の兵隊さんっぽい人が描かれた絵

岡村阜一の銅像

明治時代に有明山神社を再興し、社殿を建てた人です。

拝殿の脇に小さな滝が流れていました。

「妙見 里の瀧」とありますが、説明書きがうすくていわれなど詳しい事はわかりません。

でもマイナスイオンたっぷりな感じの場所です。

ここから流れている水はくるまやの水車のところまで続いています。

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観る 長野市

布制神社|千年超えの由緒ある神社、北野天満宮の参拝も|長野市篠ノ井

長野市篠ノ井にある布制神社。茶臼山動物園に行く途中にある神社です。この辺りは住所にも布制が入っています。

主神は大彦命。神社の創建は不明らしいのですが、西暦927年の官社名一覧に名前のある由緒ある神社。

現在の社殿は平成15年に改築したものですが、以前は1851年に造営されたものだったそうです。社殿の最奥には1809年(文化6年)に造営された本殿が安置されているということです。

神社には、北野天満宮があり京都まで行かなくても学問の神様にお願いをすることができます。何かの試験前にはぜひお参りを!

住所:長野県長野市篠ノ井布施五明225
[googlemap lat=”36.57935919969919″ lng=”138.13336193561554″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”13″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県長野市篠ノ井布施五明225[/googlemap]
布制神社正面の鳥居

木の量も丁度いいのか、暗くなく明るすぎない神社です。

キッチリとした記名が鳥居にあります。

布施天満宮の石柱

布制神社御由緒の看板

御由緒

クリックすると大きい画像で見れます

神社の基本である灯篭です

狛犬

御神木の杉の樹です

弊殿、もしかすると拝殿です

新しい弊殿の鐘

賽銭はこの穴から入れます

弊殿の内部

御神体

石碑

神社の境内

弊殿の隣にある建物

社殿造営記念碑

本殿部分と蔵調の倉庫

かなり古いものから新しいものまでほこらが並んでいます

学問の神様「北野天天満宮」

北野天満宮の御由緒

平成十五年九月五日、京都府上京区から北野天満宮の御神霊を御分霊いただき祀ったものということですので、京都と同じ御利益をもらえます。

絵馬の絵馬殿

合格祈願系のものが多いです。

灯篭

平成天皇の即位に合わせて建てられたものですね。


千葉県の柳澤さんが寄進されたということです。

石碑

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佐久市 観る

新海三社神社|広大な敷地に建つ、1515年建立の三重塔|佐久市田口

佐久市田口にある新海三社神社(しんかいさんしゃ)古くから佐久3庄36郷の総社といわれ、また武神として崇敬あつく、源頼朝による社殿修理再興の口碑、武田信玄の戦勝祈願の願文も残っているそうです。

とにかく山全体が神社となっており、広大な境内にある三重の塔及び東本社は、室町時代の建築で、国の重要文化財に指定されているそうです。

近くに日本で2つだけの五稜郭である龍岡城もあり平日でも観光客が来ています。

住所:長野県佐久市田口2394
電話:0267-82-9651
[googlemap lat=”36.195758″ lng=”138.511946″ align=”undefined” width=”575px” height=”300px” zoom=”12″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県佐久市田口2394[/googlemap]
新海三社神社の木製鳥居

道路沿いに突然、大きな鳥居が表れます。
ここには駐車場が無いので車でそのまま参道を進みます。

遠くに参道が見えます

参道の入口には大きな杉の樹

大正六年の示された定

車馬は禁止となってますが、自動車はOKらしいです。
魚や鳥は採ってはいけない
竹や木も採ってはいけないそうです。

参道は登り坂

以外と登ります、冬場の2駆車はやめた方がいいかもしれません。

とてつもなく太い樹がゴロゴロしてます

後ろにフェンスがあるので、ドでかさが分ります。

環境保全地域の指定

長野県により指定を受けています。

大駐車場

大駐車場

確かにでかい駐車場がありました。

周辺の歴史ある場所の案内

新海三社神社の案内

とにかく広いです、色々なものが広範囲にあるので全てを見るのはかなり難しいと思います。

トイレ

ここ一つだけでした。大駐車場の脇にありました。

地元佐久の酒がズラリ

18銘柄の樽が飾ってありました。

新海三社神社の説明書き

源氏・足利氏・田口氏・武田氏・徳川氏・大給氏らが代々神楽修理再建をしたきたそうです。
武田信玄は永禄8年の上州箕輪城を攻める際に、戦勝願を奉り勝利をしているそうです。

手水舎

手水の使い方

長野県神社庁の発行物でしょうか。

天保時代の手水舎

かなり歴史がありそうです。湧水が豊富なのかどんどん水が出てました。

拝殿が見えてきました

この石段を登ります。

狛犬も歴史がありそうです

こちらが新海三社神社の拝殿

真上は大木の木々

賽銭箱に記名帳箱がありました

社務所は閉店中

お守りなどはこの日は買うことができませんでした。

絵馬もたくさん

西十二社合殿

本殿の西本社、御魂代石、中本社

真っ赤な本殿ですが、どうも真ん中が重要らしいです。

御魂代石

御魂代石のアップ

この灯篭みたいなものが主役ですね。

神楽殿

これまた立派です。

神楽殿の内部

新海三社神社の三重の塔

奥のほうにあります、さすがに3重の塔は貫禄がありますね。

山の麓に建っています

新海三社神社の三重の塔の説明書き

1515年に建てられたとは思えない見事さ!

昔に作られた新海三社神社の三重の塔の説明書き

昭和二十八年の説明

新海三社神社の三重の塔の屋根

塔の前にはベンチ

座るには若干勇気が必要・・・

塔の裏にまだなにかあります

かなり急な石段

絹笠社という社です

建物は比較的新しい感じです。

中にありました

鍵でがっちり止めらています。

三重塔を後から

天神社

新海三社神社にお参り

歴史ある神社です、ぜひ佐久で歴史を触れてみよう!と思ったら寄ってみてください。

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光城址(古峯神社)|光城山の頂上にある山城|安曇野市豊科

光城山の頂上にある、海野氏の一族、光氏によって築かれた山城。
ノロシを使い、連絡しあう役割もしていたようです。
本郭の中心部には火の守り神を祀る古峯神社があり、登山客などがお参りしていきます。

麓から歩いて登ることもできますが、車で山頂まで行くこともできます。
今回は光城山を車で登ってみるコースで行ってみます。

光城山を歩いて登るコースはこちらを・・・。

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頂上へと行ける道の入口

この看板だけが頼りです。細い道でわかりにくいかもしれません。

林道の道端には桜が満開

狭い道幅ですので、すれ違いに注意です。

頂上付近まで行くと、大きな地図があります。

現在地はこちら

この地図があるところを左折します。

ちなみにここから歩くと徒歩5分で山頂です。

一応駐車場はありますが、5台でいっぱいいっぱい。

桜の季節に駐車できればラッキーでしょう。
満車の場合は下から登るしかありません。

駐車場のある辺りはアカマツの林が広がっています。

林間広場(多目的生活ゾーン)という場所らしいです。

広場っぽくないし、多目的生活ゾーンって・・・ホームレス歓迎みたいな??
不思議な広場です。

光城址(古峯神社)

だいぶ年季が入った案内板です。

去年新しく設置された新しい案内板

おじさん熟読中・・・

光城跡

安曇野市内では規模の大きな山城で、鎌倉時代にこの地に来住した海野氏の一族、光氏によって戦乱の激しくなった戦国時代(十六世紀)に築かれたと考えられる。
犀川右岸丘陵上の尾根道南端を固めており、武田氏の松本平進攻に対しても、兵を配備し籠城したとみられる。しかし、天文二二年(一五五三)、刈谷城攻めに際し戦わずして落城した。その後、天正十年(一五八二)に松本城主となった小笠原貞慶によって修復されたと考えられる。

平成二十年十月二十九日  安曇野市教育委員会

これが光城址(古峯神社)です。

ボロい建物ですが、人気は上々↑↑

手水鉢は扇形をしてます。

神様からのお願い

火を祀る神社だけあって、火事には特別に注意している感じです。

梁には文字がいろいろと書かれています。

時代を感じる絵が掲げられていますが、こんな適当な管理で大丈夫でしょうか・・・?
劣化が心配です。

こんな山の上にある神社にも番地があるんですね~。

神社内にも説明がありました。

光城址と古峯神社のゆかり

この山頂にお城が築かれたのは遠く五百年余りの昔、戦国時代もまだ初めの頃、海野六郎幸元という武将がここに城を築いて自ら光之六郎幸元と名乗ったといわれている。
この海野氏の一族は、そのころ会田、刈谷原、田沢(上の山)、塔ノ原にそれぞれ城を築き、互いにノロシ等を使って連絡し合って栄えていたので、城内の最も高い所でノロシ台のあたりに火の守り神とされる此の古峯神社が祀られてきたものであろう。
やがて戦国時代の末頃、川中島の合戦が近づくや、武田信玄(晴信)の先鋒によって、天文二二年(一五五三年)三月、刈谷原城などとともに光の城も攻め落とされて武田方に従ったということである。

昭和六十三年四月 光南村古峯神社奉賛会

火の神様

手前にお賽銭箱があります。
登山客が多いので、結構入るらしいです。

登山日誌にひとことメッセージを。。。

でっこぼっこ♪ふれーんず♪ の たまご王子が見張り役。

光城山 登山日誌 思い出の箱

登山日誌だけでも数十冊はあるでしょうか。
すごい!!

山頂付近は平らな公園みたいになっています。
お花見におすすめです。

桜が咲く前にもかかわらず、たくさん人がいました。

桜が咲いていない時期は、“お山見” で・・・。

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伊那市 観る 買う 遊ぶ 食べる

高遠城址公園の春|この地にしか咲かないタカトオコヒガンサクラ|伊那市高遠

春にこの地にしか花を付けないと云われる1,500本のタカトオコヒガンサクラが咲き乱れます、城跡の丘は赤みを帯びた鮮やかな桜色に包まます。

白からピンクまでさまざまな色がある桜ですが、ここの桜はとにかくピンクが強いと言われています。むかし戦で死んでいった侍達の血が桜を真っ赤に染めるなども言われています。

毎年4月上旬から5月上旬にかけての観桜シーズンには「高遠城址公園さくら祭り」が催され、全国から花見客が訪れています。とくに土日祝日は座るところが無くなります。

では桜咲く、春の高遠城址公園レポートです。今回は金曜日の午後行ってみました。

真冬の高遠城址公園のレポートはこちらから

長野県伊那市高遠町東高遠
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伊那市街から高遠へ向かいます

伊那市に合併する前の高遠町内へ入ると沿道に桜が増えだします。

南アルプスがキレイに見えます

高遠は長野県側の南アルプス麓に位置するため、アルプスを見ることができます。

道沿いの桜は満開

駐車場へ着くまで、ずっと桜があります。

高遠市街のお土産屋さんも露天開始

高遠城址公園入口

場内の道路沿いも満開

一番大きいグランド駐車場

土日には大型バスやマイカーで満車になってしまう、駐車場です。
ここへ止めるには渋滞覚悟もしくは、朝5時頃に並べば大丈夫!

入口正面駐車場

ここが入口に一番近い駐車場です。
ここへ止めるには平日を狙うしかありません。

駐車場からの高遠桜

駐車場からも咲き乱れる桜を望めます。

冬にはやっていない売店を開店中

冬場やっていない売店もフル営業です。

大型バスもどんどん通ります

観光バスがかなり頻繁に通ります、高遠への幹線道路がかなり整備されたため来やすくなりました。

大門の入口

メインの入口

公園の看板も桜が咲くと違います

イベントも開催中

ラーメンのイベントが開催されてました。場外ですが。

満開ではありませんがキレイです

冬には枝だけだった桜が見事

写真のせいもありますがピンクです

高遠閣は記念写真スポットにもなっています

高遠閣の玄関

ここは休憩をすることのできる建物です。外歩くのに疲れたら早めのお休みを

高遠閣の1階、平日は早めに閉まりますね

記念スタンプ

シーズン中は入場料が必要

ちなみに伊那市に住民票を置いている人は無料入場が可能です。ただし免許等、証明するものが必要です。

料金表

自動券売もあります

場内は屋台が並びます

やきとり!

草木の苗まで売ってます

ゴザを借りることもできます

屋台

伊那名物ローメンの「ローメンまん」

300円とは案外お手頃かもしれません

ちびっ子に人気のおもちゃ屋台も

親としては子供の目に入らないように行きたいものですね。

お決まりの橋です

ポスターなど高遠桜の代名詞写真となっている橋です。

橋の上はさくらが目の前まで来ています

堀にある池

門も桜があると映えますね

碑もさくらがあると違う

冬は締め切ってありましたが、開いています

高台の場所に丸太ベンチが新設されてました

太鼓櫓もいい感じです

新宿区長の植えた記念桜にも花

高遠市街を見渡せます

少年達も写真、写真、写真です

城内すべてに桜が植えてあります

夜桜用にスポンサー名入りの提灯

高遠閣

大手門の出口

お隣の進徳館も桜が咲いています

近くの喫茶店

ここに咲いている花は「梅」だそうです。

夕がたにゴミ拾い部隊が練り歩きます

シーズン中はかなり混雑するため土日は地元の人でも近寄れない高遠桜です。
機会がありましたら、行ってみてください。

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伊那市 観る

高遠城址公園の冬|冬の天下一の桜は、どんな感じ|伊那市高遠

日本さくら名所100選に選べれている、高遠城址公園の冬の姿はどんな感じのか。

桜の時期には、高遠地域は自動車・バスの大ラッシュになります。年1回の混雑時期です。まともに伊那インターで降りた場合は最悪です、かなり渋滞にまきこまれます。

抜け道が出来ました、従来まで道に詳しい観光バスのみが使っていた道路以外に新しい裏道ができました。

中央道(高速)を伊北インターで降り左に曲がります。木下南新町信号を左折、つきあたりも左折し、箕輪町南小学校の交差点を右へ曲がりますと、新しい道路で一気に移動できます。ネットの地図にはまだ出て来ていない新しい道です。

では冬の高遠城址公園レポートです。
長野県伊那市高遠町東高遠
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メイン道路から高遠城址への入口

4月、5月は大渋滞をしている場所ですが冬はスイスイです。なんのイライラもありません。

高遠城址前にある交通案内”

美術館などもあるので、交通看板があります。桜の時期はここまで車で入ってくると大変かもしれませんので、途中でシャトルバスに乗り換えをおススメします。

木製の看板、殿坂口

ちょっと観光地らしい看板を発見。

駐車場案内看板

周囲にはたくさん駐車場があります、今回は公園の真下にある公園グランド駐車場へ止めます。

公園グランド駐車場

観光バス80台が止められる駐車場です。グランドとは言え、普段は使っていない感じです。

信州高遠城図の看板

勘助曲輪

大河ドラマで有名になった勘助ですが、ここでは普通に使われている方です。

高遠城址大手門

大手門についての説明書き

一度、売却されてしまった門ですが寄附されて現在の場所にあります。

大手門横の敷地

桜の時期には飲食店が出現して、人、人だらけになる場所ですが、冬は人も桜もありません。

公園入口前の売店

有料駐車場と売店ですが、ヒッソリしてますね~。最盛期とは180度違います。

高遠城址公園入口

国指定史跡と書かれた看板があります、ある意味ここがメインゲートです。

入口の風景

寂しい感じですが、桜の木が春をジッと待っています。

高遠町桜憲章

高遠町桜憲章の全体

高遠閣外観

昭和8年に観光客のために作られた建物です。現在もここで休憩をすることができます。

高遠閣の看板

誰もいない入口ゲート

桜の時期はここが入口になり、有料となります。オフシーズンは無料で入場自由。

さくらの名所石碑

全国の1か所となっています。

高遠史跡めぐりご案内

高遠周辺の史跡などを案内。

高遠閣の前にあるすべり台

子供向けの唯一の遊具です。他にはないので、ちびっ子はここで遊ぼう!

案内放送のボタン

高遠城址公園について案内を聞くことができます。意外とわかりやすい案内なので聞いて見てもいいかもしれません。
オフシーズンでも流れます。ただしかなりボリュームが大きいのでびっくりします。

誰もいない公園内

冬ですので人はほとんどいません。

冬の高遠桜の木

花をつけるにはまだまだ時間が必要です。

天下一の桜の碑

手前味噌でないことを祈るばかりの碑です。

城内の橋

高遠の桜を紹介するときのベタな橋が中央付近にあります。

桜雲橋という名前です。

桜がないとちょっと微妙な感じです。

ベタアングル。橋を遠くから

ちょっと遠いのですが、こんな感じの写真をあちらこちらで見かけます。

無理のあるベンチ

有志が作ったのでしょうか、少し座るには無理があるかもしれません。

園内が写る池

桜の時期で、夜ライトアップされると絶好のシャッターチャンスになる池です。
しかし冬ではただの池。

閑散とした池

橋の下

池は桜雲橋のすぐ側にあります。

橋「おううんきょう」

橋の写真

問屋門の説明書き

高遠城の戦い(古戦場跡)の説明書き

いたるところに説明書きがあります。これは冬だから見つけられる感じです。桜の時期はなぜか目に入りません。

長野県天然記念物指定のシンボル

長野県天然記念物指定のシンボル説明書き

当時、立てられてものだと思います、こんな感じのコンクリート製のシンボルは珍しい気がします。

これまた古い、高遠公園碑

高遠公園碑をアップ

高遠公園碑の説明書き

中村不折寿像があった時の風景

中村不折寿像がなくなった現在の風景

老朽化が激しく、美術館へ避難したそうです。

中村不折寿像の説明書き

高遠城址公園内のモグラのボコボコ

新城(盛信)神社の外観

新城(盛信)神社の正面

ここではお参りもできます。

新城(盛信)神社・藤原神社の由来説明書き

新城(盛信)神社・藤原神社の内部

新城(盛信)神社・藤原神社の横

太鼓櫓の外観

太鼓櫓の説明書き

太鼓櫓の階段

太鼓櫓の2階内部

太鼓櫓からの眺め

新宿区長の記念植樹、山本克忠

新宿区長の記念植樹したタカトウコヒガンザクラ

本丸跡の説明書き

城内にあるすごい案内看板

かなり古い塔のような碑

南曲輪の説明書き

城内風景

忠骨蔵の説明書

日露戦争時の招魂碑

白兎橋の説明書き

大きなもみの木

白兎橋

高遠城址公園から眺める伊那市街

遠くに見えている山が中央アルプス駒ケ岳の稜線です。

法幢院曲輪の説明書き

歌の碑

城址公園内の東屋

廣瀬奇璧・河東碧梧桐の句碑

廣瀬奇璧・河東碧梧桐 句碑の説明書き

南ゲート

園内風景

高遠コヒガンザクラのつぼみ

高遠城址公園冬の風景

無地の碑


無地の碑説明書き

改修中のトイレ

治療をしたタカトウホコガンザクラ

長年の入場などで、園内の桜治療も行っているそうです。地面の土をやわらかくしたりなどオフシーズンはそのような作業が行われるそうです。

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下諏訪町 観る

諏訪大社下社秋宮|国内最古の神社の初詣は大賑わい|下諏訪町

御柱で有名な諏訪大社。諏訪湖の周辺に4箇所あるうちの1か所である下社秋宮の初詣をご紹介。

全国各地にある諏訪神社の本社になっており、日本国内にある最も古い神社の一つと呼ばれています。

7年に1度は御柱という大きな祭りがありますが、毎年の2年前参り・初詣はかなりの賑わいを見せます。
地元の人でも普段は足を運ばないという人も多いのですが、このタイミングでは行くという人も多いのではないでしょうか。諏訪地域はもちろん上伊那地域からも多くの人が訪れます。

とくに屋台などの縁日がかなりたくさん並びます。夏はお祭りなどがたくさんあるので身近ですが、冬は少なめで少し新鮮な感じです。

とりあえず寒いので冬の諏訪大社は着込みましょう!マフラーも!帽子も!耳あてもあるといいでしょう!

長野県諏訪郡下諏訪町5828
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鳥居と下社秋宮の看板

御柱がくぐる鳥居です。

看板をアップ

ビシッとした看板がります。

祭典の予定が掲げられています

数多くの祭典があるらしく、予定があります。

入口の鳥居も人だらけ

前の道は歩行者天国になっており、両脇を屋台が並びます。入口もたくさんの人がいます。

手水舎も大混雑

普段こんなに混んでいる手水舎は見たことないのですが、とにかく混んでいます。
ちなみに毎年、この前にはクレープ屋台がありますね。

みんな手を洗って行きます

龍の口から水が出てます

鳥居の柱に何か書かれています、手の届く範囲に書かれています

こちらの鳥居にも文字が

境内への参道

両脇が階段で中央が石畳になっています。これは御柱を引き込むためだと思います。
重い柱のため、石にも縦傷が刻まれています。

古神札納所

古い札などはこちらへ提出を

大きな杉の木

大きな神木となるのでしょうか杉の木が立っています。

焚き火

寒い中、焚き火がありたくさんの人が利用しています。

豪快な焚き火

とにかく豪快というか、でかいです!

焚きもの

でかさを見てください!スコップが写っています比べてください、でかいです。

寄附者の一覧

神楽殿

境内中央にある大きな神楽殿

でかい狛犬

狛犬は顔が小さめで、かわいい系ではありませんね。

神楽殿ではお祓いを受けている人がいます

神楽殿にわきには寄附された物品

雪かきから日本酒までさまざまな物品が寄附されています。

安産祈願

穴のあいた柄杓で安産祈願をするところもありました。

弊拝殿

写真!改修工事のため写真でした。まっ養生シートだけよりはいいかもしれませんが微妙です・・・

写真バージョンの弊拝殿

本殿の養生シート

写真バージョン弊拝殿はMUTOHの協賛品

賽銭箱も大きい

長野県内では初詣タイプとしては大きい部類だと思います。

弊拝殿前

日陰で寒いのが秋宮の難点・・・

鏡が祀られいます

一番大きい柱秋宮一の御柱も記念写真で人気

秋宮の御柱です、ここでは記念写真で人気です。

特設の縁起物販売コーナー

商売繁盛です、縁起ものが飛ぶように売れて行きます。ここだけはデフレではなさそうです。

混雑する販売所

おみくじ専門店

屋台もたくさんあります、境内以外は全方向が屋台となっています

駐車場にも屋台

参道の脇も屋台、屋台、屋台

とにかく屋台

食べ物系は保健所から許されている全てがあると思います。後は縁起ものから、おもちゃやお面など子供向けのものがズラズラとあります。
賑やかな所で飲み食いも楽しいです。ぜひ初詣に出かけてみてください。

とりあえず、温かい服装でいきましょう!!

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松本市 観る

大宮熱田神社|重要文化財で室町時代建築の本殿|松本市梓川

松本市梓川にある大宮熱田神社をご紹介いたします。
旧梓川村は松本平の中心地を西から見下ろす位置にあります。南には梓川という清流が上高地・乗鞍岳方面から流れこんでいて、広大な田畑の間に昔から風情のある大きな家が並んでいる落ち着きのある地域です。

松本インターを出て上高地・高山方面に走り新村の信号を右折、梓川を渡り倭(ヤマト)という信号を左折して西山に向かい走ります。りんご畑が延々と続いている中の道沿いの角に看板が立っています。神社近くになると大きな森が見えてきます。その先にりっぱな神社の鳥居が現れます。びっくりしました、大きな鳥居とその中は特別な空間という地帯です。

大宮熱田神社の始まりは、大昔この地域(安曇野)を開拓する際に梓川の恩恵を授かるために守護神として祀られたのが起源と言われています。場所も現在とは異なり、松本平を一望することのできる本神山の山頂(1283m)でした。その後、現在場所へ移動し、梓水大神・熱田大神・天照大神・八幡大神が合祀され現在の大宮熱田神社となっています。

長野県松本市梓川梓北北条4396 ‎0263-78-2040‎
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りんご畑の角に立てられています。
看板
りんご畑がまだまだ延々と続いている中に看板を見つけました。西山が迫って見えます。

鳥居と石灯篭その奥には樅の木の大樹がみえます。
神社北側より
杉林の一帯の中に入り口が右手に見えました。大きな石の灯篭とりっぱな鳥居です。

神社名の石柱と樅の大樹の案内
白い柵の奥に大樹の枝が見えます。とっても太そうですね。

奥深い神社の正面です。
鳥居には大宮大明神と書かれています。周りは杉木立、その奥には神楽殿が見えています。

神社入口看板
竹林と杉林が塀からはみ出すほどです。木の看板があります。

南側道路沿い石塀が続いていて道路が平行して走っています。
ずっと石塀が続いています。ここも樹木が道路に溢れそうですね。

入口の案内板には立派な屋根がつけられています。

大宮熱田神宮の祭神・例祭・本殿案内板
祭神:梓水大神、熱田大神、天照大神、八幡大神の霊験あらたかな神が祭られています。
例祭:宵祭 4月28日 獅子舞5組 本祭: 4月29日
獅子舞1組 本殿:流造(室町時代)末社:見世棚造(室町時代)国宝指定(昭和24年2月19日)重要文化財指定(昭和
25年8月29日)と記されています。歴史ある神社のようです。
お祭りの獅子舞の当番も書かれています。地元の大事な守り神様なのですね。

鳥居の横に樅の大樹が寄り添うように立っています。
長野県天然記念物で県下一のモミの巨木です。天高くまっすぐに伸びています。直径はどの位あるのでしょうか。
直径2m位でしょうか。

樅の木の説明が書かれています。
こちらの案内板も屋根がついていますね。長野県天然記念物「梓川のモミ」とありこの巨木は、樹姿端正、樹勢旺盛な点はこれをしのぐものは見られないと書かれています。
目通り周囲6.3m・高さ43m・御神木であり樹齢700年です。今でも樹勢旺盛とは?きっとこの風土や水の力をかりての元気度でしょうか、あやかりたいものですね。一度必見ですよ。

手水舎
ここにも立派な屋根がついています。雨が降っていてもこの屋根があれば大丈夫、必ずお清めしてお参りしましょうね。水桶も立派な大きな石で造られています。

大きな水桶の中に竜が3匹。
竜が3匹・竜の口からお清めの水が。これも梓川からのお水なのでしょうか。

良く出来た竜です。
竜アップ
あまりにもリアルで今にも水の中から飛びかかってきそうな気配がしました。芸術的でもあります。

杉木立の中に参道が続いています。
拝殿横まで続いています。ここにも屋根付きの灯篭が並んでいます。

少し坂になりますが、神楽殿が中央その周りには杉木立が。
入り口正面に建てられています。例祭の時はここで獅子舞が奉納されるのでしょうか。その奥には拝殿の屋根が見えますね。

神楽殿の屋根周り
屋根の4隅にはお洒落な灯篭が。

杉木立の中に神楽殿が。
拝殿から見た神楽殿
こちらが正面になるのでしょうか?ここで獅子舞が奉納されるのですね、舞うところを見たいものです。4月28日・29日2日間ですね。

神社の由緒など書かれた案内板

由緒:梓水大神は約1100年前の歴史書である三代実録に、清和天皇の貞観9年に神徳の高きにより、従五位下が贈られたと記載されている霊験あらたかな神で広く崇敬されてきました。後世に到り、祭事や参詣者の便のために清浄な地を選び神殿を造営して鎮座し、更に熱田大神、天照大神、八幡大神が合祀されたのが現在の神社であります。今日神鎮りますご本殿は室町時代(約450年前)の建築であり国宝に指定され現在は国の重要文化財として保護されています。本神山麓一帯は「神
道原」「宮ノ上」「大門」「宮ノ前」「朱引門」などと神社につながる地名が現存して居り、昔の神域の広大さを偲ぶことができます。旧幕時代には二町四方の広き境内を有し、古来地方のまれに見る大社として「大宮」「大宮大明神」と尊称されてきました。江戸時代には代々の松本藩主の崇敬が厚く、度重なる御祈祷が行われ神領を始め、神額や各種の金品の奉納があり境内の整備や社殿の修復のためしばしば重職が派遣されたと伝えられています。昭和の終戦時までは、県社の社格を有し、毎年の例大祭には長野県より献幣使が派遣され幣料が奉納されました。
例祭:4月28日・29日 伝統の獅子舞
御神徳:身体健康・延命長寿・家内安全・農耕治水・交通安全・建築守護
本殿:室町時代の建築であり各所に珍しい手法を用いた地方色豊かな、総体的に見て実に優美な建築物である。
末社御本殿:この本殿には更に地方色というものが見られない見世棚造りとしては全国的に見て規模の大きな方で立派な建物である。
御神木:天然記念物 樅(もみ)の大樹 樹齢700年
「ねづこ」の古木 神社1番の古木 目通り4.5m・高さ40m 樹齢推定1000年以上等と案内されています。とにかく由緒のある古い神社ですね。

絵馬殿、少しいろあせていますが古い絵馬が沢山奉納されています。
屋根付きの建物の中に奉納神額の数々。ガラス張りのケースに収められています。
天孝天皇:君がため春の野にいでて若葉つむわがころもでにゆきはふりつつと詠まれています。

木で壁にかかっています。
絵馬殿内の奉納書、労力奉仕、桧丸柱、施工、宮司など奉納された方々の氏名などが書き記されています。昭和48年5月8日。

木板に書き記しが。
澄宮殿下
金六千?と書いてあります。いくらなのでしょうか?
入学記念、学業成就祈願の額もあります。

絵馬
鳥の絵馬(学業成就)学問の神様の絵馬などいろいろ並んでいますね。よく見ると母奉納とありますが、ご自分のこどもの為に願いを込めて奉納されたんですね。

狛犬
拝殿横にいる狛犬です。榊の木も並んであります。足元にはまりでしょうか?ふっくらとした狛犬です。

拝殿右側
ここにも屋根付きの灯篭です。お札返しの籠、おみくじ結び、狛犬が。

落ちついた造りです。
社務所、拝殿の右側にありますが、今日はひとけも無くひっそりとしています。

しめ縄がド~ンとはられています。
両脇には提灯、菊のご紋の賽銭箱、とても太くて大きな立派なしめ縄です。

拝殿屋根アップ
萬歳という額がかかっていて、千社札も屋根のはりに貼り付けてあります。
それにしても、みごとなしめ縄です。

賽銭箱
菊のご紋入りの賽銭箱です。
小銭には似合わないですね、やはりお札でしょうね。

古い小さな社です。
拝殿の右奥にひっそりと。

社横
社横には絵馬がかけられています。

本殿の案内板
重要文化財指定 一間社流れ造り 妻入、杮ぶき板茸。
本殿は拝殿より奥の壁に囲まれた中心にあり残念ながら近づけません。屋根の流れが優美で総体的に均斉のとれた建物であると記されています。

拝殿斜め右側から
堂々とした拝殿全景です。屋根先が珍しい形をしていて美しいバランスです。

拝殿屋根先アップ、珍しい形です。

石灯篭
苔むして、3本まとまって立っています。

拝殿斜め左側から
後ろには杉木立がひかえています。この時期でも深い緑に覆われていました。

拝殿屋根
丸い柱が3本のってます。

祈願名簿
御祈願希望の方は名簿へご記入くださいと机の上に手帳がありました。毎朝「日の出」の時刻に皆さんのお名前を神前に捧げ身体健康・延命長寿・交通安全のご祈祷が奉仕されているようです。

例大祭神供物奉納者板
多くの方たちの奉納がありますね。

交通安全祈願

石垣の上に社が乗っています。天八街社(アマノヤチマタシャ)交通安全守護。かわいらしい社です。

根っこがドッキングしてます。違う木の種類ですね。
縁結び仲良しの木
ご利益があるようにひとなでしました。

ねづこの木
樹齢推定1000年以上という御神木の古木ですね。
長生きの木とも記されています。しめ縄がはられています。

八王子社
五男三女神:病気平癒・ボケ封じの神です。裏が竹林で小さな社ですが、やはり石垣にのってます。

天神社
菅原道真公:学業向上・入試合格 

松杉相生の木
松の木と杉の木の根元が一緒になってます。
縁結び・仲良しの木です。

釜神社
奥津彦神(身体健康)火産霊神(火災除去)・奥津姫神(延命長寿)

境内杉林と石灯篭
苔むした杉の木と石灯篭が沢山並んでいます。

南側出口
境内が広いので南側にも出入り口がありました。

南側からの様子です。
入口には御柱が、石灯篭がどっしりとしています。

ひんやりとした広い境内を歩いていると、歴史のある神社の懐にすっぽりと入り込んでしまった感じがしました。水の守護神と言われていますがこの地に流れている水が杉の木・樅の木に脈々と流れ込み樹勢旺盛な木に育っているのでしょうね。また、霊験あらたかな神様がいらっしゃって守られている空間と思うと気持ちがとても落ち着きました。そろそろ2010年に入ろうとしています。神社はこれからが大忙しでしょうね。機会がありましたらこの空間を味わいにお参りに行かれたらいかがでしょうか。元気になりますよ。

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松本市 観る

塩釜神社|塩作りを広めた神の神社|松本市蟻ヶ崎

塩釜神社は松本市蟻ヶ崎に鎮座する神社です。全国には塩釜神社が約110社あると言われています。
御祭神は塩土老翁命(しおづちおじの)。人々に塩作りを教えた神と伝えられています。

陸奥国一宮の塩竈神社を当地に歓請したものであり当神社は慶安4年(1651)卯2月25日以前と思われる。現存する本殿は明和五戌子(1767)天霜25日建立と記録されている。

安産守護の神・博学の神・寿命長久・無病息災・交通安全・厄除け開運の神・特に安産祈願として「底抜の柄杓」が奉納されています。

松本駅からこまくさ道路を北上(浅間温泉方面)、近隣には重要文化財「開智学校」があります。7月の例祭には盛大に花火が打ち上げられ賑わっています。

松本市蟻が崎1丁目7番1号
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塩釜神社正面

天空高くすがすがしさを感じます。
住宅街にあり日常この前を通る人々はここから一拝して通りすぎるようです

歌碑と道祖神

野の草の色づき枯るるさま見れば土に朽つるものは皆静かなり
・川崎杜外詠・窪田空穂書
心穏やかな句ですね。
道祖神は仲睦まじい姿ですね。

御神木

大事に手あてされています。りっぱな御神木ですね。

神社入口看板

こまくさ道路から左折すると鳥居がすぐ右手に見えます。

塩釜神社の石柱

塩竈と古い文字が使われています。

手水舎

ここで身を清めてからお入りください。

神社本殿

庶民的な感じがします。

狛犬

この狛犬の足元には子供の狛犬でしょうかね。

狛犬

この狛犬は手まりが足元にありますね。
この手まりで子供と遊ぶのでしょうか。

参拝・作法書き

参拝、作法と神拝詞(となえことば)もご親切に書かれています。

底抜の柄杓

ありました、ありました、底抜の柄杓です。

歌碑

詠みとれません。
どなたの詠と書なのでしょうか?自然の形のよい石に味のある書体で書かれています。

境内社の八坂神社

本殿の右奥にあります。見過ごしてしまいそうです。

しおがま櫻

最近植樹されたのでしょうか、国指定天然記念物で貴重な桜の一種のようです。八重の薄いピンクの花が咲きます。咲いたら是非お花見に来たいです。楽しみです。

神社境内全景

コンパクトに画面に納まりました。

屋根瓦

かわいらしくにっこり笑ってこちらを見ています。

おみくじ

順序よく結ばれてます。

社務所

今日はお留守でした。

石柱

入り口にもありましたが、ここにも古い文字で神社名が書かれていますね。

今日は小春日和の一日でしたし、塩釜神社さんに参拝して清清しい気持ちにもなりました。
無病息災・厄除け開運にご利益がありますように、と言う事で
無事に過ごしたいと思います。
しおがま櫻の観賞もとっても楽しみです。

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松本市 観る

筑摩神社| 室町時代の本殿|松本市筑摩

筑摩神社は松本では有名な神社です。同じ漢字の神社が滋賀にありますが、読み方が異なります。

 ■筑摩神社 (米原市)(ちくまじんじゃ) – 滋賀県米原市朝妻筑摩にある神社
 ■筑摩神社 (松本市)(つかまじんじゃ) – 長野県松本市筑摩にある神社

筑摩神社には重要文化財で室町時代建築物の本殿とその前に建つ拝殿(県宝)その他に小さな社がいくつかあります。鎮守の杜は樹齢400年位の欅が群生しており大きな神社の印象をうけます。

延暦十三年(七九四年)、石清水八幡宮より勧請を受けて作られました、正八幡宮の別名があります。
信濃国府の松本遷府以後は国府八幡宮とも呼ばれ、鎌倉以後は信濃守護の小笠原氏の祖神として崇敬されていました。

本殿は永享八年(一四三六年)に焼失した後、同十一年(一四三九年)に小笠原政康により再建され、室町時代の建築様式をそのまま残しています。
拝殿は慶長一五年(一六一〇年)に松本藩領主石川氏によって造営されたもので長野県宝・銅鐘は筑摩神社別当寺の安養寺(廃寺)の梵鐘で、永正十一年(一五一四年)小笠原長棟が寄進した旨の陰刻があり松本市指定重要文化財に指定されています。

すっかり冬支度の広い神社内は近くの住民が枝や葉などを集め綺麗に片付けられているようで、いつもこうやって地域の方に守られているんだな~とつくづく感じました。

松本駅前通リをまっすぐ東にすすむとあがたの森公園につきあたります。そこを右折して薄川を渡った信号の向こう側が筑摩神社です。2年前までは8月のお祭りには花火大会も盛大に催され打ち上げ花火などで広く松本市民の楽しみでもありました。

長野県松本市筑摩2-6-1
[googlemap lat=”36.225735″ lng=”137.982642″ width=”575px” height=”300px” zoom=”14″ type=”G_NORMAL_MAP”]長野県松本市筑摩2丁目6−1[/googlemap]
筑摩橋の信号

境内の大木がすでにここから見えますね。

本殿の屋根が見えています

この薄川を越えた向こう側が神社の境内です。

筑摩神社の看板

旧国宝・重要文化財指定・交通安全祈願(1/4~6)・篝火講
(1/14)・例大祭(8/10,11)

神社西側道路

この通リを通って神社正面に入ります。

記念碑

日露戦争記念碑です。

八幡宮鳥居

この先には拝殿・本殿が鎮座しています。
石の鳥居で国府八幡と称されています。

明神鳥居

朱の鳥居が見えますが手前には松の木でしょうか、根元が横たわっていますが添え木で何とか支えられています。

手水舎

身を清めて参拝しましょうね。

筑摩神社の文化財の案内板

松本市教育委員会が建てた看板です。
重要文化財 筑摩神社本殿 室町時代の永享11年(1439信濃の守護小笠原政康が再建献納したもので建築様式は三間社
流造、屋根は檜皮ぶき、様式、組み物等によく時代の特長が残り優れた建造物として昭和5年旧国宝同25年重要文化財の指定を受けている。
長野県宝 筑摩神社拝殿 慶長15年(1610)松本城主石川康長の建造奉献したもので建築様式は入母屋造、屋根は柿ぶき(こけらぶき)桃山時代の特長をあらわしており昭和41年長野県宝の指定をうけている。
松本市重要文化財 筑摩神社銅鐘 室町時代の永正11年(1514)信濃の守護小笠原長棟の献納したものでよく時代の特長をあらわしており松本平最古の銅鐘である。
(昭和56年3月)と記されている。

境内の冬支度

冬支度の枝払いされた樹が集められています。筑摩地区の住民のボランティアでしょうか。
こうやって長い間樹木は守られていたのでしょうね。

左側の狛犬

とっても大きく迫力満点の狛犬です。
石造です。

右側の狛犬

向かい合わせに右側にもありますね。しっかり両手をついてどっしりとしています。

社務所

神社を管理する社務所です。

拝殿入り口

心を清め穏やかにしてお参りしましょう。
賽銭用意しないと・・・

入り口の石灯篭

どっしりとしています。神社紋というのでしょうか、灯篭の灯りのともる場所についてます。

お札返し入れ

古いお札を返し、入れるカゴですね。

拝殿

長野県宝に指定されている拝殿で、江戸時代1610年松本城主石川康長の建造になります。建築様式としては入母造り、柿ぶきになります。桃山時代の特長をあらわしている。
ここで参拝をいたします。2拝・2拍手・1拝

おみくじはこちらに

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本殿

三間社流造りの檜皮ぶき屋根。りっぱな建物で歴史を感じとれます。戸口の両脇には木造が配置されています。
思わず手を合わせてしまいました。

拝殿の屋根周り

入母屋造り・柿ぶきの様子がよくわかります。

本殿左・西側より

檜皮ぶき屋根の形がよくみえます。

本殿右・東側より

檜皮ぶき屋根の流れるような形、綺麗ですね。

組物

東側より撮影・材木を美しく組んだ組物は室町建築の様式がよくわかります。みごとですね。

絵馬殿

今はお祭りの時に飾られるものが入っているようです。
中には絵馬が飾られています。馬の代わりとして奉納されたのでしょう。

銅鐘

松本平最古の銅鐘です。
やぐらの中に大事に納められています。

銅鐘の案内板

由緒・来歴が案内されています。

本殿の檜皮ぶき屋根

組物と苔むした檜皮ぶき屋根

拝殿と本殿

東側から撮影しています。

鎮守の杜

ちいさな社が数社あります。

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観る 遊ぶ 飯山市

飯山城跡公園|静かで落ち着いた城跡|飯山市

飯山小学校裏手にある飯山城跡公園。春には約400本のソメイヨシノがいっせいに咲き多くの人が花見に訪れる名所となっています。千曲川がすぐ横を流れているため桜のピンクと新緑が織りなす景色は信州の春らしさを演出します。黄色いスイセンの花もあり桜と合わせて丁度いい感じ。

長野県飯山市大字飯山2749番地
JR北飯山駅から徒歩約5分
上信越道豊田飯山ICから約15分
駐車場:無料
0269-62-3133(飯山市観光協会)

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安曇野市 買う

連続で高額当選の実績アリ|豊科アップルランドチャンスセンター|安曇野市

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松本市 観る 遊ぶ

北アルプスの展望台|松本城山公園|松本市

城山公園はその立地から、北アルプスの展望台と言えます。北アルプスだけではなく、松本平を眺めるには良い場所です。明治5年筑摩布達153号をにて日本初の太政官布達公園の一つとなり、明治25年に松本町の管理となり、翌年から公園整備が始まった古くからある公園で松本最初の公園です。展望台からの眺望はかなりイケますが、花見もOKです。たくさんの歌碑などもあり遊ぶ以外での楽しみ方もできる公園です。

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ロケ地 松本市 神様のカルテ 観る

縁結びを願うなら女鳥羽川沿|四柱神社|松本市

松本市街地の中心にある神社。女鳥羽川沿いにあり、縄手通りなど観光地に合体しているため多くの人が訪れます。
近くにパルコなどもあり、若い人でも良く知っている神社です。
縁結びの神社ですので、破局・離婚・片思いなどで悩んでいる方は是非お参りに行きましょう!
四柱神社(よはしらじんじゃ)は長野県松本市大手に鎮座する神社で、地元では、「しんとう(神道)さん」と呼ばれています。

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ロケ地 松本市 神様のカルテ 観る

結婚式から会議までできる|深志神社|松本市

建御名方命と菅原道真(天神)を主祭神とする神社です。サイトウキネンフェスティバルが隣接する芸術会館で開催されているなど、話題性の多い場所にあります。境内には梅風閣という使節があり、結婚式を行うこともできます。さらには会議室を借りることもできるそうです。色々と使える神社です、一度お参りをしてみてはいかがでしょうか。

詳細は写真とともにご覧ください。

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波田町 観る

上波田阿弥陀堂 仁王尊股くぐり祭り|波田町

長野県宝に指定されている「木造金剛力士像(仁王尊)」の股の間を子供がくぐると、麻疹(はしか)が軽くすみ、丈夫に育つといわれ、毎年多くの親子で賑わう恒例の行事です。
例年は4月の第3土・日曜日に行われていますが、今年は善光寺の御開帳の関係で、6月開催となりました。
あっさりくぐり抜ける子もいれば、泣き出して家族にひっぱられてなんとかくぐる子・・・ほほえましい光景がみられます。

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安曇野市 観る

穂高神社|安曇野市

穂高駅の東側にある神社。
主な祭神は海の神、穂高見神(ほたかみのかみ)です。
毎年9月27日には、「お船祭り」という例大祭でにぎわいます。
今年(平成21年)は、20年に一度といわれる大遷宮祭の年で、県内外からも多くの方が参拝にいらしてました。
127年ぶりに拝殿が増改築され、拝殿がピカピカになりました。